竹内敏喜 『魔のとき』 
L・Bに倣って  10 (二〇二〇年八月一二日)

ジョルジュ・ド・ラ・トゥールの画集を
一枚、一枚と眺めていると
部屋のなかは翳ってきて


天からの地響きがつづき
いかにも激しく雨は降りだし


その弾みは、ピアノ・ソナタ三一番の
フーガの一音、一音を真似ていき
午後三時の暗さを告げる


しぼんだアサガオの花を打ち
うっすら汚れた濡れ縁にぶちあたり
ここ数日の暑さを忘れさせ


なだめようとするのか
ラ・トゥールの強い明度の炎へと
心をいざなう


…鏡の前のマグダラのマリア
これは、神話ではない


油煙をあげる火は頭蓋骨のあちらにあって
骨の全体を黒く明瞭にしつつ
画面右のマリアの横顔を艶やかに照らす


物憂げに自分を鏡でみつめているが
絵の鑑賞者の位置からは
画面左にあるその表面に頭蓋骨が映って見え


彼女は死と向かい合っている
これは、世界による視線ではないか
炎はまさにその中心に隠れている


雨は止むまで、しぼんだ花に受けとめられ
濡れ縁いっぱいに横たわり
その中心のなさを謳歌するということか

竹内敏喜(たけうちとしき)
詩人。1972年京都生まれ。詩集に『翰』(彼方社、1997年)、『風を終える』(同、1999年)、『鏡と舞』(詩学社、2001年)、『燦燦』(水仁舎、2004年)、『十六夜のように』(ミッドナイト・プレス、2005年)、『ジャクリーヌの演奏を聴きながら』(水仁舎、2006年)、『任閑録』(同、2008年)、『SCRIPT』(同、2013年)、『灰の巨神』(同、2014年)​​​​​​​。
 
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