二宮大輔 どっちも回っている
2. 十字山に亀裂
 元日夜から熱が出た。翌2日は熱が下がった。3日はまたぶり返した。普段36度後半でもだるさを覚える私は37度超えくらいでも結構しんどい。3日は一日布団に入っていた。翌朝は幸い熱が下がり、年明け初診療の近所の病院に「もしや、あの検査を?」と思いながら向かった。待合室ではこれまた近所に住む音響雑誌の編集者kさんと、私と誕生日が同じの息子さんkくんに会った。kくんは私に目もくれず、ずっとアンパンマンを観ていた。自分の名前が呼ばれ、何となくもやもやしながら診察室のドアを開ける。以前「ロキソニンとか解熱剤が効かないんです。すぐ点滴打ってください」と言ったらすぐに点滴を打ってくれた先生は、白衣ではなくこれから手術でも始めるかのような出で立ちだった。診察では別段ウイルス検査の話もなく、鼻水と痰などの薬が処方されただけだった。もやもやもすぐに晴れた。

 3年くらい前から関わっている雑誌がある。風邪が治ったばかりで喉の調子も悪く、年始の打ち合わせはオンラインにしてもらった。ひさびさのzoom打ち合わせだったが、いつも忙しい編集長のiさんは慣れたもんだろう。それでもじっとしてられないタイプと自身で言っていたところを見ると、現場の雰囲気を肌で感じられない昨今の取材状況にはやっぱりもどかしさもあるはずだ。昨秋そのiさんがこの雑誌で翻訳を担当しているsさんを店に連れて来てくれた。sさんは主に文芸書の英訳を手がける翻訳家。iさんがsさんに私をこう紹介した。「クレジットには仁木順平とありますが、二宮さんです」。sさんはややこしい説明や私のどうでもいい芸名にも混乱せず、英語会話での本名ではないことについての言及や表現を淡々と教えてくれた。別名、実名、偽名、芸名、通名、あだ名など名前の使い分けは字面を見ただけでもいろいろある。しかしあっちでは、聞いたところによるとそんなに気にしないということだ。「私の名前は仁木順平だが、本名は二宮大輔だ」なんてことはいちいち言わない。本名が恐ろしく長い人もいるし、本名という概念すらないふうだった。sさんは言った。「そういう場合はI go by ◯◯と言いますね」。なんて簡単な言い方なんだと思った。My name is ◯◯のように堅苦しくなく、aka(also known as)はカッコつけのような気もするが、I'm ◯◯よりオツだ。ちなみにsさんもいわゆる本名でないそうだ。なぜ私が仁木順平を使っているのかは機会があればそのときに。I go by Junpei Niki.
 本名を使っていない人といえばペンク(a. r. penck)が思い浮かぶ。日本では奈良美智さんのドイツ留学中の先生として知られているようだが、私は全然知らなかった。そうペンクは画家だ。さらに音楽家としても数多くのレコードを残している。うちにも20数枚ある。ジャケットは全てペンク自身による絵と文字だ。集めていくうちに芸術家なんだろうなあとは思っていたが、ペンクがそんな有名人とは知らなかった。ここではこの無知のままペンクの画業ではなく音楽の方に着目したい。最初に買ったペンクは「PiANO SOLO」とタイトルが縦に組まれているレコードだった。アートワークはプリミティブというか単純な絵で、彩りもはっきりしている。白黒の鍵盤と赤い両手が随分と乱暴に描かれているように見える。それぞれの手の甲に顔が描かれ、その口にはAUの文字。色に階調はなく、2色刷りで鮮やかだ。A面をかけると、ラベルにPiano Solo in N. Y.とペンクの字で書いてあるのに、のっけからドラムとピアノが一緒に聴こえてくる。そして演奏は……ん? どうなのかなこれ……でもまあこれもフリーか。B面はずっとピアノソロだ。ラベルにはPiano and DrumsとBad Homburgとあるから、表記が逆なんだ。こっちの演奏はというと、心地よさがA面よりあるが、まあ変わらない。
 様々楽器を操るこのディレタントに恥ずかしさのようなものは全く感じられない。鍵盤楽器とドラムの他にも、ベースやギターやフルートやシンセサイザーと多彩。そしてどれも演奏技術は同じくらい。素人が練習をしているかのようだ。いや、練習なのかも。急にやめたり、また始まったり、テンポが変わったり……しかしソロ以外のアルバムでは驚くことに超一流ミュージシャンたちがサイドを固めている。Butch Morris、Frank Lowe、Frank Wright、Billy Bang、Denis Charlesなどロフト・ジャズと言われた精鋭たち。さらに驚くのは彼らが演奏に厚みを持たせたり、ペンクを引き立てたり、もしくはその反対にペンクの音を消し去ろうとやり過ごすのではなく、むしろみんな全力で下手くそにやっているのだ。うちにある全てのレコードがそうだ。あえて「下手くそ」と書いたが本当に下手なのだろうか。もちろんプロのミュージシャンは絶対違う。以前音楽に詳しい編集者kさんに聴いてもらったところ、プロがわざと下手に演奏するのは相当難しいだろうと言っていた。ではペンクはどうだろう。ジャケットに改めて目を向けるとどれも原始的な絵に見える。演奏同様全くてらいはない。子供っぽくすらある。だが絵を見ながら音を拾っていくと、だんだんと自分のその評価というか基準自体が愚問になり、本当に不思議なこの調和に感動してしまう。メロディやリズムを作ったりとか、曲の構成を考えたりとか、何かそういった規範を全て拒否しているように聴こえてくる。本業?の絵画もそうなのかもしれない。
 曲の長さはどれもレコード片面全部か2曲。筋書きもない(だろう)。あってもそんなの関係ない(だろう)。なぜこれだけのミュージシャンたちがペンクの元に集まって来るのか。誰が演奏に指示を出すのか。自然とこうなるのか。もちろん調和を保たせるのはプロのなせる技でもあるのだが、なにより異質のミュージシャン・ペンク自身によるものだろう。
 あとで調べたがペンクは1939年ドレスデンに生まれている。戦後東ドイツ領になった都市だ。本名はラルフ・ヴィンクラー(ralf winkler)で、60年代半ばからa. r. penckと名乗るようになる。その他にもいろいろ名前を使い分けたようである。活動拠点や名前の変遷も、戦争と東ドイツでの様々な芸術活動の制限が要因だろう。そこでアーティストとして生き抜けたのは人を虜にする包容力があり、さらに没個性もあったからで、だからこそ東ドイツからのすり抜けも可能だったのではないか。そして個性的なミュージシャンたちに愛されペンクは80年代音楽にも力を注いだ。この力というか情熱は絵画表現でも音楽でも同じであるはずだ。できた形はテクニックや名前などでは定められない遠いところにある。紋切り型でもなくアカデミックでもない。いろいろな情報があたかも自然に入って来て、簡単に知れて学べてしまう現代と比べると、その位置はより明確なはずだ。
 ドイツでは東西ベルリンの壁崩壊によって80年代は終わりを告げる。その頃我が家で買った明菜のプライベート(ミニコンポのシリーズ名)は、店のオーディオ機器となった今も現役だ。90年代以降ペンクもcdにシフトする。cdは確認していないがどのレコードの盤面にも横向きのライオンが描かれている。ライオンが何かを意味するのかどうかペンクに尋ねたい。ペンクは2017年に亡くなっている。

