竹内敏喜 『魔のとき』以降 
ヴォルフィー変奏 1 (二〇二〇年一二月七日〜)


   1

この世で美しいものは風だけだと

もはや感じるようになり
一人になれば、また耳を澄ましている
ヴォルフィーの響きへ

いくども聴いているはずなのに
あちこち、おぼえていなくて
どちらかといえば知らないという気になるけれど
それは、とても懐かしく…


  (2)

Cが湯治に行っていたバーデン
シュトールは無防備なCを助けただけでなく
教会で彼の音楽を演奏してくれたから
感謝をこめた贈りものとして合唱長のために曲は作られた


そのころ彼はゴットフリート男爵に
バッハを教えられ、その対位法に刺激を受けていた
それは、彼の死の半年前のこと
何かが始まろうとする光りのゆらめき


   3

…人間が爬虫類にしか見えない朝
個となり
窓をうつ雨を
葬列のごとく聞いていた


地球儀とサッカーボールが
同じように照らされていた部屋
古いクーラーの色褪せたひも
ひょろひょろと風は、ほこりっぽく


   4

水田のカエルが、いっせいに止むと
人の想いもとぎれた
夜という
一面の鏡に見下ろされ


恋に華やぐ力が、奪い合い
その血と粘膜のひとつひとつに
乱れる月の輪
そこでもそいつは両腕をひろげていた


   5

夕陽の方角へ
右の手首を向けているそいつ
ぶこつな指は五本、垂れ下がっている
神無月の風が強すぎて、はらはらと


たちまちもぎ取られ
二度と戻されることのない手のかたち
何をつかむわけでもなく
案山子は両腕をひろげ、眠るよう


   6

眼と羽と尻尾をのばして静止する
赤トンボ
ほころびた糸のような足で
そっと、そいつの腕につかまる


まるで重力が
八方から引っ張るようで
小さな肉体の中心から
光りがあふれていた


   7

水より、空よりも
自在である言葉だから
世界の裂け目にも似た案山子に
反芻するべき響きは与えられない


けれども、その年の秋は短く
夜は長く厳しくて
気がつけばそいつこそ
十字架にもっとも近づいていた



竹内敏喜(たけうちとしき)
詩人。1972年京都生まれ。詩集に『翰』(彼方社、1997年)、『風を終える』(同、1999年)、『鏡と舞』(詩学社、2001年)、『燦燦』(水仁舎、2004年)、『十六夜のように』(ミッドナイト・プレス、2005年)、『ジャクリーヌの演奏を聴きながら』(水仁舎、2006年)、『任閑録』(同、2008年)、『SCRIPT』(同、2013年)、『灰の巨神』(同、2014年)​​​​​​​。
 
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