中村剛彦 映画にとって詩とは何か⑤
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『山猫』論その一
  ──私たち資本主義者を映し出す「鏡」


一 『山猫』を語る前に語りたいこと
 これまで「ドイツ三部作」について私なりの考えを述べてきたが、ヴィスコンティにおける「歴史」─「現実」─「美」を貫く「政治」について、ある程度の見取図は整ったように思う。一言で述べるならば、それは徹底したリアリストであったヴィスコンティが、「近代」を生きる私たち自身の政治的かつ美的身体を容赦なく映し出した作品群ということである。 

 ではなぜその「ドイツ三部作」をこの連載で最初に取り上げたかといえば、この三部作がヴィスコンティ全作品中の到達点であり、ヨーロッパ近代が産んだ帝国主義がもたらした社会の歪さと、その歪さそのものが、実に「歴史」の正当であったということをヴィスコンティが完全に捉えきっていた点を示したかったということがある。いま「正当」と述べるのが誤解を産むなら、「必然」と言い変えても良い。特に、十九世紀ビスマルクから二〇世紀ヒトラーに至るまで、「ドイツ帝国」はヨーロッパの中心軸として拡大し、摩滅し、滅んだ。その「帝国」がその拡大のための存在根拠とした「戦争」は、自民族と他民族の滅びの最大因子であることは言うまでもないが、ただその滅びの因子である「戦争」をいまも駆動させているのが「資本」であることを私はこの「ドイツ三部作」から学ぶのである。
 ただ、その「資本」と「戦争」の歯車を映画史ではじめにあらわにしたのはあのチャップリンであったことはいうまでもない。『モダン・タイムズ』(一九三六)、『独裁者』(一九四〇)といった風刺作品は、子どもにも分かりやすく「資本」と「戦争」の連関を描き、チャップリンの天才性を余すところなく示すが、その天才をもっとも受け入れたのがハリウッドというアメリカ資本主義システムであったことは、映画史の皮肉であるだろう。ハリウッドは、チャップリンが放つエンターテイメント性が、極めて影響力のある政治的プロパガンダ性を内包していることに気づき、「資本」を増大させるために利用していたからである。そもそもハリウッドとは、チャップリン以前に、グリフィスの『国民の創生』(一九一五)、『イントレランス』(一九一六)といった大スペクタクル・プロパガンダによって、人々を疑似現実によって幻惑させ、「国民」という統一的国家意識に束ねる映画エンターテイメントのセオリーを開発していたからである。
 よって、そのハリウッド的資本主義システムの陥穽を突いた天才チャップリンが、例の赤狩りによってアメリカを追放されたのは当然であった。おそらくチャップリン自身、ハリウッドという資本主義システムと、その恩恵によって最貧困階級からのぼり詰めた自身の富と名声の相補関係に気づいていたはずである。このチャップリンの悲喜劇的人生に、変な話かもしれないが、昨年末頃に発生した日産事件のカルロス・ゴーンを、大資本主義に翻弄された天才の人生という意味で私はつい重ねてしまう。そしていったいこの「資本」という怪物は何であるか、つくづく戸惑うばかりである。チャップリンがハリウッドに名誉回復されるのは、追放から二十年あまり経った一九七二年、もはやその天才の面影が消え去った八〇歳を超えたのちである。おそらくゴーンも同じ轍を辿るのではなかろうかと推測する。(なおチャップリンは幼い頃から観つづけてきたので、いつかその映画論を私なりに書きたいとは思っている)。

二 「赤い貴族」ヴィスコンティ
 そうしたハリウッド資本主義と真逆にいるのがルキノ・ヴィスコンティである。若き日に共産主義者であり、イタリア・ファシズムに対するレジスタンス運動家であったことは有名である。ヴィスコンティは「赤い貴族」と呼ばれたが、この十三世紀からつづくミラノ名門の反資本主義者が、二十世紀資本主義の根源を命題にするのは当然の帰結であった。
