八潮れん 欲望は威厳に満ちて  
眼窩 特ダネ



1 占領下の空白で

GHQ連合国軍総司令部 1945年昭和20年9月19日
「日本に与うる新聞遵則」を発表し 新聞の事前検閲を実施した
昭和23年事後検閲 昭和24年検閲廃止 1952年昭和27年
サンフランシスコ講和条約ととも統制は失効となった

この間昭和21年8月 長野師管区司令部の軍需物資不当処理事件を
信濃毎日新聞や系列の夕刊信州にスクープした記者たちがいる
Hもその1人だ


この頃MP(憲兵隊)は長野署の中にあって 投書がすごかった
長野市周辺は 松代へ大本営を持ってくるという計画があったから
軍事物資が集まってきていて その物資が敗戦後 いろんなところに流れる
それであれこれうわさ話が広がって 警察が盛んに調べるようになり
MPからやれということで突っ込まれたらしい

当時 直接米軍がやっている事件は 発表以外に手を着けられない
だからHらも当初 取材の対象にはしなかった ところが 事件は
相当に広がって H中将(長野師管区司令部司令官)の
名前が登場してくる 

それで特ダネを書くわけだ

当時の長野署の署長はT 、司法主任は検察庁のK検事と連絡を
取り合いながらやっていた MPの手から離れているのだから 
プレス・コードに違反しないのじゃないかと考え Hは編集局長に話をする 
いいかもわからん 慎重にやってくれと言われ 
K検事から記事にしないということで 事件の概要を聞かせてもらう
これは面白い これを書いたら…とHは盛んに考える

いよいよ送検する日までわかってきて そこで記者らは書類送検という
事実については 記事にしても文句は無かろうと判断する 

まず検事正のところに行こう いやそうするとMPか軍政部へ
お伺いをたてに行きはしないか そうなると書けない 
とにかく資料だけは手に入れよう

当日Hは検察庁へ行き 長野署から書類が来ていないかね
来ているよ ちょっと見せてくれ いいかな… ちょっとたのむわ
と借り出す 書記の人とは親しい間柄だ
当時検察庁は裁判所と一緒で花咲町(長野市)にあった
木造の建物で小さい法廷がいくつも空いている
その一つに入り込んで 書類を写す 膨大な量でこれはと思うもの
だけでも多い 時間も過ぎてくる 検察庁の人もまだかまだかと
顔を出して催促する ちょっと いまちょっとたのむ
というようなことで なんとか書いて出稿する
法廷へ持ち込んで写したのは もし他社の記者が来たら
せっかくの特ダネがダメになるからだ

翌日Hが取材から帰って来たら 机の上に 至急電話をくれと
書き置きがある 連絡したら編集局長が 君はK検事さんを
知っているか えらい剣幕だぞ どうしたのだと
とにかく 明日社長と編集局長とHの3人で 軍政部へ
出頭せよ という話らしい で社長は出張中 編集局長と
私が伺いますと 鐘紡(長野軍政部)へ行くことになる

その時通訳と経済担当のC大尉ともう1人がいて
最初は穏やかに話していたが 新聞に発表されてしまったため
証拠を隠されてしまったと言う話になる 次になぜ法廷で書き写したのか
と聞く 別にこっちは何もない ただ他社に感づかれないように
というだけだ ところがそれでは承知しない こっちをスパイのように
見てくる それではこっちが困る 向こうは急にきつい調子で
追求してくる そこで なんで書いてはいけないのか 
私はプレス・コードに違反した覚えはないとHは言い返す すると
向こうは顔色を変え ピストルを机の上に置いて 我々は占領軍だ 
これは占領目的に違反している 記事を書かれたことにより
証拠を隠蔽され 全国的に大きな問題が行き詰まってしまうのだ
ただではおかんと言い放つ 

さあ弱っちゃって こっちも震え上がってしまう…
局長を見たが彼も深刻な顔をしている まさかピストルを
撃つような無茶はしないだろうと思うが 謝る以外にないから
米つきバッタのように頭を下げ通す そうしたらだんだん和らいで来て 
物資の正常な流通は日本経済の復興に欠かせない 
記事はプレス・コードに違反している 今後書いてはならない 
ということで勘弁してくれた 一札取られることもなく 
それ以上のペナルティーはない 当時事件はMPのS隊長の手を
離れたのは事実だがC大尉を中心に 経済問題の不正を追及している
強力なグループがある ということはまるでわからなかった
軍政部の中のことは漏れてこないし そもそもが出入りできなかったからだ

