竹内敏喜 『魔のとき』 
L・Bに倣って 6 (二〇二〇年六月八日)

この星が誕生したときにも
闇はすでに、その背後にくっついていたのだから
なんらかの仕事を抱えていたのだろうと

冷静に考え直せば
光とは、地球外からやって来るものを意味しているようで
どちらに好意を持つべきか、わからなくなってくる

ぶきみな存在だと思っていた、あの夜行性の
ちまちました生き物たちこそ知っていたのだろう
光の支配下にあるのは、心底おそろしいということを

今では、人類の大半も
生まれてから死を迎えるまでの月日すべてを世にさらし
闇の岸辺を削るみたいに、歩かされている

その光線の輝きは色鉛筆の削りカスのようで
その熱はデジタルな数字の点滅に似ていて
きまぐれに耳を傾けては、線路と車輪のキシリに驚かされるまま

ムラがあるゆえに自然だと認め合い、その抱擁に安心し
利益の何割かの搾取もしかたないとあきらめて
他人が次々に見捨てられても自分は大丈夫だと決めつけている

だが、癒えない喉の渇きを知る者なら
ピアノ協奏曲五番を、カデンツァから飲み干してはいないか
その麦の水にデモーニッシュな泡をあふれさせ…

(もっとも(すぐれた(人々は(苦悩を(通して(歓喜を(かちうる

「言葉は、世界を救ったりしない
人類に救いの手をさしのべられるだけ
闇からエネルギーを得て、小さい炎を灯しているだけ」

この炎こそ、慰めのロウソクだとだれが知ろう
見知らぬため息にすら、消えてしまったり
目を離せば大事な森ひとつくらい、簡単に消滅させるけれど

竹内敏喜(たけうちとしき)
詩人。1972年京都生まれ。詩集に『翰』(彼方社、1997年)、『風を終える』(同、1999年)、『鏡と舞』(詩学社、2001年)、『燦燦』(水仁舎、2004年)、『十六夜のように』(ミッドナイト・プレス、2005年)、『ジャクリーヌの演奏を聴きながら』(水仁舎、2006年)、『任閑録』(同、2008年)、『SCRIPT』(同、2013年)、『灰の巨神』(同、2014年)​​​​​​​。
 
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