中村剛彦 生存と詩と
9、聖夜の音楽と死


 ヴィム・ヴェンダースの名作「パリ・テキサス」のサウンドトラックを聴きながらこれを書いている。特に理由があるわけではないのだが、スライド・ギターの名手ライ・クーダーが弦にボトルネックを滑らせる摩擦音と森の木霊のように聞こえてくるコードのリズム、そして沼の底から響いてきては消えていく旋律に酔う。闇のなかでじっと耳を澄ます音楽。ときに夜明けの光が差し込むかと思えば、また夜の底へと沈む。朝と夜が混ざり合う時間の流れが、私を薄暗い霞色の青春時代に導く。何より、このサントラに収められている最終章の語り(ナラティヴ)は、私の人生の本質のように思える。二十歳前後の夜によく聴いた、愛というものが放射する破滅の人生の悲痛の詩だ。
 “He loved her more than he felt possible….” (自分が感じる以上に彼は彼女を愛していた……)
 “Jealousy was a sign of love for him …. ”  (彼にとって嫉妬こそが愛の印だった……)
     愛は、人生を削り落とし、自己の存在を薄明のように虚しくする。最近はそんな思いに陥る。私は人や動物を全身で愛しつづけてきたと確信しているが、すべて痛みしか残さなかった。愛した存在の写真を前に、そのときそのときの自身の行動の愚かさがよみがえる。快楽の記憶でさえ痛みにしかならない。耐えられなくなり、部屋を出ると、自分を嘲笑うように三日月が溶け出している。

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 クリスマスが近づくと憂鬱になるのはなぜだろうか。人生には、楽しかった、愛おしい思い出しかないはずなのに、ここ数年はそれゆえに沈鬱な想いに落ちていく。なぜだろうか。
 幼い頃、私の家ではクリスマス・ツリーを家族で飾っていたが、その傍らでは英国の教会のクワイアが木製スピーカーから流れていた。私は少年たちが歌う旋律にいつも身を委ね、窓ガラスに映るツリーの装飾にいつも見入っていた。そして近くの丘に立つ教会に兄弟姉妹たちと短い林道を行くのであった。私は末っ子だったから、姉に手を引かれて、いちばん夢を見ていた。あの道が私がはじめて歩んだ詩であったのかもしれない。
 いまや失われた詩を思い出し、憂鬱になるのは情けないが、すべては失われた……。
 聖母マリアはなぜこんな真冬にイエス・キリストを産んだのだろうか、などと、そればかりがなぜか頭を巡る。ベツレヘムではないこの海辺の地で、溶ける月を見上げ、星辰を見上げると、自分がなんてちいさいのだと思う。「お前は人生に失敗したのだ」と夜の波打ち際に羽ばたく一羽の真っ白な鵠が冷たい風を送ってくる。夜の羽ばたきは白い炎のようにほんとうにうつくしい。近くを若い男女が炎に包まれて過ぎていく。

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 部屋に戻り、詩を訳す。(何度か訳出しているMichael Donaghy “101 Poems about Childhood”より)

  
 A Child in the Night    Elizabeth Jennings

 The Child stares at the stars. He does not know
 Their names. He does not care. Time halts for him
    And he is standing on the earth’s far rim
    As all the sky surrenders its bright show.

    He will not feel like this again until
    He falls in love. He will not be possessed
    By dispossession till he has caressed
    A face and in its eyes seen stars stand still.


 夜のひとりの子   エリザベス・ジェニングス

 その子は星々を見上げる。子は知らない
 それらの名前を。そんなことはどうでもいい。時は止まり
 子は最果ての地に立っている
 空一面が耀きに満たされているから。

 子にはもう同じ夜はおとずれない
 恋に落ちるまでは。彼はなにも失わない
 抱擁した瞳にかがやく星々が
 奪われるまでは。


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  ひとりの子が、世界中に愛される聖夜の音楽を響かせて牢獄で死んだ。
 殺人者となって、彼は去年死んだ。牢獄で感染症にかかって死んだ。
   “A Chirstmas Gift for You from Phill Spector”
    この素晴らしいクリスマス・アルバムには何が込められているのだろう、と今日もベランダで星を眺める。
 相変わらず月は溶けながら嘲笑っている。星々をプツプツと産んでいる。
     詩人の人生はこうして夢のなかで終わってしまうのだろうか。
 音楽と詩と死が一体となる聖なる夜に、ひとりで倒れながら踊る。
 

 (2022.12.19)
中村剛彦(なかむらたけひこ)
1973年、横浜生まれ。詩人。元ミッドナイト・プレス副編集長。詩集『壜の中の炎』『生の泉』(ともにミッドナイト・プレス)。共著『半島論 文学とアートによる叛乱の地勢学』(響文社)。
隔月連載評論:「平成詩漫歩」(「新次元」サイト)https://gshinjigen.exblog.jp

過去の連載等(ミッドナイト・プレスHP)
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