オオヌマユウ Book Review ③
「幻視
  ──ェラール・ド・ネルヴァル『オーレリア──あるいは夢と人生』(田村毅訳、筑摩書房)──
 
 「夢は第二の人生。われわれを不可視の世界から隔てているあの象牙の門、あるいは角でできた門を、私は身震いせずに通り抜けることはできなかった。眠りに入る最初の瞬間は死の印象である。靄のように拡がる麻痺に思考を捉えられ、どの瞬間から〈自我〉がべつの形で存在の営みをつづけるのか、われわれには定かに知ることはできない。茫漠とした地下の世界が少しずつ照らし出され、陰と闇の中から、天国と地獄の辺境に宿り、鈍重に動かぬ青白い姿形がいくつも浮かび上がってくる……精霊たちの世界がわれわれの前に開かれる。」[1]

 本書『オーレリア』は、愛する女性を失った物語の語り手である「私」が、夢や幻覚を通じて幾度となく「精
霊たちの世界」に入り込み、信仰による救済と幸福を得るまでの物語である。1855年1月1日に第一部が、同年2月15日に第二部がそれぞれ「パリ評論」に掲載されたが、ネルヴァル自身は同年1月26日に死亡しているため、第二部は彼の死後発表されたこととなる。

 さて、冒頭に掲げた本書の書き出しに続き、語り手である「私」は、この物語がダンテやアプレイウスに倣い「一切が私の精神の秘められた内奥に生じた長い病気の印象」[2]を書き記す試みであることを読者に提示する。
 本書を一読すると、確かに物語の構成には特にダンテの『神曲』との類似が見られることは明らかである。本書におけるオーレリアは、『神曲』におけるダンテの究極の女性ベアトリーチェに比する存在であり、主人公が信仰を獲得ないしは恢復するための神との仲介をなす存在として描かれる。また、本書の「私」は「地獄下り」と名付ける試練を超えて赦免を得るが、ベアトリーチェを失ったダンテもまた、地獄から煉獄を経て天国で彼女を介して神の愛を識ることとなる。
 ただ、ウェルギリウスやベアトリーチェとの旅を経て、天国で聖なる存在と出会い救済を見るダンテには自身の成功が約束された戻るべき現世があるが、本書の「私」が見る「精霊たちの世界」は、冒頭に掲げたように、「死の印象」を潜り抜けた後の「地下の世界」「闇と陰の中」「天国と地獄の辺境」において立ち現れるものである(尚、『神曲』のウェルギリウスも辺境(辺獄)に棲まう存在であった。彼はダンテと共に天国へは上らなかったことにも留意したい[3])。「私」の幻視する「精霊たちの世界」がこのようなところから立ち現れる以上、「私」がこの物語で見てきた幻影もまた、必ずしも聖なる存在ばかりではない。「長い間正しい道から遠ざかっていた私が、死んだ人の愛しい思い出によって、いかにして正道に連れ戻されるのを感じたか……私は説明したいのだ」[4]と「私」は述べるが、彼の言うところの「正道」(これは「宗教の光り輝く道」[5]とも言い換えられる)は、「カバラの秘教」「オリエントの伝承」「女神イシス」といったイメージからなる習合的なものである。[6]
 従って、彼の救済は純粋なキリスト者としてのものではあり得ない。彼の言う「信仰」や「宗教の光輝く道」は、やはりオーレリアのそれとは異なるものである。物語の最後において、彼が目を開かせ、口を開かせた「煉獄で償いをしている」という青年が元アフリカ兵として設定されているのは、異境への憧憬のみではなく、純なるキリスト者以外にも宗教の救いがあることを、「愛したすべての人々の不死と共存」[7]が可能であることを望む作者ネルヴァルの心理であったのかもしれない。
 ところで、本書の「私」はこの物語を「地獄下り」に例えるが、ダンテがベアトリーチェの意向を受けたウェルギリウスというこの上なく心強い案内人に連れられて地獄から煉獄を足早に見物してきたこととは異なり、「私」は、ひたすら辺獄ないしは煉獄をさまよっているような印象を読者に与える。

 作者ネルヴァルは死の前年、自身の主治医である精神科医ブランシュに宛てた書簡において「私の頭は無数の幻影に満ち、現実生活と夢の人生とを分離するのが難しいので、もしかしたら私が奇妙だと感じたものは、私の目にしか存在しなかったのかもしれません」[8]と告白している。
 だからこそ、「私」は自身の幻視を、「現実の生への夢の流出」[9]を、物語の最後まで「病気」として表現せざるを得ない。「地下の世界」「闇と陰の中」「天国と地獄の辺境」から立ち現れる世界において救済を得るということ自体、まさしく病的なことであろう。「眠りに入る最初の瞬間は死の印象である」と述べる「私」にとって、夢の中の精霊たちの世界を覗くことは生きながらにして死後の世界へ入り込むことでもあったのである。
  さて、前述したとおり、本書が発表されたのはネルヴァルの死と同年の1855年であるが、その半世紀後にはネルヴァルと同じくパリで生まれたプルーストが、後に『失われた時を求めて』という大作に結実することとなる『反サント=ブーヴ論』(『サント=ブーヴに反論する』)を書き始めることとなる。この『反サント=ブーヴ論』は、その題名の通りフランス近代批評の創始者サント・ブーヴの批評方法を批判するものだが、ここでプルーストはネルヴァルについて、自身に対する批評としてもそのまま当てはめることができるような言及をしていることは興味深い。

