竹内敏喜 『魔のとき』
L・Bに倣って 3 (二〇二〇年四月一四日)
植え終えたばかりの水田がむこうへと続き
一面の揺れの数メートル上空、やや厚い霧雨はカーテンにも似て
激しくうねり、きみの声として通り過ぎていった昨日
スズメのにぎやかさに、町なかの街路樹や草花を見廻せば
なんとさっぱりした色彩が歓喜にあふれ
余白に家々を点在させていることか
思えば、雨に感謝した民族としての記憶を失くし
人類の大半は本当に欲しいものがわからなくなったのではないか
自覚ある人物なら、これまでの一生を振り返り
もっとも欲しいもの、試みたいことではなく
二番目に好きなものに執着していたと感じているはずだ
少年のころは仲の良い友とサッカー遊びに明け暮れ
青年期はエレキギターを毎日八時間以上も弾き
その後は、睡眠以外のときを古典の味読に費やしたりもしただろう
いつだって諦念があったわけではないが
今になってわかるのは、ジャングルや無人島を冒険することも
なんらかの競技や演奏を極めることも、最上とは違うということ
やがて、まさに、ようやく
交響曲五番の冒頭の律動が胸にわきあがる
嵐のなかでしか清められないものがあって
ぶつかりあっては枝を折り、ゆさぶりに多くの葉を飛ばし
翌朝、きらきらとそこに現れるものたち
それは人工社会の進む道の、必然性を問いただしているのか
人間の可能性に頼っても命を縮小させるだけだと
共生の感覚において、穏やかに澄むべきだと示しつつ…
きみはもう知っているようだね
昨日の荒々しい声は聞き取れなかったけれど
この午前九時の輝きには、きみのやさしさばかりが見えてくる
植え終えたばかりの水田がむこうへと続き
一面の揺れの数メートル上空、やや厚い霧雨はカーテンにも似て
激しくうねり、きみの声として通り過ぎていった昨日
スズメのにぎやかさに、町なかの街路樹や草花を見廻せば
なんとさっぱりした色彩が歓喜にあふれ
余白に家々を点在させていることか
思えば、雨に感謝した民族としての記憶を失くし
人類の大半は本当に欲しいものがわからなくなったのではないか
自覚ある人物なら、これまでの一生を振り返り
もっとも欲しいもの、試みたいことではなく
二番目に好きなものに執着していたと感じているはずだ
少年のころは仲の良い友とサッカー遊びに明け暮れ
青年期はエレキギターを毎日八時間以上も弾き
その後は、睡眠以外のときを古典の味読に費やしたりもしただろう
いつだって諦念があったわけではないが
今になってわかるのは、ジャングルや無人島を冒険することも
なんらかの競技や演奏を極めることも、最上とは違うということ
やがて、まさに、ようやく
交響曲五番の冒頭の律動が胸にわきあがる
嵐のなかでしか清められないものがあって
ぶつかりあっては枝を折り、ゆさぶりに多くの葉を飛ばし
翌朝、きらきらとそこに現れるものたち
それは人工社会の進む道の、必然性を問いただしているのか
人間の可能性に頼っても命を縮小させるだけだと
共生の感覚において、穏やかに澄むべきだと示しつつ…
きみはもう知っているようだね
昨日の荒々しい声は聞き取れなかったけれど
この午前九時の輝きには、きみのやさしさばかりが見えてくる
竹内敏喜(たけうちとしき)
詩人。1972年京都生まれ。詩集に『翰』(彼方社、1997年)、『風を終える』(同、1999年)、『鏡と舞』(詩学社、2001年)、『燦燦』(水仁舎、2004年)、『十六夜のように』(ミッドナイト・プレス、2005年)、『ジャクリーヌの演奏を聴きながら』(水仁舎、2006年)、『任閑録』(同、2008年)、『SCRIPT』(同、2013年)、『灰の巨神』(同、2014年)。