竹内敏喜 『魔のとき』
L・Bに倣って 5 (二〇二〇年五月二三日)
劇中のある人物として、自分を演じさせることに
疑問を持たない瞬間が増えている
職場の同僚やお客に対してだけでなく、むしろ家庭にこそ…
そこは日常で(本当か?)あるはずなのに、ワタシは役目を背負わされ
筋書きは与えられないまま
疲労とともに動作がにぶくなり、表情はとぼしくなり
微笑みつつ、剥がれた感情がうちなる別世界に吸い込まれていくようで
だれもが弱法師を謡い
月見座頭を舞う気分を意識していると、感じざるを得なくなる
俳優という職業が世に認められているから
皮肉にもこんな息苦しい状態に陥ってしまうのか
もちろん悲劇を演じる本職の役者なら
観客の同情を自分に集めるように演じられるともいえるが
本来ならその主体は、おのれの立場を理解しているはずはなく
渦中の主人公としてはひどく無邪気に
他者から見ると
あやうく、あいまいに、透きとおっていて
「少年が天に捧げる歌みたいな存在だって
譬えたいんじゃないの
要するに自然の発する愛らしさのおまけだろうね」
そうではあるけれど、きみがほのめかす憂い以上に
生きていく悲しみをまわりに伝染させてしまう何かであって
その子が、一人っきりでいるとき、空気は完全に静止し
すべてが止まっているのではないかとさえ危惧させられる
そこではきっと、ピアノ協奏曲四番の第一楽章が
ひたすら鳴り響いていて
弾き手も楽器もなく
ただ型通り、流れているはずで
疑問を持たない瞬間が増えている
職場の同僚やお客に対してだけでなく、むしろ家庭にこそ…
そこは日常で(本当か?)あるはずなのに、ワタシは役目を背負わされ
筋書きは与えられないまま
疲労とともに動作がにぶくなり、表情はとぼしくなり
微笑みつつ、剥がれた感情がうちなる別世界に吸い込まれていくようで
だれもが弱法師を謡い
月見座頭を舞う気分を意識していると、感じざるを得なくなる
俳優という職業が世に認められているから
皮肉にもこんな息苦しい状態に陥ってしまうのか
もちろん悲劇を演じる本職の役者なら
観客の同情を自分に集めるように演じられるともいえるが
本来ならその主体は、おのれの立場を理解しているはずはなく
渦中の主人公としてはひどく無邪気に
他者から見ると
あやうく、あいまいに、透きとおっていて
「少年が天に捧げる歌みたいな存在だって
譬えたいんじゃないの
要するに自然の発する愛らしさのおまけだろうね」
そうではあるけれど、きみがほのめかす憂い以上に
生きていく悲しみをまわりに伝染させてしまう何かであって
その子が、一人っきりでいるとき、空気は完全に静止し
すべてが止まっているのではないかとさえ危惧させられる
そこではきっと、ピアノ協奏曲四番の第一楽章が
ひたすら鳴り響いていて
弾き手も楽器もなく
ただ型通り、流れているはずで
竹内敏喜(たけうちとしき)
詩人。1972年京都生まれ。詩集に『翰』(彼方社、1997年)、『風を終える』(同、1999年)、『鏡と舞』(詩学社、2001年)、『燦燦』(水仁舎、2004年)、『十六夜のように』(ミッドナイト・プレス、2005年)、『ジャクリーヌの演奏を聴きながら』(水仁舎、2006年)、『任閑録』(同、2008年)、『SCRIPT』(同、2013年)、『灰の巨神』(同、2014年)。