二宮大輔 どっちも回っている
4. 張り合い
 結局年末になってしまった。火星と呼んでいた隣の更地にはとうとうマンションが完成してしまう。冬に向かってどんどん日が当たらなくなり、また霜焼けになりそうだ。夏の西日が恋しい。
 春から定期的に薬を飲まないといけなくなり、そのためか夜になるとすぐに眠たくなってしまう。夏には体調も少し戻り始めたのでやる気になり、本来ならこの原稿もその夏に書き終えていたはずが、ずるずると秋になり、今度はCOVID関連でリズムがつかめず結局年末に……

 2022年夏。3年ぶりに親戚が瀬戸内海の小佐木島に集まる。島へは三原から小さい高速船で渡る。朝昼夕の13便。私はスマフォを持っていなく島に行くことが電波的に遮断となるので、待合所での待ち時間もその楽園に向かう興奮でまったく苦にならない。何もない島には食料だけじゃなく生活に必要なエネルギー(大量の酒)も持っていかねばならない。荷物は必然に大きくなり船に移すのも下ろすのも23人掛かりだ。桟橋に並ぶのはもちろん我々だけではない。島民たった4人の小さな小佐木島は三原から最初の寄港地で利用者も少なく、船はその先の島々へ人や物資を運んでいく。列の中に自転車を一人一台ずつ持ったおそらく東南アジア諸国出身の人たちが数人いた。例年目につく人たちだ。以前親戚に聞いたところによると、先の大きい島に造船所があるからそこで働いている人たちではないかと。歩いても30分くらいで島を一周できる小佐木島とは違い、自転車があれば、三原で遠くまでたくさん買い物しても大きい島に戻って港から家へ帰ってもきっと楽ちんだ。
 私は客室には入らずいつも風の当たる船尾の甲板に座る。三原港から出港し新藤兼人の『裸の島』のロケ地宿禰島を横目に瀬戸内海に出ていくのは毎度清々しい気持ちになるが、彼らが自転車と一緒に甲板へ乗り込む光景に今年はすごく親しみを感じた。

 このCOVID騒ぎで勤務形態や生活習慣の変化に伴い電車利用を避けたり、テレワークや自宅作業が増えたためか近所に外出すると、明らかに巷に自転車の量が増えたと感じる。近くの甲州街道ではキメキメ・サイクリストたちがビュンビュン通る。小さい子を乗せて右側通行も一時停止無視もお構いなしの爆進無灯電動アシスト親子。そして美容院や床屋の前には必ずと言っていいほど停まっているピスト系おしゃれロード。前回登場したHHさんは「空前の自転車ブームですよ」と何度も言う。
 COVIDと自転車。私はどちらのブームにも漏れずに参加している。COVIDは私に病気をもたらし、そして自転車を思い出させてくれた。それでも長らく自転車のことを忘れていた。中学生のとき結果なんの学力も上がらなかった気怠い塾に夕方行こうと、クイックの横に付いているライトを点灯させるために低い体勢で漕ぎながら右手をスイッチにかけた瞬間、指が滑ってそのまま腕ごとスポークの間に挟まってしまい、フォークにつっかえるまでゆっくり腕が1回転し、急停止した車体もゆっくり私の体を持ち上げこれまた回転し、自転車にパイルドライバーをかけられたようにアスファルトに頭から叩きつけられたあの記憶も蘇った。このときからどっちも回っていた”。
 留学中には中古の自転車を短い間に2回も盗まれ、お金のなかった私は同じ中古自転車屋で選択の余地もなく3代目にボロいミキストを買うしかなかった。帰国後もすぐに古いランドナーを買って以後20年近く乗りつづけているが、自転車が好きだったことをまったく忘れていた。
 それが2年前、週2回のゴミの日の朝に一緒にジョギングしているI野さんから、趣味を通り越して自宅工場で自転車をカスタムしているR太郎さんを紹介してもらい一気に熱が上がった。同時に近所にレジェンドH商会の存在も知り今に至る。

 と、ここで紹介するのが自転車に乗った女性とそれを追いかける二人の男を絶妙にトリミングしたジャケットのジュルヴェルヌというベルギーのグループの3rdアルバムです。絵から察するにタイトル『emballade...』はレースや競争という意味なのか。この単語はフランス語辞書に載っていない。プログレ繋がりで私も買ったはずだが2ndと3rdを聴く限りチェンバー・ロックというよりクラシック畑のミュージシャンたちのお遊びバンドのような雰囲気。もちろん作家ジュール・ヴェルヌからとっているのであろう、ちゃめっ気たっぷりのグループ名と同じく内容はパロディというか一聴初期ジャズ曲のカヴァー集のように感じるが、ラグタイム曲や女性ヴォーカルのシャンソンも混ってスコット・ジョプリンやエリントンのアレンジも優雅に聴こえ、アルバム全体がダンスホールに包まれているような感覚になる。裏ジャケのメンバー写真も1900年代前半にタイムスリップしたようなコスプレ。音楽が流れる実時間と時代を行き来する感覚が同時に動いているのは、このジャケットの女性の自転車の両輪が同じ速さで回っているのではなく、遠近感のずれた位置にあるその後輪に描くことのできない超越した時間をスカートに隠しているのではないかと疑う楽しみも生まれるくらいだ。
 ジュール・ヴェルヌといえば、私の好きなガルシア=マルケスの愛読作家でもある。祖父母に育てられたマルケスの物語のベースになっている町マコンドのモデルでもある土地アラカタカを離れ、コロンビアの首都ボゴタ近郊の寄宿舎で暇さえあればヴェルヌを読んでいたよう。都会の喧騒から逃れ部屋に引きこもるマルケスは詩作に没頭し物語の断片を紡いでいた。
 ジュルヴェルヌは音楽旅行へジュール・ヴェルヌは詩作旅行へとそれぞれ連れてってくれる。

 甲板に運び込まれた自転車はいわゆるサイクリング車ではない。ジュルヴェルヌタイプだ。この両輪は日本の生活とあっちでの思い出が一緒に回っているのだろうか。小佐木島に着いた。自転車を掻き分け手分けして荷物を下ろし桟橋に降りる。入れ替わりに島から乗ってくる人はいない。私は船と自転車を見送る。
 
JULVERNE: emballade...
(HASARD)
二宮大輔(にのみやだいすけ)
1975年、東京生まれ。喫茶店主。
 
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