八潮れん 欲望は威厳に満ちて  
眼窩 高原



〈 風もなければゆきゆきもせぬ 熱い空間の浮雲に
  一抹の哀調を込めて 高原の白樺の間より見る 〉 



≡ 創刊の辞

聖戦ここに新年を迎え、新世紀の第一歩を踏み出す良き年の今。
大東亜共栄圏建設のため奮闘する我々は精神修養が必要である。

この精神修養の最も手近なのは文芸だと思う。ゆえにそれを持って教養を得るのである。新体制下、物質節約時であるが、この「高原」を発行致す次第なり。これは一般青年大衆向けで、青年男女相互教養機関雑誌にして、体位向上、精神向上、文化向上、の3つを兼ね、全国に頒布して、誌上より全国同胞の投稿を願い、親睦修養、文芸向上、業務終了後の慰安娯楽とを与えんとの企ては我々の真に欣快とするところである。

―それはすなわち精神修養である、高潔なる情操の滋養であり、独り実利的にのみ解すべきでない。― 我々が世界人類史の模範となるには文芸報国(歌道報国)を目指して精進せねばならぬ。「高原」誌を皇軍慰問に贈し、慰問袋のお菓子の甘味を味わう、そのかたわら聖戦文芸を収集して誌上へ発表…
皇軍将士を慰問するも銃後の務めではなかろうか。

≡ 二月号要目

表紙

田園と史跡
満州開拓義勇軍の歌
砲車の秋草
雲上七句集
新体制に就いて
短編

散文
今月の泉
高原俳句の思想に就いて
聖戦文芸
短歌
俳句
川柳
短評
報告
編集後記

≡ 三月号 日本文学に現れたる三人の芸術 抜粋

憶良 
・・・・・・・・故郷を離れ流浪すること幾十年、異境の空に病体を横たえて、来し方行く末を思う時、彼の胸には万感迫るものがあったのであろう。かく悩み患いつつも、一人の頑是ない子供の行く末を案じられてならなかった。
然して病改まる時、
「士(おのこ)やも空しかるべき万(よろず)代に語り継ぐべき名は立てずして」
こうした歌をも読まずには居られなかったところに憶良らしさがあり、
貧苦、病苦、愛子への離別の中に人間としての最大なる苦悶を味わいつつ、
男として万代の語り継ぐべき名を追求して止まなかった。そこに憶良の個性が躍如として現れている。

一茶
・・・・・・・・彼の残した芸術は人間としての欲望や野人としての生活に自己のありのままの姿を印して行ったことによって、民衆芸術開拓者としての一茶の功績を史上に輝すことを得た。
 「一茶の遺跡を訪れつつあの土蔵の傍に立てる
  焼け跡のほかりほかりと蚤騒ぐ」
と読みながら野人一茶をなつかしまざる得ない。悟らんがために悩まなかった彼、迷いに徹して初めて救われたあなた任せの境地こそ、彼の最後に到達し得た菩提への道ではなかったか。

≡ 四月号 日本文学に現れたる三人の芸術 抜粋

啄木
・・・・・・・・彼は燃焼し尽くさねば止まぬ太陽の子であり、緑の牧場に物思うアダムの末裔であり、寂しき甲虫としての哲学者でもあった。

「椅子をもて我を撃たむと 身構えし かの友の酔ひも今は醒つらむ」
「負けたるも我にてありき あらそひの 因も我なりしと 今は思へり」

函館、札幌、小樽、釧路、二度の上京、ある時は食わずに一家早寝し、病身なる夫人を抱えて苦闘のあらん限りを尽くし、また貧苦の中に父の家出に遭遇し、遂に脱出し得ざる生活の罠から、「僕は今までより強くなった」と叫んでいるところに彼の一端が伺い知られる。
・・・・・・彼の歌は只一生の苦闘の象徴であり、人生の悲しき玩具でなくてなんであろう。

≡ 五月号のお詫び

本誌はご覧の通り時局問題(今週の泉欄)が入っており、このため続刊不能と見られて居たのですが、何号か良いところがあり、このため続刊が認められました。編集部ほっと一息入れ、さていよいよ飛躍の高原へ力を入れます。


