竹内敏喜 『魔のとき』以降 
L・Bに倣って 5 (二〇二〇年五月二三日)

劇中のある人物として、自分を演じさせることに
疑問を持たない瞬間が増えている
職場の同僚やお客に対してだけでなく、むしろ家庭にこそ…


そこは日常で(本当か?)あるはずなのに、ワタシは役目を背負わされ
筋書きは与えられないまま
疲労とともに動作がにぶくなり、表情はとぼしくなり

微笑みつつ、剥がれた感情がうちなる別世界に吸い込まれていくようで
だれもが弱法師を謡い
月見座頭を舞う気分を意識していると、感じざるを得なくなる

俳優という職業が世に認められているから
皮肉にもこんな息苦しい状態に陥ってしまうのか

もちろん悲劇を演じる本職の役者なら
観客の同情を自分に集めるように演じられるともいえるが
本来ならその主体は、おのれの立場を理解しているはずはなく

渦中の主人公としてはひどく無邪気に
他者から見ると
あやうく、あいまいに、透きとおっていて

「少年が天に捧げる歌みたいな存在だって
譬えたいんじゃないの
要するに自然の発する愛らしさのおまけだろうね」

そうではあるけれど、きみがほのめかす憂い以上に
生きていく悲しみをまわりに伝染させてしまう何かであって
その子が、一人っきりでいるとき、空気は完全に静止し

すべてが止まっているのではないかとさえ危惧させられる
そこではきっと、ピアノ協奏曲四番の第一楽章が

ひたすら鳴り響いていて
弾き手も楽器もなく
ただ型通り、流れているはずで

竹内敏喜(たけうちとしき)
詩人。1972年京都生まれ。詩集に『翰』(彼方社、1997年)、『風を終える』(同、1999年)、『鏡と舞』(詩学社、2001年)、『燦燦』(水仁舎、2004年)、『十六夜のように』(ミッドナイト・プレス、2005年)、『ジャクリーヌの演奏を聴きながら』(水仁舎、2006年)、『任閑録』(同、2008年)、『SCRIPT』(同、2013年)、『灰の巨神』(同、2014年)​​​​​​​。
 
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