中村剛彦 映画にとって詩とは何か①
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ルキノ・ヴィスコンティにおける過剰なる詩情(ポエジー)

 はじめに個人的な話をすると、今年四十三歳になったわたしはおよそ三十年弱、才のない詩を書いてきたのではあるが、若いころからけっして詩人になりたかったわけではなく、むしろ子どものころの夢は映画監督であっgた。大学では自主映画を作り、卒業後はテレビ制作会社に入社したが二ヶ月で辞めた。大勢の人間が関わってつくる映像制作の現場がどうしても肌に合わず、一人や二人だけでつくる個人映画やビデオアートがもっとも自分らしいスタイルと思えた。よって若い頃はジョナス・メカスや初期の鈴木志郎康、ビル・ビオラなどのいわゆる「映像詩」を目指した。
 しかしわたしはそうした「映像詩」作品を数本作ったのみで、早くも二十代で映像制作はやめてしまった。なにか思いつめた決断があったわけではなく、単に一緒に映像制作をしていた当時の恋人と別れた、というだけの理由である。だからわたしにとって映像制作というものは、本当の意味での「個人」的な営みに過ぎなかった。若気の至りというやつである。
 しかしもうひとつ、自分が映像制作をやめた理由がある。それは二十代の終わり頃、イタリア映画の巨匠ルキノ・ヴィスコンティ(一九〇六ー一九七六)の大長編作品群との出会いである。確か九十年代の終わりだったと思う。すでにヴィスコンティの死後二十年経っており、その作品群は世界映画の古典となっていたが、わたしは『若者のすべて』『ベニスに死す』『山猫』『ルートヴィヒ』等々をまとめて鑑賞し、「すべてやり尽くされている」と、それまでの映画体験にはない衝撃を受けた。特にその映像の隅々に迸る「詩情(ポエジー)」の凄まじさを目の当たりにし、もはや陳腐な「映像詩」などを作る意志は完全に砕かれてしまった。
 では、そのヴィスコンティ映画の「詩情(ポエジー)」とはなにか。一言で言えば、エロティシズムと死である。しかしそのようなテーマは他にもいくらでもある。ヴィスコンティの場合は、この両者の尋常ならざる「過剰性」といえば良い。ヴィスコンティ作品は個人映画とは対照的な「劇映画」ではあるが、実にヴィスコンティ個人の内面にとぐろを巻いているエロティシズムと死の混交した虚構の美意識が、一寸の妥協なく長時間にわたりフィルムに転写されている。人によってはこの「過剰性」に嫌気がさす。特にイタリアの名門貴族出身だけに、その豪華絢爛な装飾美を観ただけで嫌厭されがちである。しかしわたしにとっては、それまでに出会った数多くの映画のなかでも、アンドレイ・タルコフスキーや溝口健二、イングマール・ベルイマンの作品群に並ぶ、いやそれ以上の「詩情(ポエジー)」の抜きん出た「過剰性」を感じるのである。
 それから折をみてはヴィスコンティ作品について何か書きたいと考えていたが、わたしには到底歯が立たないのでどこにも書いてこなかった。しかしそろそろ自らの人生を変えた作品について、今後詩人として歩むけじめとしても書かねばなるまい。本誌の創刊号への執筆依頼を受けたのは幸いであった。ちょうど今年はヴィスコンティ生誕百十年、没後四十年で、日本でもさまざまな企画が催されると聞く。わたしなりに勇気を振り絞って連載形式で書いてみたく思う。 

一、映画における「現実」と「詩」
 とはいえ、本論はなにもヴィスコンティの全作品について解説をするというものではない。作品紹介としてはすでに多くの著作があり、特に若菜薫『ヴィスコンティ 壮麗なる虚無のイマージュ』(鳥影社・二〇〇〇)は網羅的かつある程度ヴィスコンティ映画の美学の本質を解説しているので読まれたい。わたしがいまヴィスコンティについて語りたいとすれば、今述べた「詩情(ポエジー)」の「過剰性」と、フィルムに転写された「現実」なるものの対応関係、もっと端的にいえば「詩」と「政治」、あるいは「内界」と「外界」の対応関係である。のちに詳しく述べるが、最近わたしが考える「詩」とは、詩人が生きるある時代、ある国、ある社会の「現実」といかに深く切り結ばれているかによって、その優劣、強度が変わるものであり、特にヴィスコンティ作品の「詩情(ポエジー)」はこの点がもっとも苛烈に表出されていると考える。
