竹内敏喜 『魔のとき』 
L・Bに倣って 7 (二〇二〇年六月二六日)

生物学を学んでいない人とは話ができない
と書き残した碩学もいたが
電子空間で生活する人の急増に、そう叫びたい気持ちも湧いてくる


梅雨の晴れ間の正午まえ
強いではなく、大きな風が頭上を通りすぎる

そのふくらみにホウネンエビやカブトエビが映っている

少年のころは夏の田んぼで、たくさんの生き物をてのひらに乗せた
雨が降りだし、カミナリが光り響いて、皆が走り去っても
一人でまだ泥のなかを手探りしていた


そして今、ピアノ・ソナタ二三番の第二楽章を深呼吸していると
L・Bが生きているというのが真実で
自分は、もともと死んでいるかのような無感覚をおぼえる


「まぁ、たとえば昔々の天皇が現実離れして長寿なのは
いつも生き、いつも若く、それでいて中休みがあるからなんだ
人格として更迭はあっても、神格に死滅はないからね」


つまり次の人、次の人と、同じ神格を担っていったのだろうけれど
それなら人格って何なのだろう
光に洗脳されて、日焼けした筒みたいなものか…


あぁ、ここからずっとずっと遠いアイヌの地の教えでは
すべての神々と人間とを結ぶ役割を
火の神が果たしていて


人に相談された火の神は
あらゆる神に頼みに行ったという


不動明王が明王のなかでとりわけ崇拝されたのは
そういった火の神への期待が
日本の原始神道にもあったからではないかとある識者は語っている


この国のかつての人々は炎の使い道を知っていたのだ
きっと、会いたくて会えない人を、守ってもらったのだろう

竹内敏喜(たけうちとしき)
詩人。1972年京都生まれ。詩集に『翰』(彼方社、1997年)、『風を終える』(同、1999年)、『鏡と舞』(詩学社、2001年)、『燦燦』(水仁舎、2004年)、『十六夜のように』(ミッドナイト・プレス、2005年)、『ジャクリーヌの演奏を聴きながら』(水仁舎、2006年)、『任閑録』(同、2008年)、『SCRIPT』(同、2013年)、『灰の巨神』(同、2014年)​​​​​​​。
 
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