二宮大輔 どっちも回っている
3. AAとBB
連載2回目を書き終えてからわりとすぐ、数少ないうちの常連さんSさんに誘われ四谷三丁目のジャズ喫茶に行った。その喫茶店は立ち退きで長野への引越しへ向け休業(現在長野茅野にて営業再開)していたが、ときどき内輪のイベントが行われていた。私たちが行った日はフリー・ミュージック愛聴家のKさんのトークイベントだった。普段明菜のプライベートで聴いている音源も素晴らしいオーディオ環境の中大音量で聴くと、その音楽の良さを今知らされたかような、音楽空間への嫉妬めいた感情が沸き起こる。Kさんの解説はとても興味深く、酔いとも相まってとりとめもない質問ばかりしてしまった。イベントにはKさん著作の音楽本を出版している編集者も来ていた。刊行されてすぐに重版されたと噂に聞いていた、Kさんも寄稿している『AA』をその編集者からいただいた。
AAすなわちアルバート・アイラー。私も10枚くらいは持っているが、Kさんたちの目の前で「AA好きです」というのはおそれ多くて憚られる。それでも自分が喫茶店をやり始めてから感じたのだが、AA演奏の前進感といえばよいのか、なぜか自分もそれに共鳴しているようで特に雨の日は良く鳴っている気がしている。
「今では誰しもが声高に自由を叫んでいますが、精神的にはみんな大変なストレスを抱えています。しかしかつてのニューオリンズにおけるマーチのように、現在は真実が進行中(Truth is marching in)なのです。その真実というのは地球上には平和と喜びが必須であるということです。音楽が普遍的な言語であることは明らかで、だからこそこういった力を持つことができるわけです。言葉だって結局のところ音楽なのです」(『ダウンビート』誌/1966年より)
春になり去年から手伝っているバンドのコンサートのため、フライヤーデザインの打ち合わせをしにジャズ・シンガーのNさんが店に来た。車だからコロナだから今はお酒が飲めない。でもNさんはうちに来るときはいつも快活で、いつの間にか私にもパワーを注いでくれる。飲んでいないのに飲んでいるかのようだ。
いつものように打ち合わせもそこそこに、いただいた手作り味噌やNさんの娘さんのことなど話に花を咲かせていると、Nさんは話しながらときどき店のスピーカーにちらっと首を向ける。「ん?」とほんの少し止まって、また話し出す。流れていた法貴和子の歌声が気になるのだ。フランス語だ。でも不快なそぶりは見せていない。カウンターに置いてある10インチのジャケットにも目がいく。髪を片方刈り上げた東洋人が肘をついて全面に写っている。次の曲は私も好きな「ハーリー・ディビッドソン(Harly Davidson)」だ。最初の節が終わると「ぶひゃ〜、なにこれ〜」Nさんが吹き出した。かけていたアルバムは『KAZUKO HOHKI CHANTE BRIGITTE BARDOT(法貴和子 ブリジット・バルドーを唄う)』。全曲BB関連である。もちろん両面B面。「ぜんぜんいい。いいよ」さらにこれまた怪しいイントネーションの英語や日本語も入り乱れる。Nさんは英語も堪能。でも全く問題はなさそう。歌を楽しんでいる。しかしこのフランス語の歌い方をこの場でどう説明すれば良いのか語彙が見つからない私には悩ましい。
70年代ドイツのCANのダモ鈴木を思わせるヴォーカル・テイストとして一聴似ているようでもあるが、単に東洋人にアルファベットの歌詞を歌わせる面白みより、この歌い方にある種の凄みが感じられるのではと私は思う。この歌を聴きながら自分が思い描くや、そのイメージを問われ──錬金術師の技を見たいと思うなら、まずは自分自身に仮借ない眼差しを向けなければならないはず──そして可愛らしさを併せ持つ悪魔的なBBへの許容も試される。そうすればいるはずのないBBがひょっとして目の前に現れるのかもしれない。成り切りや陶酔とは違う半ば脅迫にも近いような法貴BBの不思議な口遊みが言語の壁を超えどっと押し寄せる。……私の言っていること、みなさんおわかりでしょうか?
法貴和子は70年代後期イギリスに拠点を移し82年にFrank Chickensを結成する。私は『WE ARE FRANK CHICKENS』と法貴和子がしばらく一致しなかったが、今となっては演奏にどちらもSteve Beresfordがメインで参加しているので替え歌志向や楽曲のアイデアには十分納得がいく。法貴BBは86年、バンド・デジネ調のジャケットで知られるフランス・NATOのサブレーベルchabadaの10インチシリーズの1枚としてリリースされた。NATOは整理番号も面白い。1枚目から番号は5。以後7、10、14、19と続く。私のお気に入りLol CoxhillもNATOのものは3枚持っているが10と157と439だ。Beresford とHan Benninkのデュオは1330。80年代初頭にスタートしたレーベルが10年も経たず4桁の番号になるか? 前出のKさんはNATOを全部持っていると言っていたが並べてコンプリート感があるのか聞いてみたい。この数列、みなさんおわかりでしょうか?