 しかしここで勘違いをされてはいけない。わたしはなにも世の中の政治状況や社会状況に「詩」がべったりと寄り添わなければならないと言っているわけではない。たとえば過去の例では戦争翼賛詩、反戦詩といったものがその典型であるが、そうした何らかの思想やイデオロギー、権力・反権力問わず、何らかの主義のプロパガンダになることはむしろ堕落であると考える。逆にわたしが若き日に陥った「個人」の生活や内面的な精神世界を描写することもまた、プロパガンダの裏返しの、個人主義イデオロギーに従属した詩であり、まったく優れているわけではない。わたしが言いたいのは、「現実」を貫通する「詩」である。さらに間違ってはいけない。これはあの「超現実」ではない。シュルレアリズムももはやひとつのイデオロギーである。なるほどシュルレアリズムの作品は確かに「現実」を否定することではなく、これを前提として、詩人がさらに「現実」の向こう側(あるいはよりこちら側)を幻視する夢想のヴィジョンが表出される。映画史においても有名なブニュエルとダリ共作の『アンダルシアの犬』(一九二九)があるが、そこに表出されたヴィジョンは、わたしなどにはシュルレアリズムの言語実験の方法論を単に映像言語で切り貼りした小手先の「映像詩」としか思えない。
 ヴィスコンティの映像世界には、そのような小手先の偽造はない。敢えて言うならば「現実」それ自体を徹底的に凝視し、その確たる表象の輪郭の内奥にある名辞性や意味性を剝ぎ取った「現実」それ自体の裸像をあぶり出す。
 ここでひとつ、ヴィスコンティの映画の詳細に入る前に押さえておきたいことがある。
 そもそも、映像というメディアがもつ情報伝達力は、言葉以上に現実性が強いと思われがちである。たとえばついこの間NHKで放送された番組「新・映像の世紀 第5集 激動の60年代」(二月二一日)で、ベトナム戦争期にテレビが普及したことによって、人々は初めて戦場の悲惨を目の当たりにし、世界的な反戦運動が同時多発的に起こったことを当時の戦場レポートの映像とともに紹介していた。これは逆に言えば、テレビ映像がなければ、この世界にはベトナム戦争はなかったことの証左ともいえる。それまで新聞の活字で描かれた戦場の記事ではけっして知ることのなかった戦争の「現実」……。わたしたちは確かに、テレビ・ジャーナリズムやドキュメンタリー映画を見なければ、知ることのできない「現実」がこの世界にはあることを痛感している。むしろそうした映像そのものが、わたしたちにとっての「世界」であり「現実」である。わたしたちは最近のシリア難民の群れをテレビで見ることができる。この世界が見舞われている悲惨の「現実」を、平和なこの日本で知ることができる。
 しかしである。その「現実」が、いとも簡単に編集作業によって偽造されていることも当然わたしたちは知っている。これも同NHKの番組の第1集だったか、第二次大戦中の各国のプロパガンダ映画を取り上げ、いかに映画が人々に間違った「現実」を伝え、そして人々がそれを鵜呑みにしてしまったかを分析していた。おそらく詩人たちが書いた戦争翼賛詩などよりも、プロパガンダ映画は、その映像のもつ現実性ゆえに、より容易く人々をマインドコントロールしたと思われる。
 特に欧米では、第二次大戦期のナチスのプロパガンダ映画が、レニ・リーフェンシュタールの『意志の勝利』(一九三五)、『オリンピア』(一九三八)等、ほとんど芸術領域にいたるほど優れていたため、戦後はその反省から、映画やラジオ等からの情報を主体的に分析するメディア・リテラシーの能力の育成が、映画界、ジャーナリズム、教育の現場における喫緊の最重要命題となった。日本でも遅れて議論となったが、今日まで欧米ほど盛んに議論されてきていないのは残念と言わねばなるまい。さらに、あとで触れるヴィスコンティ作品にも通じることであるが、ヒトラーの演説が優れていたことはよく知られるが、その演説で使用された照明、音響演出は周到に練られ、大衆に劇的な感動を齎した。その決定的役割を果たしたのが、現在音楽のライブ会場等で使用されるPA(Public Addressの略)という、会場の音響照明を一箇所で操作する装置であった。映画も含め、ナチスがいかに大衆を扇動するためにメディア技術を発達させたかは、 今日のメディア・リテラシーを考える上で、未だ検討しなければならない基礎的命題と言えよう。