 店の仕事始めは予定通り1月8日からできた。全くお客さんが来てないだろうと心配して映画友達のeちゃんとkさんが来てくれた。彼女たちは映画の同人誌も作っている。きわどい映画に辛辣に切り込む二人は、うちの少ないメニューにも枕詞をつけながらいつも楽しく注文してくれる。帰り際、以前からちょっと気になっていた彼女たちの風変わりなマスクを、kさんが注文してくれると言うので少々話し込んでしまい、この日店を閉めるのが20時を回ってしまった。シャッターを下ろし店頭のランプを消して数分後、家の電話が鳴った。出ても何も聞こえない。切って数分後また鳴った。違う番号のようだったが出てもまた何も聞こえない。む、む、無言電話だ。立て続けに? いや考え過ぎだ。何かのセールスかもしれない。こんな夜に?
 自分は商売柄仕事がないと自然自粛状態になるので籠るのは慣れているが、世界中がこういう状況でそれも長く続くと、人は何となくイヤな方に考えたり、悪い考え方になるのかもしれない。私もそれに漏れていなかった。そもそも普段からちゃんと物事を考えてないくせに……。だけど無言電話は黒電話の方がいいと思った。


a. r. penck: Kreuzberg trennt/Im Keller in Wien
二宮大輔(にのみやだいすけ)
1975年、東京生まれ。喫茶店主。
 
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