 第二次大戦終結直後のナチス兵処刑をフィルムに焼き付けた若きネオ・レアリストとなったヴィスコンティは、近代帝国主義を駆動させた「資本」と「戦争」の歯車を全生涯で描いた。それは「ドイツ三部作」の主題であったナチズムに限らず、広くヨーロッパ人にとっての「私たちはいったい何者なのか」という大命題への果敢な挑戦の連続であった。その意味で「ドイツ三部作」とは、本来「ヨーロッパ三部作」と呼ぶべきものである。そしてその「ヨーロッパ」なるもののさらなる根源を見つめたのが、「ドイツ三部作」より以前に制作されたヴィスコンティ最高傑作と称される『山猫』(一九六三)である。
 しかし、ここで『山猫』に入る前に語らせてほしい。いま私は「ヨーロッパ」という言葉を使ったが、実は私の中で、何が「ヨーロッパ」なのか正確に認識できていない。というのも、翻って日本人の私にとって、何が「アジア」なのか、という問題にぶち当たるからである。よく映画界では「アジア作品」と呼ばれるものがある。私もそうしたカテゴリーを無自覚に若い頃から受け入れて、「アジア勢初の〇〇映画祭グランプリ!」と言った標語にのっかりながら作品を観賞してきた。たとえば、ここ十年で私が挙げたいすぐれた「アジア」勢は、韓国のキム・ギドクや、台湾のホウ・シャオシェン、中国のワン・ビン、カンボジアのリティ・パニュなどなどである。では果たして日本の作家はここに入るのであろうか。
 本来、日本がアジアの一国であるなら日本映画はアジア映画の一つのはずである。しかしどうもそのようには私は考えられない。なぜなら、右に挙げた映画作家たちが、自民族の歴史の惨憺たる「現実」を主題とし、現代世界を覆う「資本」と「戦争」の歯車をどこまでも徹して描いているのに比して、日本の映画作家が、かつて自身の民族が「大東亜共栄圏」を掲げて「資本」と「戦争」の大歯車を「アジア」一帯に駆動させた歴史をどこまで追求し切れているか正確にわからないからである。
 確かによくある「アジア映画祭」といったイベントにはなぜか日本映画は入らない。北野武、是枝裕和ら世界で活躍する「アジア」を代表する映画作家は、あくまで私たち日本人にとっては「日本」の映画作家であって、「アジア映画」作家ではない。いったいどうなっているのか。
 当然ながら、私は映画評論家でもないし、映画研究者でもないから、この「アジア映画」、「ヨーロッパ映画」、「ハリウッド映画」、そして「日本映画」といったカテゴリーが極めて曖昧なまま流動的に頭の中で堂々巡りをしているに過ぎない。だが思うのである。実に私たちは「ヨーロッパ」とか「アジア」といった「近代」が形作った世界地図と、国民国家という概念を、不確定なまま混同し認識しているのではないか。いつの間にか私たちの思考は、そうした二〇世紀以降のよく分からないぼやけた世界地図を念頭に生きてきている。  
 いま、その「ヨーロッパ」「アジア」の中にある無数の国民国家がもう一度問い直されている。いわゆる「ナショナリズム」の台頭であるが、すぐに念頭に浮かぶのはBREXITである。EU離脱へと舵を切った英国人の中には、かつての「大英帝国」幻想への誇りがあるに違いないし、ヨーロッパ各国で台頭しはじめた「EU懐疑派」も然りである。トランプ率いるアメリカは言わずもがなであるが、このように世界へ目を向けると、どうやら「ヨーロッパ」「アジア」という概念の解体がすでにはじまっていると思わざるを得ない。いまから起こりうることは、おそらく前世紀からつづく「自由主義」「民主主義」の後退であり、ややすれば前世紀以前の「封建主義」の復古であるかもしれない。そしてさらには、それ以前にまで巻き戻された、「宗教原理主義」であり、そしてそれが古来おこなってきた血みどろの「戦争主義」であろう。そこでは「資本」はかつての王族たちのごとき為政者と資本家たちへと吸い上げられる。私たちが生きているわずか二百年余りの「近現代」は、古代からの「戦争」と「資本」の歯車によって記述されてきた「大いなる物語」の一章に組み込まれているに過ぎないことに気づく。[i]
 「赤い貴族」ヴィスコンティの作品をいま観ることの意義はまさにこの点にある。ヴィスコンティが「ドイツ三部作」で、歴史を巻き戻しつつ近代の根源へと辿って見せた、ある意味でマルクス主義的歴史記述の手法の本質は、この「ヨーロッパ」とは何かという自身に流れる「血」の宿命への挑戦であった。自身が引き継いだ歴史的「富」(単なる「資本」ではない)を支えたキリスト教支配下の「中世ヨーロッパ」精神と、十九世紀以降の「資本」と「戦争」を駆動させる「帝国主義」が支配する「近代ヨーロッパ」精神との狭間で、この挑戦はどうしてもなされなければならなかったのである。