 つまりである。二十世紀以降、わたしたちが知っている「現実」、もっといえば「世界」は、何者かに偽造された人工物にどっぷりと浸かっているということである。もちろん目の前にいる犬、公園の樹々、通りをゆく人々は揺るぎない「現実」である。しかしそれら「現実」を見たすぐあとに、現代のわたしたちはスマホで、PCで、テレビで、映画館で、もうひとつの「現実」を生きている。どちらが本物でどちらが偽物か。果たしてわたしたちはその「現実」双方を正確に見抜いて生きているかを常に問わねばならない。
 なるほど、この命題は十九世紀末、リュミエール兄弟が世界ではじめて映画をパリで上映したとき、スクリーンの向こうから観客席に迫り来る列車をみた観客が一斉に客席から逃げたという、映画誕生の逸話からすでにはじまっている。それから百年超、映像メディアがこれほどまでにライフスタイルに浸透している二十一世紀のいま、命題への回答はいよいよ容易には語れない。わたしたちはもはや「二重の現実」を生きていると言わねばなるまい。
 そして、この「二重の現実」の境界それ自体を凝視すること、おそらくわたしの知る限り、これをヴィスコンティのみが徹底的に映画で行った。そしてその境界の裂け目から、裸の「現実」としての「詩情(ポエジー)」が一気に溢れ出す。

 二、 『地獄に落ちた勇者ども(Damned)』の「詩情(ポエジー)」

 先にわたしは「詩」と「政治」の問題に触れたが、どうやら踏み絵を踏んだがごとき思いである。しかしはじめた以上書かねばなるまい。一九六九年に公開された『地獄に落ちた勇者ども(英題:Damned)』は、ヴィスコンティがナチズムの「悪」に正面から取り組んだ問題作である。日本では公開当時、三島由紀夫が、「この壮大にして暗鬱、耽美的にして醜怪、形容を絶するような高度の映画作品を見たあとでは、大抵の映画は歯ごたえのないものになってしまうに違いない。」(「映画芸術」)と絶賛したことで有名である(なお日本公開は一九七〇年なので、三島が自決した年でもあり、この点もまた後に触れたい)。
 物語は、ヒトラー政権が誕生した一九三三年二月から、「長いナイフの夜」と呼ばれる、政権へのクーデターを企てた突撃隊(SA)をヒトラーが粛清し全権掌握をする一九三四年六月三〇日までの間に繰り広げられた、武器開発をすすめるある財閥企業の経営一族内での権力闘争劇である。いわばヴィスコンティはこの富豪一族の内部政治劇に、ヒトラーが全権を握るまでの過程を凝縮させているのであるが、特に重要なのは、この家族内闘争の中心人物で主人公の美青年が、女装趣味のペドフィリア(小児性愛)で、数々の禁断行為におよび、最後には母子相姦に至り、親殺しによって権力を握るという歪な性愛の物語であることである。
 ヴィスコンティはこの物語を作り上げるためにシェイクスピア『マクベス』を下敷きにし、ワグナーの『神々の黄昏』、トーマス・マン『ブッデンブローグ家の人々』、ドストエフスキーの『悪霊』などをコラージュして作り上げていることは、先に挙げた若菜の著書ほかでも指摘されている。これらの映画の各シークエンスの詳細は映画自体を観ていただくことが一番なのでここでは省くが、現在、わたしたちが観慣れている最新の映像技術に比すれば、この映画の主人公の禁断行為にしろ、また「長いナイフの夜」の血みどろの殺人シーン(SAたちによる同性乱交パーティで行われる)にしろ、すべて「造りもの」であって、思わず吹き出さずにはいられないところもある。
 しかしである。その「造りもの」であることの徹底が半端ではない。おそらくヴィスコンティが現在に同じ映画を撮ったとしても、全く同じように、あたかもナチズムそれ自体があからさまな人工物であったかのごとく描いたにちがいない。