日本に与える新聞遵則の主な内容
連合国に関する破壊的批判の禁止、連合軍の動静に関する報道の禁止、
ニュースに主観的解説を混入することの禁止など

2 気球爆弾

戦時中Hは航空気象兵で ソ満国境で気球爆弾をやっている
もともと気象は航空兵がやっていたが 気象の重要性を考慮して独立
まず気象第一連隊ができる 満州(現中国東北部)に気象第二連隊ができて
Hは満州に渡る モンゴルとの国境にハルアルシャンという山があり
そのふもとの平安鎮の近くで気象観測をする 温度 湿度 風力
風向 雲 気圧などを調べて陸軍気象部へ送る すると気象部から
一斉に各地の天気概況をモールス信号で打ってくる それで天気図を書く 
しかし一般の兵隊が書けるものではない 

その頃731部隊の噂が広まり緊張が走る Hらも同じように
秘密のところに連れて行かれ 当初はなんなのかわからなかったが 
だんだん気球爆弾の研究ということがわかってくる 
気球爆弾を飛ばすため 風向 風速を中心に観測する 
この気球は風に乗って30キロほどの爆弾を積んでゆく 

親子気球というのもあり その一つに兵隊1人が乗って
目的地手前で子の気球を切り離す そうすると兵隊の乗った親気球は
だんだん降下して行く 地上に降りた兵隊は集結して進撃する
落下傘部隊と同じ発想だ 飛行機の代わりに気球を使う 
当時空軍では新兵器として注目していたが 実践には使われなかった

Hらの部隊はソ連が対象で モノンハンと隣り合わせの
ホロンバイル高原で研究、実験している 
砂漠を掘って 木造の兵舎を作る 土をかぶせた屋根には
草が生えていた ハルアルシャンへ登ると ソ連の幕舎やソ連兵が見える

緊迫した情勢ではなかったが 一度夜間演習中に気球が爆発して 
空中で真っ赤な火の玉となる 山の向こうのソ連兵も気がつき
モノンハン事変の二の舞かと騒然となって 日本側を偵察したらしい
以後演習は慎重になる Hがここにいたのは若干2
体を壊して陸軍病院に2、3ヶ月入院し その後日本に帰される
 
−1

これはある男の一生のごく限られたオフィシャルな断片だ
彼は軍国青年であったかもしれない
戦地では女性をオフィシャルに辱めたかもしれない
元来は平和主義者であったかもしれない 
戦後は多少の反戦を叫んだかもしれない
若い時分から詩を愛してきた田舎者、 
Hはその後どう生きたか 詳細はわからない 
しかし目撃したとも言える 眼窩の川のせせらぎから
時折聞こえてくる声 だから


夏草 
                       H

1 夏草が、/炎天にしぼむ。/一糸まとわぬ雷鳴よ、
  いまわしい記憶を捨てよ。/ そこいらは、/ だだっぴろい原っぱだ。
   
  その原っぱのど真ん中は、/ 静まり返っている墓場。/ 
  朽ちかけた建物の中で、/ 老いたのらねこが、/ ねぐるしそうに、
  寝返りを打つ。/  ものうい日課。

2 夏草が、/ 炎天にしぼむ。/ そのなむしい時間。/
  てかせ、あしかせのちまたに、/ くちなしの花が、/ ひっそり咲いている。
  古壁にしみ込んだ汚点よ、/ ちぎれぞうきんで、/ 
  いくらぬぐっても取れない。

  むしろ、なめくじの、はいまわった触感の、気味の悪さが残るだけ。
  陰謀とけち、ダ(蛇)の踊り。それを知って知らぬふり。
  非常の地域社会。

3 夏草が、炎天にしぼむ。どぶ泥の沼に、水死人が浮いている。
  その水っぷくれの皮膚に、寄生虫が数知れぬ程。そいつを取っては、
  口でかみつぶしている、お人好しの男たち。群生の吸盤に、
  くずれた姿勢があえぐ。

  もう一度、熱気とほこり。すっとんきょうの、雑踏の中で、
  キリのように身をもむ。その伝説は、きわめて新鮮だ。
  顕密。胸奥のあした。 

                          1962年7月


 


注:1、2は19952月に掲載された長野県の信濃毎日新聞の記事を参考にした。



八潮れん​​​​​​​

詩を書く人。長野県長野市出身。横浜市在住。2011年アンスティテュ・フランセ東京の詩祭における仏詩翻訳コンクールで優秀賞受賞。2016年第4詩集として自作の日仏対訳詩集「Temps-sable/時砂」を仏人との共著で出版。近年日仏で様々なジャンルのアーティストと朗読パフォーマンスを行なっている。2018年朗読CD発表(仏人との共作)。同年仏ブルターニュでの現代詩フェスティヴァルに招待された。
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