 前置きが長くなったが、このヴィスコンティの挑戦を真正面から描いた作品が『山猫』であり、私はアジア人の民衆の一人として、あるいは一人の「日本」の民衆として紆余曲折を経ながらこれから語らねばならない。よってこの「山猫論」は一回では不可能である。場合によっては二回、三回にわたると考えていてほしい。

三 原作『山猫』の不気味
 映画『山猫』にはよく知られた原作がある。ヴィスコンティと同じイタリア名門貴族の末裔ランペドゥーサが生前に唯一残した小説『山猫』(一九五八)である。他にほとんど作品を持たないひとりのアマチュア貴族が書いたこの書は、玄人を唸らせるほどの完成された文学作品であり、中世貴族が近代において没落する姿が克明に描かれている。戦後イタリア文学界でセンセーションを巻き起こしベストセラーとなった。私はその原作(佐藤朔訳、河出書房、一九八一)を読み、その文体が持つヨーロッパ文学の伝統の深い錨の重さに驚く。たとえば冒頭を読んでみる。

  第1章
お祈りと公爵の紹介。庭と死んだ兵士。王の拝謁。晩餐。パレルモにむかう馬車のなかで、マリアンニーナの家にゆく。サン・ロレンツォに帰る。タンクレディとの会話。管理人の事務所で、領地と政治に関する議論。観測所で、ピローネ神父とともに、食事中のくつろぎ。ドン・ファブリツィオと百姓たち。ドン・ファブリツィオと息子パウロ。上陸のニュース。ふたたびお祈り。
                                一八六〇年五月
  〈いま、そしてわれらが死ぬときに、アーメン〉いつものお祈りがおわった。半時間のあいだ、公爵のおだやかな声が、栄ある、悲痛な儀式の世界を呼びもどした。半時間のあいだ、他の声も入り乱れて、うねるようなざわめきをつくりだした、そこに、愛、純潔、死などという、ただならぬことばの黄金の花々を咲かせた。ロココふうの客間は、まるでようすが一変してしまったようだった。絹布の壁の上で、虹色の羽をひろげていた鸚鵡(おうむ)も、おびえているようにみえた。マグダラのマリア像も、二つの窓のあいだで、告解者のようなようすをしていた。もはやそれは、いつものなにやらもの思いにふけっている、あの豊満な、美しい金髪の女性ではなかった。
 声がやんだ。すべては、秩序のなかに、あのいつもの無秩序のなかにかえった。
(以下省略)
 
 
 どうであろうか。この小説の冒頭の「つかみ」において、ランぺドゥーサは、あたかも映画シナリオのト書のように、小説の第1章の内容の要約を書き下している。これは全八章すべてそうである。ヨーロッパ伝統文学の定型にこのようなスタイルがあるのかどうか私にはわからないが、ここにまず私はランペドゥーサの文体と作品構成に妙な不気味さを感じるのである。
 というのも、これが「つかみ」であるならば、その内容があまりに不可解であるからだ。章の要約をなぜ日付をつけて書き、その後に物語を語るのか。なぜ種明かしをはじめにして手品を披露するのか。むしろ要約などなく、冒頭から本文の「〈いま、そしてわれらが死ぬときに、アーメン〉いつものお祈りがおわった。」ではじまる方がよほど「つかみ」としては成立している。
 推測するには、ランペドゥーサはこの小説を書く際に近代小説の創作法(思考法)で書いたのではなく、前近代小説のそれで書いたのではないかということである。いわば「古典小説」としてこれを書いたのである。「古典」とはつまり「誰もが知っている作品」である。手品の種ははじめから明かされているのである。いやもしかしたら、そのようにしかランペドゥーサは書けなかったともいえる。中世貴族の末裔は、近代の時空に住んでおらず、老朽化した城で豪奢な社交と瞑想の時空を生きている「古典」的存在だからである。
 しかし、それだけではこの作品の文体と構成の不気味さはまだ掴めない。時代遅れの古臭い作品をアマチュアが書いたものなど世の中には幾らでもある。重要なのは、この冒頭の「つかみ」の構成が、実に周到に、「過去」─「現在」のめまぐるしい重層性を読者にもたらす効果をもたらしている点である。