 たとえば主人公はその性癖によって、数々の倫理を破壊していくのであるが、彼はけっして自分の意志を持たない、ただの臆病者であり、のっぺらぼうのごとき存在に過ぎない。にもかかわらず、その美貌と性癖の異常性が相まった得体の知れない魅力をヴィスコンティが人工的に演出することによって、最後には権力の、つまりアドルフ・ヒトラーという独裁者の「イコン」へと一致させることに成功している。この「造りもの」の徹底した演出が、けっしてありきたりな反ナチズムの言辞に陥らず、エロティシズムと死を過剰なまでにフィルムに焼き付け、当時の人々がなぜナチズムに惹きつけられたか、そしてなぜその「悪」を見抜けなかったかの本質をあぶり出しているのである。
 つまり実際のホロコーストという人類史上最悪の「悪」を犯した政体としてのナチズムの「現実」と、そのような事実を知らなかった、ナチズムがもつエロティックでさえある「美」に魅了された大衆の「現実」が、けっしてどちらが本当でどちらが偽物かという問題ではなく、どちらも重なっている「二重の現実」であったということを映画監督ヴィスコンティはこの映画で描ききっているのである。
 では、この映画における「詩情(ポエジー)」はどこにあるのか。一言で述べるならば、すべてのシーンそれ自体である。この映画のどこを取ってもいい。冒頭の富豪家族が邸宅に集まり食事をするシーン、主人公が幼女に手をかけるシーン、誰もいない空っぽの邸宅の風景、「長いナイフの夜」の死とエロティシズムが交差するシーン、母子相姦による権力交代のシーン、そして主人公がナチ式敬礼を死者(母であり客席)に対してするラストシーン、などなどどこでもいい。すべてのシーンにおいて何が本当だか嘘だか分からない、まさにわたしたちが生きているこの「世界」そのものの「二重の現実」を、徹底した「長回し」による凝視のカメラで過剰なまでに描ききられる。すると「詩情(ポエジー)」はその「二重の現実」の過剰さゆえに、自ずとスクリーン全体から不気味に充溢してくるのである。
 さらにこのヴィスコンティ映画の「詩情ポエジー」の過剰さを裏付けるものが、その豪華絢爛なセット、衣装、等々である。すべてが名門貴族ヴィスコンティ家が中世以来代々持ちつづけてきた「本物」であるがゆえに、他の映画ではけっして見ることができない重い「歴史性」をともなって「詩情(ポエジー)」が噴出してくる。ついには暗黒の何も見えないシーンでさえも「詩情(ポエジー)」と化すようだ。そう、「詩情(ポエジー)」とは、けっきょくのところ善悪を超えた得体の知れないもの、異界との接触の感覚、説明のつかない美感であるから、わたしたちはこの『地獄に落ちた勇者ども』におけるヴィスコンティの「凝視」力によって、ナチズムに対してさえも、善悪の判断を超えた「詩情(ポエジー)」を見出してしまうのである。これは「現実」=「詩」という稀な例であり、「政治」と「詩」が真に切り結んだ類をみない芸術作品と言える。
 ここで忘れてはいけないことがある。戦後イタリアにおいて、ファシズムの偽造の美世界への反動として、真実を伝える映画を作るべく「ネオリアリズモ」という運動が起こった。若きヴィスコンティはその先端にいた映像作家であった。しかしそもそも映画における「リアリズム」とは何かを、ヴィスコンティはつねに問わずにはいられなかったはずである。次は、この『地獄に落ちた勇者ども』を含めた〝ドイツ三部作〟と呼ばれる作品群などにも触れながら、初期リアリズム時代から貫かれたテーマ「家族」を中心に、ヴィスコンティにおける「現実」とは何か、「詩」とは何かを多角的に考える。さらにはヴィスコンティを語るとき避けて通れないのが三島由紀夫であろう。三島がなぜヴィスコンティ映画を愛したのか。そしてなぜ三島は映画『憂国』を撮ったのか。どうやらそこにも現代詩があまり触れずにきた危険な「詩」の問題が隠れているようである。解かなければならない問題は山積している。

『地獄に堕ちた勇者ども(Damned)』海外予告編
*「映画+詩 影・えれくとりっく vol.1」(編集発行人:杉中昌樹、発行所:詩の練習、2016年4月8日)掲載
中村剛彦(なかむらたけひこ)
1973年、横浜生まれ。詩人。元ミッドナイト・プレス副編集長。詩集『壜の中の炎』『生の泉』(ともにミッドナイト・プレス)。共著『半島論 文学とアートによる叛乱の地勢学』(響文社)。老犬と老猫と暮らす。
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