別な日に写真家のJが来た。chabadaレーベルのTHE MELODY FOURをノリよくかけ、流れで法貴BBもかけた。「いいねこれ。最高」とJ。Jはフランス人だ。まだ若く来日3年未満でも私より日本語も上手で日本文化にも詳しい。ああ、ちゃんとフランス人には伝わるんだあと思ったが、「フランス語には全く聴こえない」と言う。フランス語も日本語も話すJだからこそ分かるのだろうか。そもそも日本的なのか。日本語イントネーション的外国語がオツなのか。私が考えあぐねている説明なんかより、書いてある言葉・歌詞が伝わらなくても音楽として響いている。そしてBBが立ち現れる。まさしくAAの言葉を思い出した。NさんもJも日本人が歌っているとかはあまり興味ないようだった。私は日本人という意識の上でアルバムの面白みを感じていたが、もっと先にある音楽を彼らは聴いている。
次のチャーリー・チャップリン以降はすっ飛ばします。近くにもゾロ目イニシャルがいた。中古のフレームを買って春先から自転車を組んでいるが、経験のない私は毎週と言っていいほど世田谷にある自転車屋H商会に通っている。店主はHHさん。私が部品をあさり、古いマスプロ車のフレームにそれらの部品が合うかHHさんに品定めをしてもらう。あるときクランクを取り付ける段階に来た。ところで、読者のみなさんはクランクの根元の軸芯のことをなんて呼ぶかご存じですか?「ボトムブラケットって日本ではそう呼ぶんだけど、BBって言ったらブリジット・バルドーっていう女優が昔いたんだよねえ。肉体派の。知らないよなあ、お兄さんは」ここでもBBか。HHさんは80歳はとうに超えている。もちろんハーレーダビッドソンの話ではなく自転車の話です。
東京はこの夏まさかのオリンピックでいろんな国の人たちがアルファベットを背負って行進をしている。この原稿は夜な夜な書いている。夜中にやるのが自然なオリンピックのような気がしていたが、今回はどうやら昼間にやっているようだ。夜中にしかメールが来ない友達のAさんからメールが来た。いつもの短いメールで「ヴァインガルトが亡くなった」とひとこと。Aさんは私の短い留学時代からの旧友である。長期留学していたAさんは先生のヴォルフガング・ヴァインガルトとも親しかった。スイス・バーゼルの地ビール、ウエリ・ビアはうちの店にはないが、当時Aさんといつも飲んでいたビールで今ではうちのレギュラーメニューとなっているシュナイダーでWWに献杯する。
AAすなわちアルバート・アイラー。私も10枚くらいは持っているが、Kさんたちの目の前で「AA好きです」というのはおそれ多くて憚られる。それでも自分が喫茶店をやり始めてから感じたのだが、AA演奏の前進感といえばよいのか、なぜか自分もそれに共鳴しているようで特に雨の日は良く鳴っている気がしている。
「今では誰しもが声高に自由を叫んでいますが、精神的にはみんな大変なストレスを抱えています。しかしかつてのニューオリンズにおけるマーチのように、現在は真実が進行中(Truth is marching in)なのです。その真実というのは地球上には平和と喜びが必須であるということです。音楽が普遍的な言語であることは明らかで、だからこそこういった力を持つことができるわけです。言葉だって結局のところ音楽なのです」(『ダウンビート』誌/1966年より)
春になり去年から手伝っているバンドのコンサートのため、フライヤーデザインの打ち合わせをしにジャズ・シンガーのNさんが店に来た。車だからコロナだから今はお酒が飲めない。でもNさんはうちに来るときはいつも快活で、いつの間にか私にもパワーを注いでくれる。飲んでいないのに飲んでいるかのようだ。
いつものように打ち合わせもそこそこに、いただいた手作り味噌やNさんの娘さんのことなど話に花を咲かせていると、Nさんは話しながらときどき店のスピーカーにちらっと首を向ける。「ん?」とほんの少し止まって、また話し出す。流れていた法貴和子の歌声が気になるのだ。フランス語だ。でも不快なそぶりは見せていない。カウンターに置いてある10インチのジャケットにも目がいく。髪を片方刈り上げた東洋人が肘をついて全面に写っている。次の曲は私も好きな「ハーリー・ディビッドソン(Harly Davidson)」だ。最初の節が終わると「ぶひゃ〜、なにこれ〜」Nさんが吹き出した。かけていたアルバムは『KAZUKO HOHKI CHANTE BRIGITTE BARDOT(法貴和子 ブリジット・バルドーを唄う)』。全曲BB関連である。もちろん両面B面。「ぜんぜんいい。いいよ」さらにこれまた怪しいイントネーションの英語や日本語も入り乱れる。Nさんは英語も堪能。でも全く問題はなさそう。歌を楽しんでいる。しかしこのフランス語の歌い方をこの場でどう説明すれば良いのか語彙が見つからない私には悩ましい。
70年代ドイツのCANのダモ鈴木を思わせるヴォーカル・テイストとして一聴似ているようでもあるが、単に東洋人にアルファベットの歌詞を歌わせる面白みより、この歌い方にある種の凄みが感じられるのではと私は思う。この歌を聴きながら自分が思い描くや、そのイメージを問われ──錬金術師の技を見たいと思うなら、まずは自分自身に仮借ない眼差しを向けなければならないはず──そして可愛らしさを併せ持つ悪魔的なBBへの許容も試される。そうすればいるはずのないBBがひょっとして目の前に現れるのかもしれない。成り切りや陶酔とは違う半ば脅迫にも近いような法貴BBの不思議な口遊みが言語の壁を超えどっと押し寄せる。……私の言っていること、みなさんおわかりでしょうか?
