竹内敏喜 蛇足から  
蛇足から 12 (二〇二三年六月一八日)

     
小学生の、いつごろだったか
社会科の授業で下剋上という響きを耳にしたのは

戦国の世をまたいで
剣術の華やかさ、弓矢ならではの精神鍛練
名のある武将のいでたちに、ふつふつと魅了されはじめたころ

…下の者が上の者に克つ
突如、意味を超えた実感となって
少年の想像力を蹂躙していった

  記憶は一枚の静止画
  不動の影に、光ばかりがさらさら降りそそぐ  

あのころは授業と授業の合間にだけ、時間が生きていた
サッカー遊びの得点王、ドッジボールでの剛速球の使い手
短い休み時間のヒーローこそ
五〇代の枯れた脳裏を、あらためて輝かしく駆けめぐる

けれども一人は中学二年のときの交通事故で植物人間となり
もう一人は二十歳過ぎに、ヤクザとトラブルを起こし
山に埋められていたと噂で聞いた
…懐かしい彼らだから、見えざる手によって代えられた気がする

  静止画はおのれの心の証し
  逆光ばかりが、影をゆらして降りそそぐ

ある学者によると、下剋上にはデモクラシーの意が含まれるという
武人はもはや非生産的な守護大名ではなく
土地と人民をもち、自らの法を実践しなければならなかったと

暴力主義を嘲笑して、庶民の発明した言葉ともいわれるが
武力だけではいずれ敗北するだろう現実を期待しつつも
関白秀吉を喝采する物語を生んだ一点に、人の本性を見るべきか

応仁の乱から百年以上にわたって、どこかしらで戦争が起こり
だが文明は崩壊せず、むしろ文明の流れを止めなかった事実を思う
…経済至上でしかない今、見えざる手も消えたようだ

  神話は民族の歩み、どれほど客観的であろうと
  歴史とは一個人の見解への同意にすぎない

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竹内敏喜(たけうちとしき)
詩人。1972年京都生まれ。詩集に『翰』(彼方社、1997年)、『風を終える』(同、1999年)、『鏡と舞』(詩学社、2001年)、『燦燦』(水仁舎、2004年)、『十六夜のように』(ミッドナイト・プレス、2005年)、『ジャクリーヌの演奏を聴きながら』(水仁舎、2006年)、『任閑録』(同、2008年)、『SCRIPT』(同、2013年)、『灰の巨神』(同、2014年)​​​​​​​。『魔のとき』(同、2022年)
 
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