竹内敏喜 蛇足から  
蛇足から 9 (二〇二三年三月一二日)

     
この二一世紀、人と人との関係性をあやつるのは
人工的な単一システムによる管理への無自覚な従順さだろうか
いつしか「責任」で意味されるものにも
経済ネットワークの持続が目的のように組み込まれ
この星の本能に忠実であることは
非効率で無秩序に属すると感じる者の方が多い

「安心」の感覚を支えるものとして
充分な貯金を願うことに露ほども疑いを抱かず
あわせて自分が死を迎えるときに
稼いだ金を使い切らずにいることの意味を掘り下げて考えない
その残りものは生前の無駄にした時間を示すのかもしれないのに
(死いわく、不自由は時間を意味するかな)

本来ならその全額で安楽死を買うことだってできただろう
それは死に臨んで肉体の痛みを遠ざけることではない
それは子や孫の安泰を見届けようとすることではない
それは縁のあった友人すべてと和解することではない
それは一生に悔いがなかったと納得することではない
ましてやすべては幻だったと力なくほほえむことでもない

単なる貯金は社会に対し責任を果たしていると認められないから
じわりじわりとシステムは保険や税金を強制してきた
その限界がくれば手軽な投資を勧める
投資が滞ればさらに労働者を増やそうとして
まずは女性、次に高齢者、しだいに若年層へと手を伸ばす
その際にだれもが平等に働ける時代だと夢見させる

いずれは金銭的な取り引きが細部に至るまで情報化され
収入や支出が丸裸でシステムに把握されれば
あらゆる給与に使用期限が設けられるにちがいない
それは最速で経済活動を活性化させるためであり
いわば来るべき破綻を早め次のシステムに移行したいがためでもある
なぜならシステムも崩壊において自己の完成を超えるのだから

ここ数年の強いウイルスとの共生で過敏な個人が学んだのは
部屋にこもっても生きていけるという実感だったのではないか
隣人はいらない、遠い共感者こそ楽しい
それは人がシステムと同化している姿でもあるだろう
…この作品が詩に似ていないことで
詩であることを主張するのとまったく逆のあり方として


竹内敏喜(たけうちとしき)
詩人。1972年京都生まれ。詩集に『翰』(彼方社、1997年)、『風を終える』(同、1999年)、『鏡と舞』(詩学社、2001年)、『燦燦』(水仁舎、2004年)、『十六夜のように』(ミッドナイト・プレス、2005年)、『ジャクリーヌの演奏を聴きながら』(水仁舎、2006年)、『任閑録』(同、2008年)、『SCRIPT』(同、2013年)、『灰の巨神』(同、2014年)​​​​​​​。『魔のとき』(同、2022年)
 
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