中村剛彦 映画にとって詩とは何か⑥
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『山猫』論その二
  ──映像の闇から照らされる私たち自身の「死」


一 ヴィスコンティ 映画の論理性
 
ルキノ・ヴィスコンティの映画が私をとらえてやまない最大の理由もまたこの『山猫』にある。それは、二〇世紀から二一世紀の現在もつづく左右イデオロギー対立の不毛さを存分にこの映画は語り、どのようなイデオロギーであろうとも、最終的には悲惨な結果をしか生まないという極めてニヒリステックな視点に立っているヴィスコンティのリアリストとしての立ち位置が前面に出ているからである。
 「リアリスト(現実主義者)」とは、おそらく私たちにとって大方は一片の夢をも見ない合理主義者と同義である。目の前の現実をそのまま受け入れ、すべて論理的に物事を処理していく。合理主義者の無駄のない戦略的思考は、彼の最終目的地へと、あらゆる演繹法と帰納法を駆使して自らを導いていく。ヴィスコンティはまさに芸術家であると同時に、こうした徹底した合理主義者でもあった。彼の映画のどこを見ても偶然の奇跡の瞬間はない。すべてが論理の上の論理で構成されている。
 これまで述べた「ドイツ三部作」の、あの『ベニスに死す』の美少年タッジオのエロティックな身体も、あの『ルートヴィヒ』の退廃の香気も、あの『地獄に堕ちた勇者ども』のナチの倒錯した狂気も、どれも徹底的な論理構成によって描かれている。試みにあるシーンからあるシーンへと巻き戻してみると、あたかも私たちが小説の一部分を読み返すかのような、なるほどという納得感を得られるのである。なかなか映画においてそうしたことは稀である。そしてこの論理性、合理性の源泉は、やはり中世イタリア貴族の末裔ヴィスコンティのうちにあるルネサンス精神そのものともいえる。
 そう、「中世」、これを捉えることなしに、実はヴィスコンティは語れない。いや、そういうならば、もはや「古代」をも視野に入れねばならないだろう。なぜなら歴史は、合理主義者がどうしても「現実」を捉えるうえで、それ自体の発生の因果を見つけるために欠かせない最大かつ絶対の条件だからである。そして歴史が、記述されたものと、記述されなかったものとの狭間で、未見の怪物を内包していることもまた合理主義者は知ることになる。ヴィスコンティにとって、なぜナチスが生まれたのか、なぜオーストリア皇帝は狂ったのか、なぜ芸術家は美に沈んだのか、その因果を導き出すために、彼は歴史書の行間の狭間に潜む人間を破滅へとみちびく怪物を見出し、映像に焼き付けた。そうでなければ彼の合理主義はけっきょくのところ歴史修正主義の浅薄な自己欺瞞に過ぎないのである。世にあまたある歴史映画と、ヴィスコンティのそれを峻別する点はここである。
 ではその歴史の闇に潜む怪物とは何か。それは一言、私たち自身の内部にある「政治」である。そして「権力」である。あのフーコーの「生政治」(人間個々の内部に息づく政治性)である。それを完全に透視しつづけなければ、ほんとうの歴史は描くことにはならない。「赤い貴族」ヴィスコンティの芸術家としてのその姿勢こそが、他の映画作家との圧倒的な違いである。
 よって映画『山猫』を何度も見る。すると私たちの内部にうごめく「歴史」と「現実」と「政治」とが一直線に串刺される厳しいヴィスコンティの眼差しに晒される。それはある種の戦慄的な恐ろしさを観る者にもたらすと同時に、観る者自らの存在内部の怪物を見開かせる。それほどの眼差しで撮られた作品を私は他に知らない。どのようなすぐれた映画も、政治の具と化すか、娯楽の具と化すか、ヒューマニズムの具と化すか、ともあれば美の具と化すかである。あえてヴィスコンティ以外で挙げるのであれば、タルコフスキーくらいであろうか。
 またさらに考えなければならないことは、映画が元来持っている他の芸術ジャンルにない特性である。それは映画が時間芸術でありかつ空間芸術でもあるという、リュミエールの映画発明以来言われていることではあるが、ヴィスコンティ作品はその点において、きわめて「映画的」であるといえる。
 いまは4Kとか8Kとかデジタル技術面ばかりが注目されるが、以前も『ルートヴィヒ』評で述べたように、デジタル処理された画面ではフィルムで仄暗く写っていた少年のペニスがまったく消えてしまっていた。つまり現在のデジタル映像技術は、目の前の大画面のスペクタクルの表出のための技術競争に追われており、それはたしかに感動を呼び起こしはせよ、けっきょくは私たちの思考を麻痺させる娯楽性に重きが置かれてしまっているといえよう。しかしはその映像のダイナミクス性は、ナチス・プロパガンダ映画を撮ったリーフェンシュタールに代表されるような、観る者の思考麻痺をもたらす技術開発の延長に過ぎない。それは映画が空間軸と時間軸のなかで私たちが生きている世界そのものを再表出し、かつ変形させ得るものである特性を持っているがゆえのことではるが、その危険性をこそ戦後ネオ・リアリズモの旗手であったヴィスコンティが知り尽くしていた。ゆえにヴィスコンティは、眼に見えるはずのない世界の本質を、あくまで「論理」によって映像化しようとした。つまり眼前のスペクタクル世界への思考麻痺を廃し、その背後にある、私たちが目を背けてしまいたい「陰」にひそむ「怪物」をフィルムに焼き付けたのである。すなわち、それが時間芸術と空間芸術がクロスした、映画でしか探求できない〈詩ポエジー〉であり、ヴィスコンティ映画の論理の極点といっていい。ヴィスコンティは女優が開けることがない鞄の中身にまでこだわって撮影をした。そうした画像には映らないもの=陰の部分、それこそが観る者に「ホンモノ」を感じさせる。徹底した論理とはそういうものである。そしてここにこそ、前回のべた「悪」の領分mすべての人間精神の内部にひそむ陰の領分が関わってくる。いうなれば豪華絢爛なるヴィスコンティ映画の本質とは、実に目に見えない「陰」=「悪」の怪物性によって成立しているのである。


