二宮大輔 どっちも回っている
1. あなた鳥なの?
 カレー好きの編集者kさんからメールが来た。てっきりカレーメールかと思ったら、去年亡くなったジョナス・メカスを長い間サポートしてきた翻訳家木下哲夫さんのインタビューについてだった。ときどき開く『メカスの映画日記』。このときもkさんが教えてくれた木下さんのyoutubeを見ながらパラパラとめくっていた。ふと「マヤ・デーレンと映画詩」という文字が目に入り読み進めていくと、木下さんの声と並走するかのようにメカスが言う。「一般の劇映画のストーリーや二、三の状況なら描写することもできようが、本質的に詩である映画、その物語性でなく視覚的な関連とシンボルによってわれわれに働きかける映画を、言葉で捕えるのは不可能である」。
 「私もそう思うよ」と、ぐるぐると回る映写用フィルムにぼんやりと映るメカスに向かい心の中で呟いた。ほどなく、あれ? この言葉はメカスでなく、木下さんの解説でもなく、どこかで聞いたことあるぞと思い、記憶を辿ると、この文章を書くきっかけをくれたnさんに行き当たった。私はかれこれ20年くらい前に、nさんの主宰する映画研究会に顔を出していた。研究会の名前は忘れてしまったが、溝口映画をよく観ていた気がする。それから私は留学したりサラリーマンになったりするうちに、nさんとは疎遠になってしまった。
 あるとき多和田葉子さんの研究をしているhちゃんが、私の店でかけていたレコードに反応した。流れていたのはエルンスト・ヤンドゥル(ernst jandl)の『bist eulen ?』。「なんかこの感じ、いいですね」「あ、この人、多和田さんも講演で触れていたかも」(これは未確認情報)とhちゃん。ヤンドゥルはオーストリアの詩人だ。名詞の頭が基本大文字で始まるドイツ語にあって、ヤンドゥルは大の小文字好きなようで、私が持っているextraplatteから出た2枚のレコードには、レーベルのロゴや住所以外大文字が全く印刷されていない。ヤンドゥルが発する言葉に大文字は存在しないのだろう。それは書かれた詩、印刷された言葉や文章が視覚的に醸し出す雰囲気やリズムに関係するのだと、止まってゆっくり考えることができない私のオツムでも理解することができる。というか聴けばわかるし、見て面白い。
 hu
 bo
 hu
 bo
 hhu

 とか、
        babba
        babba
     toobaba
     toobaba
 tohuubaba
 tohuubaba
 とか、
 tot
 tut
 tat
 tot
 tu
 など。ヤンドゥルとは対照的なlauren newtonの高い声に男性コーラスやマリンバが絡む。そのコーラスも担当するwolfgang pushingのサックスやクラリネットが心地よい。クレジットを見る限り全ての詩に出典があり、このレコードのために書かれたわけではないのだが、曲順や流れも絶妙で、a面b面それぞれに文字通り発声する演者たちの顔が浮かび上がり、舞台でのライブレコーディングにすら聴こえて来る。b面終盤の表題曲の「eulen」(小文字だと字面が対称的)でカバーの絵と繋がる。フクロウ(eule)というか鳥の脚が鋏で切られている絵だ。不気味だが、80年代にクラフト系の紙に刷られた二色刷りの赤が何となく滑稽に見えてしまう。pushingが参加しているので、ジャズというかフリーミュージックとしてこのレコードに惹かれたのだろうが、いつ買ったのかも覚えていない。
 nさんとのやり取りが復活したのは、6年前に会社を辞めsnsを始めてからだ。nさんがヤンドゥルについて投稿していた。普段仕事でpcを使い、この原稿を書くに当たってインターネットでヤンドゥルのことも調べたりしたが、網社会に疎く、実はちょっと前までユーチューバーというのは、私がおニャン子クラブかプログレ動画を見ているときに、次々横に上がって来る以前見たと思い込んでいる映像を、見たこともないのに懐かしく思わせる高度な操作をする人たちだと思い込んでいた。人間というか、私の記憶は曖昧なもので、nさんのことも言葉や映像を通して時間を操る魔法使いのような人だと、勝手に決め込んで自分の頭の中に仕舞い込んだのだろう。毎年この時期(11月)、多和田さんと高瀬アキさんのパフォーマンスを見に行くのが恒例となっていたが、残念ながら今年はない。原稿を書き終えたので今からオンラインの配信動画を見よう。 

ernst jandl: bist eulen ?
(extraplatte EX 316 141)
二宮大輔(にのみやだいすけ)
1975年、東京生まれ。喫茶店主。
 
Back to Top