 もう一度右の引用を読まれたい。「お祈りと公爵の紹介。庭と死んだ兵士。王の拝謁。晩餐……再びお祈り。」というふうに、この章が「祈り」ではじまり「祈り」で終わるという、宗教的中世世界で締めくくられることと、その中間部に政治的な近代の「現実」が挟まれていること、そして日付が「一八六〇年五月」であることは、ランペドゥーサがこの作品が「中世」と「近代」の入れ子構造の物語であることを読者に端的に伝えているのである。物語の舞台は、この作品が発売された時点からおよそ一〇〇年前ということになるが、このランペドゥーサの視点こそが、ヴィスコンティが映画化をした一〇〇年後の一九六〇年代が孕んでいた問題、つまり二十一世紀の現在をも呪縛している「国家とはなにか」という命題に繋がってくるのである。
 もう少し細かく本文冒頭に着目してみよう。「〈いま、そしてわれらが死ぬときに、アーメン〉」とある。これは明らかに滅びゆく「中世の声」である。言いかえれば滅びゆく「伝統の声」である。そこから本書ははじまる。そして「声がやんだ。すべては、秩序のなかに、あのいつもの無秩序のなかにかえった。」と矛盾した謎の言葉が記されるが、これは謎でもなんでもない。私たち近代人はこの「無秩序の秩序」のなかで生きているということがすでにこの要約自体に述べられているのである。ただ不気味であるのは、「無秩序の秩序」が、「声がやんだ」世界であると述べられている点である。
 ここでいう「声」とは、中世を支配したキリスト教による秩序統一された「祈り声」である。だからニーチェ以前の「声」と、ニーチェ以降の「沈黙」……そう捉えてもいいかもしれない。あるいはあのベルイマンが五〇年代に制作した「神の沈黙」三部作の「沈黙」を参照してもいい。私たちが生きる「近代」以降の「無秩序の秩序」の世界で、「神」は沈黙し、「祈りの声」を持たない私たちは唖であるということ、そのことが不気味に感じてしまうのである。
 ランペドゥーサ『山猫』のこの「つかみ」は、私にとってはボードレールやフローベール、さらにはジョン・ダンやシェイクスピア等、近現代ヨーロッパ文学の源泉にまで遡れる極めて重要な「詩(ポエジー)」の問題と共通する。つまり「沈黙の詩(ポエジー)」である。そしてヴィスコンティはこの『山猫』で、この文学史における「沈黙の詩(ポエジー)」をはじめて「映像化」したと考えることができる。それは前回の『ベニスに死す』論で述べた私たちの「身体」を貫く政治と詩(ポエジー)の問題にも直結するのであるが、今回の最たるキーワードは、その「詩(ポエジー)」を「詩(ポエジー)」たらしめているところの、「悪」である。

四 ヴィスコンティ『山猫』とコッポラ『ゴッドファーザー』をつなぐ「悪」の系譜
 ここまで書いて、ヴィスコンティ・ファンに『山猫』を「沈黙の作品」として捉えるのは無理があると言われそうだ。なぜならこの映画はむしろ饒舌極まる台詞の応酬がつづく。しかし、その饒舌は私にとっては、映画史に残る随一の名シーンといわれる、延々と長回しで撮られたクライマックスの舞踏会の場面での、主人公の「沈黙」に収斂されていくものである。
 この主人公の「沈黙」とはすなわち「死」を意味し、「声」なき「無秩序の秩序」の近代世界へ突入するイタリアの「死」を意味してもいる。少し『山猫』の背景である近代イタリアの時代についてまとめてみよう。
 舞台は十九世紀半ば、一八六〇年、イタリア統一戦争期シシリアア島である。当時イタリアは、北部はオーストリア領、中部は教皇領、南部はナポリ王国領と分断されていた。この南部にシシリア島は含まれる。イタリア統一戦争は、これら中世の支配層からの独立運動をはらんでいた。そこでガリバルディという共和制を掲げる英雄的革命家が「赤シャツ隊」という義勇軍を組織し、シシリア島を支配するナポリ王国を崩壊させるも、イタリア統一を目指す新政府が諸外国との政治的駆け引きを優先したために、ガリバルディは政府から排除され一八六二年逮捕されて島流しとされる。その後一八七〇年にイタリアは統一国家となる。
 まるで明治政府樹立までの西南戦争の様相をこのイタリア統一までの過程は呈しているのであるが、この新旧交替の動乱期を『山猫』は描いているわけである。主人公サリーナ侯は旧ナポリ王国(ブルボン王朝)のシシリア領主の貴族であり、崩壊する中世的秩序の「死」なかへとひとり身を沈めようとするのである。
