竹内敏喜 蛇足から  
蛇足から 10 (二〇二三年三月一八日)

     
父が亡くなって二年半
話をしてみたい、と
ときに思う

生前になんらかの議論をしたことはない
口喧嘩さえ記憶にない
ただただ、歌謡曲を大音量で楽しんでいた

おのれが五〇代に入り
鏡をのぞけば
しだいに父に似ていくのも悪くはない

締まりのなくなる目もと
髪の一本一本はか細くなり
ひざの痛みにはうんざりしても

…一人、静かな雨の正午過ぎ
ようやく正直さについて考えようとして
『黄色い大地』が思い出される

ちいさな映画館で一度だけ見ることのできた作品
共産党員の若い役人が
僻地の貧しい農村を訪ね

しばらく生活をともにするなか
相手の老人が歌の名人だとわかり
役人が教えを乞えば

「歌いたいときにしか歌わない」
どうしてそれほどたくさんの歌が覚えられるのか
と質問すれば

「生活の苦しみのなかで
身についてしまうのだ」と
返ってくるこたえ

こうした静かな抵抗には
生の自負より、死の匂いがする

だが自由な死の匂いこそ今は親しい
…雨の日、父を思い起こして

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竹内敏喜(たけうちとしき)
詩人。1972年京都生まれ。詩集に『翰』(彼方社、1997年)、『風を終える』(同、1999年)、『鏡と舞』(詩学社、2001年)、『燦燦』(水仁舎、2004年)、『十六夜のように』(ミッドナイト・プレス、2005年)、『ジャクリーヌの演奏を聴きながら』(水仁舎、2006年)、『任閑録』(同、2008年)、『SCRIPT』(同、2013年)、『灰の巨神』(同、2014年)​​​​​​​。『魔のとき』(同、2022年)
 
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