竹内敏喜 蛇足から  
蛇足から 3 (二〇二三年一月一二日)

     
正義に関するアランの定義を眺めていると
合理性にこそ、強欲で貪欲で貪婪で盗もうとする性質が
潜んでいる気もしてきて

支配するために設置された力という表現には
穏やかな性質なんて、とても感じられない

とはいえ教師であるとともに戦場を経験した闘士でもあったから
正義が完全な満足をもって、いかに成立しにくいかを
痛いほど彼は、知っていたにちがいない

力を目の前にし、尊さが伝わってきたなら、それは正義なのか
いつだって力の過剰は、またたく間に哀しみをあふれさす

他者のものと自己のものの問題の解決にしても
所有権がどちらに属するかを
提示する段階にすぎないだろう

正義は、平静な場に居場所をもたない
代わって善という方式が社会を抑圧しようとする

…本棚の端っこ、長年ほこりをかぶっている古い法令用語辞典
手に取って「正義」の項を探してみるが
予想した通り、見当たらない

「善」については、「善意」としての項目があり
「法令上の用語としては、ある事実を知らないことを意味する」

加えて「道徳的な意味での善悪とは関係がない」という
これは民主国家の手触りなのか
勤労生活の底で根を張るルールが感じられてくる

…その場の空気が重いとしたら
それは、正義が流産しそうなとき

地をふみ締め
足の裏から愛が伝わってこないなら
それは善が、悪に染まりつつあるからか

記憶が割れていく
見知らぬ風に煽られ

竹内敏喜(たけうちとしき)
詩人。1972年京都生まれ。詩集に『翰』(彼方社、1997年)、『風を終える』(同、1999年)、『鏡と舞』(詩学社、2001年)、『燦燦』(水仁舎、2004年)、『十六夜のように』(ミッドナイト・プレス、2005年)、『ジャクリーヌの演奏を聴きながら』(水仁舎、2006年)、『任閑録』(同、2008年)、『SCRIPT』(同、2013年)、『灰の巨神』(同、2014年)​​​​​​​。『魔のとき』(同、2022年)
 
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