竹内敏喜 『魔のとき』 
L・Bに倣って 14 (二〇二〇年一〇月一七日)

老いとは髪が白くなったり、皺が増えてくること以上に
もう遅すぎる、勝負は終わってしまった
舞台はすっかり
次の時代に移ったという気持ちになることであり
精神を無関心な状態にすること

消えてゆくもの、それは
行動の能力ではなく行動の意志であると
アンドレ・モーロアは慨嘆した…

おのれもそうなりつつあると、感じないか
自分のまわりの知り合いもそうだと見えてこないだろうか

そんなときには思い返してみよう
ヴァイオリン・ソナタ八番の第二楽章を聴きながら
赤毛のあの少女が、こんなふうに声をあげていたことを

…暗闇を友としていると、ここはすばらしいでしょう
 灯りをつけると暗闇が敵になって
 恨めしそうにこちらを睨みつけるのよ

「ここ」とは住み慣れた部屋
世界中でただ一つ、自分が平和だと安らげる椅子
独占欲が強いゆえに感情の起伏が激しい暗闇とも
コツさえ知っていれば
うまくおしゃべりができる開かれた窓

この身を闇へ溶け込ませたなら
中心だけの存在となり
手を伸ばしてすべての果てに触れられる…

誕生と婚礼と死によって清められなければ
本当の家とは言えないと、どこかの牧師が語ったそうだが
この国の大人は、その三つの出来事を事務的な場所で処理している

だから仮の住まいで、犯罪を描いた炎のような作品にふけり
街頭ではイヤホンでリズムに焼かれるしかないのだろう

竹内敏喜(たけうちとしき)
詩人。1972年京都生まれ。詩集に『翰』(彼方社、1997年)、『風を終える』(同、1999年)、『鏡と舞』(詩学社、2001年)、『燦燦』(水仁舎、2004年)、『十六夜のように』(ミッドナイト・プレス、2005年)、『ジャクリーヌの演奏を聴きながら』(水仁舎、2006年)、『任閑録』(同、2008年)、『SCRIPT』(同、2013年)、『灰の巨神』(同、2014年)​​​​​​​。
 
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