八潮れん 欲望は威厳に満ちて  
眼窩の空


あの世にいってもけっして  
■■にはあってはいけないよ
臨終をむかえたばかりのははに
そうはっきりつたえたとかたるむすめの 
面 さらに下部のむひょうじょうをとりはらい 
こころねをひらいてやさしくだいてやりたい 
おのれひとりに返るだけの遺恨一念を
舞いたおすかくごなら そのさきの屹立を
みとどけてやりたい 


血に悪縁をよみとり大仰にもだえる
とりどりのかたち
われら なるべきものの
おおいにわりきれない病毒の
よ感 はじ き裂 徘かい

苛立ちはひるがえり さらにひるがえって
しりたいことのすべてはかげろうのいとなみ
くらやみの うつろのはての見せ物よ 
なんとゆたかだ じぶん一個の大事にとりみだす
つきつめればいかにもうすっぺらなー

あぶらめいた靄がたちこめる やまざとの墓所から
どんなにはなれていても 亡魂は
こんきよく火をはなつ 目にみえないものが
しはいするくさむらでは かつてあおいだ空が
そのままふりそそいでいる  

ならばもうすこしゆるんでみたい
そうおもうフシもある コブもある 
特等の床で目をつむっている此方衆 
そこになるあんずやりんごでジャムをつくり
おちゃにしましょう きんじょにおっそわけしてね 
のんきにわらう丸顔のおんな ゆらぎ 
またはうすかげのろうじょ ゆらぎ 
そのくつろぎをしめつけ くつがえす
べつのゆらぎ ほとばしり 
代々秘なる顛末は おどおどとしてのろわしい 

ためらいながら すでにえらんでいる 
いま深間におちているさいちゅうだ 
なにかにふんとうしているようだが すこしも
らくにはならない 心臓をやかれてとびはねる 
しかるべき明瞭はどこだ  ねるまもおしんで
とりのぼせた ひとりぎめの上等 
ボンクラ魔がさす 人界おゝやんや 死相 
業行 うすわらい どんな酔いであったら
よかったのですか、おやぶん 遺伝子のかけら

かたくなであった五感のきざみはとおざかり 
おもいがけないほどおくまってきえていく 
なに一つたずさえることなく 
あちらこちらのさようなら 
いくつもの呼吸がちらばって 
うわごとのように あせ 

ぼんやりとした思い出が
ながれのとまった血管のヘリにこびりつき 
やがてかわきはじめる ヒクヒクとして
よわよわしい骨肉 さらにとじられた妄執 
土と光にのみこまれて 空とまじりあう 

あなたはあなたが帰するところの 
ふうせつにひびわれた岩床 
あなたが帰するところの いろとかちに
ふちどられた やわらかな円環 
だが怯懦 せいじゃたちはなにを
しりえたのか つぎつぎにわいてでる
影法をたよってみてもよるべない

ともあれ唯一かんぜんになしとげられる
もののほうへむかっている たしかな
かいかつさをめざして 足をすべらせている 
ひと臭く 物たちをかたちどって 
ついには黙すのだから いくらかは
かんねんして 腹のそこで徹底あたりまえ
なこと こばみがたい かなたからの
よびかけ そのかんじんなりゆう 
これら血まめ一つ一つに
はりとこてをあてていくのだ

ふかくもあさい びょうたる河が眼下にみえる 
けだしほんのせまい用水路 なのかもしれない 
身をふんばり 身のむかしをのろい 
なげだし とるにたらない 
そしてやむにやまれぬ剣呑がしぶく
大禍時をかきまぜる あかるさは
そのばかぎりで まわりはやみにとけた 
もうながいこと ひとのすがたをとっているのに 
わたしはまだうまれていない 

いのちのようしゃない圧迫にあおられ 
かずかずの異界をつくって 既成の地平に
諸力をかきあつめ あきらめ ふらついて
はずかしげもなくでなおす あせ 
まだきっぱりと濃い かぜもないのに
あまたのこえはかきけされ
きこえなくなった 反魂のくさが
骨箱のおくで 手まねきににた葉をひろげている

八潮れん​​​​​​​

詩を書く人。長野県長野市出身。横浜市在住。2011年アンスティテュ・フランセ東京の詩祭における仏詩翻訳コンクールで優秀賞受賞。2016年第4詩集として自作の日仏対訳詩集「Temps-sable/時砂」を仏人との共著で出版。近年日仏で様々なジャンルのアーティストと朗読パフォーマンスを行なっている。2018年朗読CD発表(仏人との共作)。同年仏ブルターニュでの現代詩フェスティヴァルに招待された。

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