竹内敏喜 蛇足から  
蛇足から 7 (二〇二三年二月一四日)

     
彼らの手には、カザノヴァ回想記の一挿話を題材に
ホフマンスタールのまとめた『クリスティナの帰郷』

…無垢な田舎娘を誘惑し
熱意をもって結婚の約束までするが
もちろん実行されることなく、その後は策を弄しつつ


主人公いわく「楽しみを味わった後では
天秤はわたしの側に沈み、エゴイズムが愛をしのいでしまった」


自分は独りでいることの利得を捨てられない
だが代わりに、ある決心をしよう
彼女を幸福にするのだ
なんといっても彼女はかわいく
純真で、あまりに疑うことを知らないのだから


この決心は見事に実現され
彼女はカザノヴァの見つけてきた若者と喜んで結婚し
「幸福になったのはあなたのおかげ」
と、裏切り者でもある彼に感謝を惜しまない


おもむろに彼が、過去の誘惑を詫びると
「最初からだますつもりだったの」と彼女は尋ね
そうではないと彼は弁解する


「それなら、だましたことにならないわ
あなたとの結婚が不幸になると考えたのなら
こうして、別の人を見つけ
とんとん拍子に事を運んでくださったことに
わたし、お礼をいわなくてはならないわ」


彼女にとっては幸福な結婚こそが真の望みだから
はじめの失敗など、男女関係にうとかった自分を反省して
こだわりなく水に流してしまえる


…この物語を喜劇に仕立て上げたのは、詩人の手腕?
それとも回想をまとめたエピキュリアンの満足気なまなざし?


いや、一人の女性のおおらかな愛らしさが
ドラマとしては物足りないハッピーエンドを飛び越え
彼らのうちなる歌心に、一夜の指揮棒を振るうから


竹内敏喜(たけうちとしき)
詩人。1972年京都生まれ。詩集に『翰』(彼方社、1997年)、『風を終える』(同、1999年)、『鏡と舞』(詩学社、2001年)、『燦燦』(水仁舎、2004年)、『十六夜のように』(ミッドナイト・プレス、2005年)、『ジャクリーヌの演奏を聴きながら』(水仁舎、2006年)、『任閑録』(同、2008年)、『SCRIPT』(同、2013年)、『灰の巨神』(同、2014年)​​​​​​​。『魔のとき』(同、2022年)
 
Back to Top