竹内敏喜 蛇足から  
蛇足から 13 (二〇二三年七月一六日)

     
大としての人は自分の。眼の高さを
ふつうだと盲信し
にもかかわらず。その眼で直接
自身を見ることはなく

愛読した書物ならたいてい。類推性に戯れ演じている

…画家Pは言う
捨てないから有るので、貯めているのではない
(そう。無秩序は秩序の不足ではない)

…詩人Bは夢見た
法王になりたい、それも好戦的な法王に
(やがて。その夢に飽きると)
喜劇役者になりたい

…音楽家Bは妻にささやいた
僕が演奏するのは
世界で一番優れた音楽家に聴いてもらうためなんだ
いつもその人がいるつもりで演奏するんだ
(あなたの死とともに至福の響きもあの世へと流れ去った)

…野生チンパンジーの研究家Gは力説する
チンパンジーと人間が異なる点について
その意味を十分に考えようとするなら
両者が類似の行動をとることへの
真の理解を通じてのみ可能です
(人類全体としては。真実のあちら側から目をそらし心を眠らせる)

…文化人類学者Lは論じる
人間は、その本質を抽象的な人間性のなかにあらわすのではなく
伝統的な文化のうちにあらわす
(皮肉にも。なんと神々しい表現!)
だが現代人は、自分の感情を傷つける諸経験を非難することと
知的には納得できない諸々の差異を否定するという傾向の間に立ち
空しい妥協として、文化の差異の説明に社会学的思弁を利用する

かつて少数者に称賛されたこれらの断片たちは。本棚で憩い
ときに意味を生やし。花らしきものを咲かせ。実らずに消える

と。酒場の片隅のちぎれた声が。風の高さで歌いはじめる


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竹内敏喜(たけうちとしき)
詩人。1972年京都生まれ。詩集に『翰』(彼方社、1997年)、『風を終える』(同、1999年)、『鏡と舞』(詩学社、2001年)、『燦燦』(水仁舎、2004年)、『十六夜のように』(ミッドナイト・プレス、2005年)、『ジャクリーヌの演奏を聴きながら』(水仁舎、2006年)、『任閑録』(同、2008年)、『SCRIPT』(同、2013年)、『灰の巨神』(同、2014年)​​​​​​​。『魔のとき』(同、2022年)
 
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