二 テクストと映像の二重性
    『山猫』が『ゴッドファーザー』シリーズへと受け継がれるイタリアン・マフィアの発生を描いていることはすでに述べたが、原作者ランペドゥーサとヴィスコンティでは微妙にその「悪」の捉え方が違うように私は考えている。それは、実際にイタリア最南端の島であるシチリアの貴族の末裔であったランペドゥーサと、イタリア本島のミラノの貴族であったヴィスコンティとの違いが大きな要因であるといえるが、もうひとつ、『ベニスに死す』論でも述べた言語と映像の違いが決定的要因である。つまりトーマス・マンが言葉でもって語り尽くせなかった「美」を、ヴィスコンティが映像によって完成させてしまうという点が、『山猫』においては「悪」においてなされるのである。

 たとえば原作の後半で、イタリア統一がなされた後、シチリアの貴族サリーナ侯の甥のタンクレディ(アラン・ドロン演じる、主人公のサリーナ公の甥で、没落貴族と振興貴族の狭間に立つ人物)が、イタリア本島から来た新政府の政務官シュヴァレイをシチリアの町々に案内する場面がある。そこでマフィアの話をタンクレディがシュヴァレイに聞かせるシーンは、原作と映画との奇妙な合致点と差異点を示している。すこし原作を引用してみよう。

「まもなく、細い坂道をのぼったところで、色とりどりのズボンを干した花模様をとおして、素朴なバロック様式の教会が垣かい間ま見られた。
「あれは、サンタ・ニンファ教会です。いまから五年前に、ミサをとなえているときに、司祭があそこで殺されましたよ。」
「教会のなかでも発泡するんですか! なんておそろしいことを!」
「いいえ、そうじゃありません、シュヴァレイ、われわれはりっぱなカトリック教徒ですから、そんな冒瀆行為はしません。ただ、ミサの葡萄酒にちょっと毒を入れただけです。控え目で、礼拝式にふさわしいといえましょう。だれがそんなことをしたのか、いっこうにわかりません。その司祭はすぐれた人物で、敵などひとりもいるわけがなかったのです」
 真夜中にめを覚ました男が、ベッドの足もとにある半靴下の上に幽霊がすわっているのを見て、恐怖からのがれるために、からかい好きの友人たちのいたずらだろうと、むりに思いこもうとするように、シュヴァレイは自分がかわかわれているのだと考えようとした。
「愉快ですな、公爵、まったく愉快ですな! あなたは小説をお書きになったらどうです。その種の話をそんなに上手に話せるんですからね」」(『山猫』佐藤朔訳、河出書房新社、一九八一〈以下引用同じ〉一九六頁−一九七頁)

