竹内敏喜 蛇足から  
蛇足から 1 (二〇二二年一二月三一日)

     
わからない、の大半は忘れたもの
知らないことのほとんどは、関心のなかったもの

今、言葉にかかわろうとする気持ちは凍えているけれど
正直にかえりみれば

書き方がわからなくなったようでもあり
もともと知らなかった気もしてくる


今年は原稿用紙一五枚の論考を一編まとめただけ
ただ、それを依頼先に届けた後も

その末尾にあらわれた蛇足とも思われる一節がふしぎに
心でゆれていて


「愛を知る者が詩人であり、詩を書き終えた者だけが
 善を知っている、と述べておきたい」


確認すれば、このようになっているものの
記憶のうちでは
「善」が「正義」に変わっている
正義なんて語はこれまで一度も使ったことがないのに


…果てのない世界における善を形式化する力が古代の人々にはなかったから
善はまず、外なる神とされたが
共同体が巨大化するなか、やがて外という重荷を隠し覆うことで
個としての人の強さを証明したつもりになっていく拙い物語


だが、戦争や農耕、あるいは子育てさえしない者のはびこる現代
個の肉体の消滅を前にして、一生と呼び得るものがだれに見えるだろう


もはや残り少ない美しいもの、その調和が壊されるのを
繰りかえし見るしかない、夢のなかでも何度も見させられながら
どんな手がおこなうのか
それは単なる組織上の上司の手ではないのか


一歩、ふみ出すごとに
おのれの音がちいさくなる
固くふみ締めてみても
ひびきは霞みゆく


そうして鏡のように立ち止まっていた
近いうちに空や地が正義になるだろうことを予感しつつ
竹内敏喜(たけうちとしき)
詩人。1972年京都生まれ。詩集に『翰』(彼方社、1997年)、『風を終える』(同、1999年)、『鏡と舞』(詩学社、2001年)、『燦燦』(水仁舎、2004年)、『十六夜のように』(ミッドナイト・プレス、2005年)、『ジャクリーヌの演奏を聴きながら』(水仁舎、2006年)、『任閑録』(同、2008年)、『SCRIPT』(同、2013年)、『灰の巨神』(同、2014年)​​​​​​​。『魔のとき』(同、2022年)
 
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