≡ 六月号 一粒の麦となられた人々へ 抜粋

・・・・・・・「自分たちの研究文芸誌が欲しい…」「あれ、いつ出る?」
文学好きの友人から寄ると触ると溜息のように、恨み言のように聞かせられる言葉であった。こうぼやきながらも苦労して資金を作った。どうやら発行できて、号を重ねるごとに良くなっていくのが一番嬉しい。(中略)
「一粒の麦落ちて死なずばそのままにあらんもし死なば多くの麦を生ぜん」
会員諸君と編集部で苦心と情熱があった故これだけの読物になったのだ。
会員諸君は高原の礎石だ。ここに無限の慰めがある。長き数ヶ月、おぼつかない足取りで共に超えてきた道を回顧する時、思いがけずそこにささやかながら興亜の大業の縮面にも似た白き細道が、はるか彼方に見えるような気がする。報国精神、敬神崇祖の念は我が国民性であり、国民精神に依ってくるところである。会員諸君のご協力に感謝し益々これを発展せしむるところにやがて祭政一政の実がある。

≡ 七月号  紅クロアバー(抒情小曲) 

そよろ初(な)夏(つ)風 涼しく吹きやれ   街の便りも 草刈りに
聞くや聞かずの 片山里の     おぼこ紅色 紅クロアバー

朝は朝露 夕べは温泉(ゆ)の香     人に見られて 恥ずかしい
私や日陰に こっそり咲いた    乙女ごころの 紅クロアバー

吹くな 初夏風 想い出してならぬ  あの日あの夜の 淡いゆめ
心淋しふて 涙に濡れて       ほろり日暮れの 紅クロアバー 

今日もくるくる 戀ぐるま     待てば辛気の 風だより      
まさか噂と 思ふて居たに     あの娘嫁ぐそうな 紅クロアバー

≡ 八月号  運命の転機  抜粋

ベートーヴェンの第五交響楽は彼自身の数奇な境涯を描いたものと思われる。これを聞いていると色々な事を考えさせられる。運命―この跫音を立てずそっと忍び込んでくる不可知の必然性は、私たちを喜びに誘い、悲しみに突落し歓喜と絶望の境界を彷徨せしめる。日常茶飯事の喜怒哀楽の裡で徐々に私たちの身辺に迫り、気がつくともはや身動きの出来ない呪縛に陥れられている。(中略)
私たちの祖国日本も今そのような転機に立っている。「運命はそっと扉を叩く」この言葉を囁いてご覧ください。きっと会員の皆様のそれは様々な姿で身辺に迫っている事を感じるでしょう。誰しも喜びに向かいたいが、運命は刻々と悲しみへ向はしめるのである。それを自ら転機させるものは広く芸術一圓及び信仰でありましょう。そして私たちは文芸一方で転機の糸をつかみましょう。


≡ 高原誌は毎月陸海軍部に慰問として謹呈される。軍部より感謝状を賜りたることを今月発表する。会員も慰問に協力せられん事を。



聖戦文芸 (戦地にて)

短歌

進撃は明日に迫れり故郷のたよりあつめてたき火に入れぬ  A氏

編隊の爆撃機南へ飛び去れり時経て帰り来る一機あり  S氏

携帯の糧食尽きて棗の實かじりつつ征く兵も我も  U

首筋をつたふ夜露の冷たさに最前線にいる弟おもふ  U氏  

砲聲は遠雷のごと木霊して廬山の麓夕闇の濃し  I  

道に死せる支那馬よあわれ大砲の車にひかれ板の如く寝   M氏

銃剣をぬきしたまゆら紺色の衣服を染めて出ずる血を見ぬ  T氏

俳句

将士皆黙し麦笛きく寸時   K氏

弾(た)丸(ま)跡を語りて通る六和塔   T氏   

吾子の顔しきりと浮かぶ春日向   S氏

冬日落つ壁をたよりの我が命   I氏

疲れはてて黙って見入るすみれかな   I氏

着ぶくれし屍を見て過ぐる  Y氏

硬直の死體凍て葉をはじきちり   S氏



〈 昭和十六年(1941)に存在していた文芸誌「高原」参考
  事はいつから始まっていつ終わったのか 終わるのか
  山は雲の中にねむり けぶったようにほのかに見えて
  はかない我が血筋 天蓋に小粒な星がまたたくごとく
  振り返り見れば 何もかも/遠い/瞬間 無我夢中 〉

八潮れん​​​​​​​

詩を書く人。長野県長野市出身。横浜市在住。2011年アンスティテュ・フランセ東京の詩祭における仏詩翻訳コンクールで優秀賞受賞。2016年第4詩集として自作の日仏対訳詩集「Temps-sable/時砂」を仏人との共著で出版。近年日仏で様々なジャンルのアーティストと朗読パフォーマンスを行なっている。2018年朗読CD発表(仏人との共作)。同年仏ブルターニュでの現代詩フェスティヴァルに招待された。
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