 ヴィスコンティはこの場面を、屋外ではなく、夜のシチリア貴族が住む古城の蝋燭ゆらめく一室で、トランプ遊びをする会話のシーンに切り替えている。このシーンはいかにもヴィスコンティらしい映像術であって、原作における抽象的テクストの説明性を超えて、映像の時間性と空間性をフルに活かしながら、「悪」がシチリア人の歴史の内奥に住み着いていることを、蝋燭の「光」と「影」のなかで、あたかもポーの詩を彷彿とさせるような、きわめて象徴的な形で表出する。
 さらにそのタンクレディと許婚のアンジェリカ(マフィアをも利用しシチリアの支配層へとのし上がる新興貴族の娘で、『山猫』における資本主義的存在の象徴)が、廃墟の城で悪徳的遊戯に浸る場面があるが、原作ではここでシチリア貴族が中世来秘匿していた刑罰の部屋、いわばフランス革命期におけるあのマルキ・ド・サドが描いた「鞭」が残存する部屋での背徳を描いている。ヴィスコンティはここをまたきわめて独創的に描いている。まずはまた原作を引用する。

「低い天井には、幸いにも湿気のためにひびがはいっていなかった…(略)…その鏡にも十八世紀ふうの燭台がとりつけてあった。どの部屋にも、また広間にも、たっぷりとした長椅子が、いやたっぷりしすぎるくらいの長椅子がおいてあり、上に張った絹は、釘のまわりがやぶけ、肘掛の上はよごれていた…(略)…不安になったタンクレディは、アンジェリカに広間の壁にはめこんだ戸棚に近づくことをゆるさなかった。だが彼自身がその戸棚をすこし開いてみた。戸棚は非常に深いが、空っぽだった。ただ隅のほうに、よごれた布を巻いたものがあり、なかから小さな鞭や、牡牛の筋でつくった乗馬用の鞭が出てきた。…(略)…絹には黒ずんだしみが三つほどならんでついていた。ほかに金属製のわけのわからない小さな器具が入っていた。タンクレディはおそろしくなった。自分自身がおそろしくなった。」(一八〇頁─一八一頁)

 このシーンでヴィスコンティはあえて「鞭」を示さず、ただタンクレディとアンジェリカのエロティックな遊戯のみを示す。しかし、すでに「鞭」は、若きアラン・ドロンの肢体そのものと同化している演出をする。アラン・ドロンという名優が名優ゆえであるのは、原作と監督の間によこたわる無気味な狂気性を自らの身体でもって剥き出しにできるところであろう。その「美的身体」と「狂気性」は、なんてこともない仕草のうちで火花を散らす。よくこのシーンを観察すると、つねに画面の外から内へ、内から外へとスクリーンの「端」で、「身体」=「鞭」がしなっているかのようであり、テクスト以上に、隠匿された過去の悪徳的人間のギリギリの在と不在の行為を観る者に無意識に感得させる。

 このヴィスコンティのすぐれたカメラワークの演出、アラン・ドロンの「美的身体」、そしてその背後にある古城と埃だらけの中世絵画の不気味なセットの合成は、原作テクストの説明性を一瞬で伝えてしまう出色のシーンである。
 つまりである。すべてが計算し尽くされているのである。このシーンをはじめとする映画『山猫』は、ランペドゥーサのテクストの綿密さそのものであり、映画における文学表現がはじめて可能となった例といえるのではないか。
 二例のみを挙げたが、このように『山猫』のすべてのシーンがテクストと映像の一体化を示している。ただ追及すべき問題は残る。なぜそのようにヴィスコンティは「映画」として文学『山猫』を描かなければならなかったのか。


三 『山猫』における「死」の論理 
 もうひとつ、ヴィスコンティ『山猫』に私が妙に惹かれるシーンがある。それはラスト近くの、それこそ映画史に残る大舞踏会の場面で、主人公のサリーナ侯が個室でひとり、ある絵画に観入るシーンである。その作品はまるでダヴィンチが描いたような中世ルネサンス風の作品で、ひとりの臨終の老人とそれを囲む人々が描かれている。特に傍らでは幼子が嘆く姿が描き込まれており、「死」「生」のコントラストが極めて鮮明に描出されている。サリーナ侯はその絵画に自らの死の姿を重ね、何かを納得するのである。
 映画ではその絵画が誰の作であるかは示されないが、ランペドゥーサ原作では、ジャン=バティスト・グルーズの「義人の死」とある。ネットで調べるとその作品の英題は「Punished Son(またはThe Son Punished)」とある。直訳すれば「罰せられた息子」である[i]
 この「義人=Son」とは、つまりキリストのことなのであるが、であるならば、ここで公爵は自らを老いたキリストとして、自らの死を重ねていることになる。ここにいたり、四時間もの長尺の映画『山猫』の中心テーマが一気に噴出する。また原作テクストを引用する。