 ここで突然のようであるが、あのフランシス・フォード・コッポラの『ゴッドファーザー』シリーズについて語りたい。コッポラがこのシリーズを作る際に、ヴィスコンティ『山猫』に多大な影響を受けたことはよく知られる。二十世紀初頭にアメリカに渡ったシシリアアン・マフィア一族を描いた叙事詩であるが、シリーズ中の最もすぐれた作品と言われる第二作では、主人公のマフィアのドン、ビトー・コルレオーネが生まれ育ったシシリア島が描かれたシーンがある。それはほとんど『山猫』の一シーンと見紛うほどである。そしてそのコッポラが描いたマフィアのルーツの物語は、『山猫』に確かに描かれているのであるのである。
 イタリア統一の際、シシリア島には独自の治安システムが存在していた。『山猫』のサリーナ侯はシシリア人ではなくドイツ人であり、シシリアの民にしてみれば外部の人間である。いわば外国に支配者である。とはいえサリーナ侯はシシリアを圧政によって支配したのではなく、シシリアの民に寄り添い、中世的秩序における宗主として、つまり一つのイコンとしての尊厳をもってシシリア島を守ってきた存在である。むしろ実質的なシシリア島の支配層は島の大地主であり、彼らはやがて国家統一後の近代イタリアにおいて旧貴族階級へとのし上がる訳であるが、その大地主たちが自身の地位を守るために雇ったのが、マフィアの元となる島の山賊たちであった。彼らは主人に抵抗する者であれば、平気で殺人をし、場合によっては神父をも殺害した。この秘密警察のごとき存在が、島に暗黙の秩序をもたらしていたのである。『山猫』を注意深く観賞すると、随所にそうしたシシリア独自の治安維持システムが見え隠れする。
 『ゴッドファーザー』では、第三作で二十世紀後半に実際に起きたローマ教会へのアメリカン・マフィアの進出と教皇暗殺が描かれるが、十九世紀の『山猫』時代にそうしたマフィアの原点は始まっていたのである。つまりそのことは、イタリア統一からいまに至る近代的秩序を支える神をも凌駕する世俗的「悪」の源泉を意味し、同時にそれは世界を支配する大資本主義国アメリカの秩序を支えていることも意味する。『山猫』から『ゴッドファーザー』へと至る映画史の支流は、「イタリア」資本主義から「アメリカ」大資本主義への近代史の中心を描いたものであって、そういうふうに複数の作品をまたいで映画史を観ることの重要性を示す典型例である
 ではその近代資本主義を支えた「悪」は、忌むべきものとして『山猫』で描かれているかといえば、そうではない。サリーナ侯はそうしたシシリア島の野蛮な秩序システムを容認している。なぜなら、彼はシシリア島が常に他国に支配され、貧困に喘いできた現実を直視していたからである。この島にマフィアが出現し、中世世界を支配した教会をも脅かす存在となったとき、サリーナ侯はむしろ、腐敗した教会権力の秩序を葬り去ることをよしとするのである。原作者ランペドゥーサもそうだが、特にヴィスコンティという貴族の末裔が直面した歴史的現実とは、そうした中世世界を破壊する世俗の「悪」の台頭地点であり、それがやがて「ドイツ三部作」で描かれるファシズムの問題へとつながる訳である。ただ、ここで問題となるのは、その「悪」が私たちが認識する「悪」とどう違うか、ほんとうにそれは「悪」なのか、という点である。

五 『山猫』における「悪の凡庸」と「ヨーロッパ」の死 
 いったん「沈黙」へと話を戻そう。ヴィスコンティ『山猫』では、そうした近代の「悪」の出現については肯定も否定もない。ただ傍観者のごとき「沈黙」あるのみである。それは神父殺しをも辞さないシシリアの民たちの怨念の精神と、民の飢え死をも辞さない中世支配層たちの腐敗した享楽精神、その両者に引き裂かれた存在としての「沈黙」である。これを単なる臆病精神と見誤ってはならない。果たして私たち自身、いついかなるときに「沈黙」を強いられるかを問うてみるといい。「善と悪」の区別がつかない問題に直面したとき、私たちは明らかに「沈黙」を余儀なくされる。なぜならそれは私たちが常に「政治」的な存在であり、どの権力を守り、どの権力を破壊するのか、といった権力の選択を迫られる存在だからである。そして自らがどの権力へと加担するかといった自己生存をかけたところまで切り詰められたとき、選択は「沈黙」となってしまう。人間の「沈黙」はあくまで政治力学がもたらすのである。ここに先に述べた近代以降の「沈黙の詩(ポエジー)」の核心がある。