法貴和子は70年代後期イギリスに拠点を移し82年にFrank Chickensを結成する。私は『WE ARE FRANK CHICKENS』と法貴和子がしばらく一致しなかったが、今となっては演奏にどちらもSteve Beresfordがメインで参加しているので替え歌志向や楽曲のアイデアには十分納得がいく。法貴BBは86年、バンド・デジネ調のジャケットで知られるフランス・NATOのサブレーベルchabadaの10インチシリーズの1枚としてリリースされた。NATOは整理番号も面白い。1枚目から番号は5。以後7、10、14、19と続く。私のお気に入りLol CoxhillもNATOのものは3枚持っているが10と157と439だ。Beresford とHan Benninkのデュオは1330。80年代初頭にスタートしたレーベルが10年も経たず4桁の番号になるか? 前出のKさんはNATOを全部持っていると言っていたが並べてコンプリート感があるのか聞いてみたい。この数列、みなさんおわかりでしょうか?
別な日に写真家のJが来た。chabadaレーベルのTHE MELODY FOURをノリよくかけ、流れで法貴BBもかけた。「いいねこれ。最高」とJ。Jはフランス人だ。まだ若く来日3年未満でも私より日本語も上手で日本文化にも詳しい。ああ、ちゃんとフランス人には伝わるんだあと思ったが、「フランス語には全く聴こえない」と言う。フランス語も日本語も話すJだからこそ分かるのだろうか。そもそも日本的なのか。日本語イントネーション的外国語がオツなのか。私が考えあぐねている説明なんかより、書いてある言葉・歌詞が伝わらなくても音楽として響いている。そしてBBが立ち現れる。まさしくAAの言葉を思い出した。NさんもJも日本人が歌っているとかはあまり興味ないようだった。私は日本人という意識の上でアルバムの面白みを感じていたが、もっと先にある音楽を彼らは聴いている。
次のチャーリー・チャップリン以降はすっ飛ばします。近くにもゾロ目イニシャルがいた。中古のフレームを買って春先から自転車を組んでいるが、経験のない私は毎週と言っていいほど世田谷にある自転車屋H商会に通っている。店主はHHさん。私が部品をあさり、古いマスプロ車のフレームにそれらの部品が合うかHHさんに品定めをしてもらう。あるときクランクを取り付ける段階に来た。ところで、読者のみなさんはクランクの根元の軸芯のことをなんて呼ぶかご存じですか?「ボトムブラケットって日本ではそう呼ぶんだけど、BBって言ったらブリジット・バルドーっていう女優が昔いたんだよねえ。肉体派の。知らないよなあ、お兄さんは」ここでもBBか。HHさんは80歳はとうに超えている。もちろんハーレーダビッドソンの話ではなく自転車の話です。
東京はこの夏まさかのオリンピックでいろんな国の人たちがアルファベットを背負って行進をしている。この原稿は夜な夜な書いている。夜中にやるのが自然なオリンピックのような気がしていたが、今回はどうやら昼間にやっているようだ。夜中にしかメールが来ない友達のAさんからメールが来た。いつもの短いメールで「ヴァインガルトが亡くなった」とひとこと。Aさんは私の短い留学時代からの旧友である。長期留学していたAさんは先生のヴォルフガング・ヴァインガルトとも親しかった。スイス・バーゼルの地ビール、ウエリ・ビアはうちの店にはないが、当時Aさんといつも飲んでいたビールで今ではうちのレギュラーメニューとなっているシュナイダーでWWに献杯する。
KAZUKO HOHKI CHANTE BRIGITTE BARDOT
(chabada OH12)
二宮大輔(にのみやだいすけ)
1975年、東京生まれ。喫茶店主。