竹内敏喜 蛇足から  
蛇足から 8 (二〇二三年二月二四日)

     
かつて、白川郷では
合掌造りの家に大家族で住んでいたが
主人とその妻、隠居した老主人とその妻のほかに
夫婦とされるものはなかった

主人の弟や妹、老主人の弟や妹に
正式な結婚は許されないため
自然への妥協のゆえか
他の家に、妻や夫に相当する相手をもっていた

そうして生まれた子は、その母のもとで育てられる
一家が仕事に出ているあいだ
同じ境遇の赤子らと
それぞれワラの桶に入れられ縁側に並べられる

田畑から戻ったその母は、まず
縁側で泣いている一人に乳を与えるだろう
それはだれの子でもかまわない
わが子には、次に帰ってくる別の母が乳をくれるから

…労働の共同性を確保するためには
育児の共同性にまで及ばなければならないことが
ここに示唆されている、と民俗学者はいう
およそ子どもは母の専有物だと認められなかったと

だからといって、だれが養育してもうまくいくわけではない
もっとも合理的で違和感がなかったのは
実母の妹とされ、そのつながりは
性の手ほどきにまで及んだと、神話に刻まれている

そうした戸主や家長をとりわけ尊重する習慣は
東北型の大家族の家に根強く
西南型では、一家のなかに
複数の世帯で共生する傾向があった

犠牲に苦しむとはいえ、生き延びるための知恵に違いなかった

その知恵こそ、世の労働様式の変化であっさり崩れる
やがて楽しさで満たされようとする親子三人ほどの
家々の、しきりに繰り返される小粒な滅び
親しみなき近隣住民は老いて、古い紙幣のように姿を消す

竹内敏喜(たけうちとしき)
詩人。1972年京都生まれ。詩集に『翰』(彼方社、1997年)、『風を終える』(同、1999年)、『鏡と舞』(詩学社、2001年)、『燦燦』(水仁舎、2004年)、『十六夜のように』(ミッドナイト・プレス、2005年)、『ジャクリーヌの演奏を聴きながら』(水仁舎、2006年)、『任閑録』(同、2008年)、『SCRIPT』(同、2013年)、『灰の巨神』(同、2014年)​​​​​​​。『魔のとき』(同、2022年)
 
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