竹内敏喜 『魔のとき』
L・Bに倣って 13 (二〇二〇年一〇月七日)

西洋史を遡り、文化、民族、宗教としての
それぞれの素顔を覗いてみると

地中海の温暖な環境で育まれた古代文化なら
人間の自然な姿ゆえに裸体を賛美し

北方のゲルマンという民族性は、裸体を
人間の尊厳がはぎとられた恥ずべき状態だと見做し

キリスト教では、堕落への誘惑として
肉体を否定的に評価する…

精神の自由意志をなにより重んじたから
同性愛こそ高貴で純粋な恋愛だと男たちは論じたり
(女性の同性愛は快楽に切りがないとして嫌悪された)

逆に、性の目的を生殖に限定することで
肉体の欲求に歯止めをかけようとした

これらの紳士的な常識が消え去ることはなかったけれど
やがてプロテスタンティズムが生殖作用すら抑圧し

未来のない檻のなか、人々は無限の妄想をひろげ
そのイメージの商品化により資本主義は拡大再生産する
(むっちり、ごわごわ、産毛輝く洋尻であるシステムの繁栄よ)

現世! はびこる物質皆資産化の出自は
ここにあると「お尻学」の権威が論じているわけではないが…

一冊の著作の要約によりつつこの詩歌を立たせ

ページをめくる反復運動を味わえば

ピアノ・ソナタ一七番第三楽章が飛翔する…

愛情なき信仰は空虚であり
信仰なき愛情は盲目である

竹内敏喜(たけうちとしき)
詩人。1972年京都生まれ。詩集に『翰』(彼方社、1997年)、『風を終える』(同、1999年)、『鏡と舞』(詩学社、2001年)、『燦燦』(水仁舎、2004年)、『十六夜のように』(ミッドナイト・プレス、2005年)、『ジャクリーヌの演奏を聴きながら』(水仁舎、2006年)、『任閑録』(同、2008年)、『SCRIPT』(同、2013年)、『灰の巨神』(同、2014年)​​​​​​​。
 
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