竹内敏喜 『魔のとき』以降 
ヴォルフィー変奏 2 (二〇二〇年一二月一九日〜)


   8

「目と歯だけは大事にしなあかんとおもうわ」
そんなふうに話す
人がいて
みんな、深くうなずいている

耳と鼻の方こそ
心を安らかにしてくれるだろうに
と考えてみるが
一人っきりならどちらも同じことか


   9

風とは出会いのこと
そのときであるということ
おのれに似せて人類をつくった創造主は
きっと、風の耳に住んでいる


目が見えるとは
まぶたで閉ざせるということだから
耳が聞こえるのは
耳自身ではふさぐことができないということだから…


  (10)

彼の死の五年後、『ウィルヘルム・マイステル 修行時代』は上梓され
そこには、「不断の忠誠と愛とによって下僕も、平素は彼らをただ
給金をもらう奴隷とのみ見ている主人と同等の者になりうる。いや、
この美徳は、低い階級のためにのみあるとさえ言える」


「たやすく恩返しのできる人は、とかくまた恩を忘れやすい。
この意味で、身分の高い人は友だちを持つことはできても、
人の友だちになることはできないと言えると思います」
とのゲーテの訴えがあり、彼には読めなかった時代が映し出されている


   11

…立て札が、雑草に持ち上げられている
たしかこれは
蹴り倒したもの
砂利のうえへ音を立てたはずなのに


あの裏には宗教法人の文字があるだろう
山を奪われたという怒りは失せても
少年の心こそ
残骸とクサリでつながれている


   12

ふと、線香を灯したくなる
一五のときに亡くなった祖父よ
家族に内緒で、よく百円玉を一枚もらった
顎をひいて財布に人差し指をつっこみ


一枚ずつ、てのひらへ並べていたね
ときに祖父を思い起こしているうちに
若い母や祖母について、ほとんど思い出せないと
気づいたときの、あけっぴろげの空虚よ


   13

大学の寮を引き払ったのは
卒業式のほか、予定がないというとき
冷えきった現在へ、父と母に妹まで来てくれたから
片づけが済むと缶ジュースを買いに出た


ここの眺めも見納めと、ゆっくり階段を上がり
扉を開き、がらんとした部屋のなか
中央にかたまる三人のうつむいた姿の小ささを見て
鐘が割れるような衝撃を受けたこともあった


   14

これらの開いたままの裂け目は
傷ではない
とはいえ鍵穴になりかねない
風はそこで、歌を集めようとしている


じっと待っていれば言葉はやって来るだろう
若さの輝きの後に
母性のやすらぎが訪れるように
幼い子が背中から抱きしめてくれるように







竹内敏喜(たけうちとしき)
詩人。1972年京都生まれ。詩集に『翰』(彼方社、1997年)、『風を終える』(同、1999年)、『鏡と舞』(詩学社、2001年)、『燦燦』(水仁舎、2004年)、『十六夜のように』(ミッドナイト・プレス、2005年)、『ジャクリーヌの演奏を聴きながら』(水仁舎、2006年)、『任閑録』(同、2008年)、『SCRIPT』(同、2013年)、『灰の巨神』(同、2014年)​​​​​​​。
 
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