 「ジェラール・ド・ネルヴァルの場合、兆しはじめたばかりの、まだ表面化するに至らない狂気とは、一種の度を越した主観主義にほかならず、感覚が指し示す万人共通のもの、万人が知覚できるもの、つまり現実よりも、感覚そのものの個人的な特質のほうに、夢や回想のほうに、重点を置こうとする傾きそのものなのだ……それがついに狂気となり果てると……作家は、体験するたびに、つぎつぎと、少なくとも記述が可能なかぎり、その狂気を書き出してゆく。ひとりの芸術家が、眠りに入りながら覚醒状態から睡眠へと移ってゆく意識の諸段階を、眠りこむことで状態の二分割がもはや不可能になる瞬間まで、ずっと書きとめてゆくように。」[10]

 また、続くネルヴァルの『シルヴィ』についてのプルーストの批評は、『失われた時を求めて』の構造を読者に想起させる。


 「ジェラールは、劇場で身のうちをよぎった奇妙な感覚の正体を、なんとかして掴まえようとしている。と、突然、それがなんだったのか、明瞭になる……こうして、かつての日々を、夢の画面の中で喚びさましているうち、彼はどうしてもその土地に出かけたくなってきて、階下へ降り、閉っていた扉を開けさせ、馬車に乗り、ロワジーヘと揺られてゆくその道すがら、思い出をたぐりよせつつ、物語るのである。不眠の夜が明け、彼は到着する。このとき彼が目にするものは、ひとつには不眠の夜のせいで、また、ひとつには、彼の心中に少なくとも地図の上と同じほど歴然と在る、彼からするとむしろ過去と名づけるべき土地へ、いま帰り着いた感動のせいで、現実から切り離された形になってしまい、彼がたぐりつづける回想とあまりに深く絡みあっているものだから、読者はたえず前のページを繰っては、物語はいまどこまで来ているのか、いったいこれは現在のことなのか、それとも過去の喚起なのかと、問い直さずにはいられないほどなのだ」[11]。

 プルーストは批評という行為において、サント・ブーヴが、作者の生活態度や交友関係、書簡のやりとりに至るまでの人となりを調べ上げ、そこに作品との不可分性を見るといった方法をとっていることを批判し、作品は作者の日常生活とは違う「もうひとつの自我の所産」であり、作品を理解するためには作品それ自体と深く向き合い、「わが身の深部にまで降りて、自分の中にこの自我を再創造してみる」しかないと主張する。[12]

 上記の『シルヴィ』評がこのような観点によってなされたことを踏まえると、プルーストはネルヴァルの「自我」を自分の中に再創造しただけではなく、彼の「自我」をもまた自分の「自我」と習合させ、後に自身の大作を書き上げるに至ったのではないかとさえ思われる。
 プルーストもネルヴァルも共に現実の世界に生きながらにして別の世界を覗く人間であったが、自己反省や信仰に対する危機を一切持たない『失われた時を求めて』における「私」が物語の最初から最後まで無罪性に貫かれており、『オーレリア』の主人公のように「地獄へ下る」必要を持ち得なかったように、「愛したすべての人々の不死と共存に対する確信」に至る両者のアプローチは大きく異なるものであった。
 『オーレリア』はまさに「自分の目にしか存在しなかったのかもしれ」ない「奇妙だと感じたもの」についての物語であるが、それは作者ネルヴァルが最後に自己の深部にまで降りてたどり着いた夢の結末であり、それをもって彼は本当の「死の印象」の中へ、「第二の人生」へと歩み出るのである。


〈註釈〉
[1] ジェラール・ド・ネルヴァル『オーレリア‐あるいは夢と人生』(田村毅訳・筑摩書房「ネルヴァル全集Ⅵ:夢と狂気」収録、2003)p47。
[2] 同上p47。

[3] ダンテ『神曲』地獄編第二歌及び第四歌参照。(ダンテ『神曲;新装版』(平川祐弘訳・河出書房新社、1992))
[4] 1前掲書p83。
[5] 同上p102。
[6] さらに加えると、この女神イシスは物語の前半において「アジアの空の神秘的な輝きのなかに身を隠した」(同書p53)女神と同一であろうと読み取れるし、物語の終結部分において、彼女は「ほぼインド風の衣装をまとって」(同書p97)「私」に試練の成就が近づくことを明らかにする。もっとも、イシスによる救済というネルヴァルのモチーフはアプレイウス『黄金のろば』に倣ったものであろう)。
[7] 同上p102。
[8] 同上p297-298。
[9] 同上p51。
[10] マルセル・プルースト『サント=ブーヴに反論する.』(出口裕弘、吉川一義訳・筑摩書房「プルースト全集14:ラスキン論集成 ; ルモワーヌ事件 ; サント=ブーヴに反論する」収録、1986,)p.287。
[11] 同上p292。
[12] 同上p270-271参照。
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オオヌマユウ(おおぬまゆう)

1987年、山口県出身。

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