 これまで述べてきたように、ヴィスコンティの作品はどうしても二〇世紀の政治を抜きには語れないし、またヴィスコンティだけでなく、全てのほんとうの芸術は芸術家が自らの全存在をかけて制作されてある以上、その者が生きた現実の政治体が作品の隅々にゆきわたっている。
 ただここで間違ってはいけないのは、それら芸術作品はけっして「政治」を主題としているのではない。「存在」を主題としているのである。たとえばシェイクスピア『ハムレット』に私たちが感動するとき、けっしてシェイクスピアが保守主義であるからとか前衛主義であるからといって感動するのではない。それは権力闘争の果てにおきた「人間」ハムレットの狂気が放つ言いようもない「沈黙」の美的世界を開示するからである。「To be or not to be .」 がなぜ普遍の台詞であるかは言わずもがなである。
 あるいは国木田独歩や北村透谷、蒲原有明など私が敬愛する明治期の詩人たちを挙げてもそうである。彼らは「明治」という時代の政治力学のど真ん中で作品を書いたが、その作品はおしなべて政治を主題とせず「人間」の苦悩と狂気を主題とし、そして何よりもその「人間」なるもののかなしさとうつくしさを、そして「尊厳」を最高位に掲げている。
 『山猫』がヴィスコンティ最高傑作と呼ばれる所以はここにある。「ドイツ三部作」もまた映画史上類をみない「人間」なるものの悲喜劇を描いた傑作であることは間違いない。しかしすべてはこの『山猫』と比すれば、ここから派生した作品群であると思わざるを得ない。『山猫』こそが、近代の「人間」を描き、そして近代以降の「悪」の本質を描ききり、近代人の「沈黙」を映像に焼き付けている。
 こうなると必然、ハンナ・アレントの有名な「悪の凡庸」がどうしても私の脳裏に浮かんでしまう。ヴィスコンティと同時代人であり、ユダヤ人であったアレントのそれは、ナチス将校たちによるホロコースの惨劇が、彼ら個人の道徳意識よりも権力の判断を優先させてもたらされたという、全ての人間に共通する「凡庸」な精神構造だと説き、私たちがいつでもナチズムに逆戻りする精神を温存しているのだという存在論的告発であったと私は解釈している。
 実はヴィスコンティの場合も逆の側からアレントとはかなり共振する「悪の凡庸」を描いている。『山猫』のサリーナ侯は、いわばアレントの「悪の凡庸」に陥らなかった人間である。その「沈黙」は、中世ヨーロッパの死者の「祈り」の声のようだ。アレントが、ユダヤ人という古来ディアスポラであった自らの存在根拠を把持するために、ハイデガー哲学を梃子にしながら、古代ギリシャ哲学まで遡り、現代の「悪の凡庸」という「ヨーロッパ精神」の「死」を確認したとするならば、ヴィスコンティもまた、サリーナ侯の「沈黙」に「ヨーロッパ精神」の「死」を捉えている。[ii]
 哲学者と芸術家、その違いによって「悪」と「善」へのアプローチは変わるが、冒頭に述べた「ヨーロッパ」とは何か、「アジア」とは何か、そこに住まう私たちの「存在」とはいったい何なのかを、この両者に通じる近代帝国主義を支える「悪」の捉え方から導き出せそうである。今回はその点のみを指摘し、次回は『山猫』に焼き付けられた「詩(ポエジー)」について語りたいと思う。


[i] ミシェル・セール『世界戦争』(秋枝茂訳、法政大学出版局、二〇一五)にこの視点を学んでいる。
[ii] ハンナ・アレント『責任と判断』(ジェローム・コーン編 中山元訳、筑摩書房、二〇一六)に示唆を得ている。
 
『山猫(4K版)予告編
*「ヴィスコンティ特集 [影・えれくとりっく5 ]」(編集発行人:杉中昌樹、発行所:詩の練習、2019年9月1日)掲載
中村剛彦(なかむらたけひこ)
1973年、横浜生まれ。詩人。元ミッドナイト・プレス副編集長。詩集『壜の中の炎』『生の泉』(ともにミッドナイト・プレス)。共著『半島論 文学とアートによる叛乱の地勢学』(響文社)。老犬と老猫と暮らす。
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