「ドン・ファブリツィオ(サリーナ公のこと──筆者)は自分の正面にかかった一つの絵をながめはじめた。それは、グルーズの「義人の死」のみごとな模写だった。老人がベッドのなかで、純白の布のうねりのなかで、息をひきとろうとしていた。悲しげな孫や、腕を空のほうにあげた孫娘たちにとりかこまれていた。彼女たちは優雅で、なまめかしく、その衣服の乱れは、苦悩よりもむしろ放縦さをそれとなく示していた。彼女たちこそこの絵の真の主題であることはすぐにわかった。

…(略)…
 次に彼は、彼自身の死もこれと似ているのではないかと考えた。おそらくそうであろうが、シーツはこんなにきれいではあるまい(臨終の人のシーツはつねにきたないということを彼はよく知っていた、よだれ、排泄物、水薬のしみ……)。…(略)…だが全体から見て、ほとんど同じ絵になるだろう。いつものように、他人の死が彼の心を乱すように、彼自身の死のことを思うと、心がはればれとするのだった。それはおそらく、彼自身の心の奥底で、自分の死は第一に全世界の死だ、と考えていたからではなかったか?」(二五八頁─二五九頁)

 この引用はきわめて難渋でありながら、じっくりと読むときわめて明快である。ヨーロッパ人にとっての「死」とは何か。それは私たちキリスト教圏にいない者とほぼ同一である。各宗教の違いをこえ、我々人間にとって「死」は、「第一に全世界の死」であることは明らかである。私が滅べば当然、私が生きるこの世界は私から消える。そしてその後、どこに行くのか。この世界ではない、この世界を超えた超越的世界である。
 似非合理主義者はここで頭をかしげるかもしれない。肉体と精神は一体であり、肉体が滅びれば精神も滅びる。魂などという肉体から遊離したものなどありはしない。だから自分の死は世界の死であり、それで全て終わりである。生きているときに想定している超越的世界などは、死んでしまえば必然的に精神の死とともに消えて無くなるのだ。
 その通りだと思うし、しかしそうでもないとも思う。映画『山猫』のこのシーンでは、ヴィスコンティは、グルーズ「義人の死」とサリーナ侯自身の死を同一化させていく過程で、じつに巧みにその合理主義的思考と超越的思考との間の壁を「死の模倣ミメーシス」の作用によって乗り越える。グルーズの作品が、サリーナ侯自身に自らの「死」の姿を認識させるということ、それは芸術作品がまだこの世界に存在している生者に対して、「お前の死はこうなる」と述べていることであり、その芸術作品を生んだ、いまや肉体も精神も滅んだ芸術家が、生者である何者かに「死」を模倣ミメーシスさせているということを意味する。
 言うなれば、私たちは、現に目の前にある物質としての芸術作品によって、これから訪れる未知なる己の「死」を、過去の「死像(デス・イメージ)」へと折り重ね、悠々と超時空の、超越的世界へと認識を羽ばたかせることができるのである。
 このアリストテレス以来の詩学における「模倣ミメーシス」、中世イタリアが復興させた古代精神によって、この『山猫』に、「死」─「悪」─「陰」の映像をヴィスコンティが宿らせ、その後、あの大作群「ドイツ三部作」へと進んだのである。

 やはり『山猫』論は二回では終わりそうもない。今回はこの辺で閉じるが、最後に、ランペドゥーサの死後、『山猫』本編からは削除されたサリーナ侯が書いたソネットが見つかったので引用する(『ランペドゥーザ全小説 附・スタンダール論』〈脇功/武谷なおみ訳、作品者、二〇一四〉)。一読、あのボードレール『悪の華』の一篇かと見紛う詩である。ヴィスコンティはこれを読んでいないが、映画の「陰」の内部に、この「悪の詩ポエジー」は刻み込まれている。次回はさらに、アレント「悪の凡庸」の問題と、ヴィスコンティの「悪の詩ポエジー」との連関などを考察したい。
Jean-Baptiste Greuze - The Father's Curse - The Son Punished
*「映画+詩 影・えれくとりっく vol.6」(編集発行人:杉中昌樹、発行所:詩の練習、2020年1月15日)掲載
中村剛彦(なかむらたけひこ)
1973年、横浜生まれ。詩人。元ミッドナイト・プレス副編集長。詩集『壜の中の炎』『生の泉』(ともにミッドナイト・プレス)。共著『半島論 文学とアートによる叛乱の地勢学』(響文社)。老犬と老猫と暮らす。
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