中村剛彦 生存と詩と
8、ある祝祭

 夏が終わろうとしている。
 鈴虫の音が聴こえるなかで、ひさしぶりに書く。


 ちょうど二年前の今日九月一日は、横浜からここ鵠沼海岸に引っ越してきた日だ。毎朝、二日酔いで海岸を歩く。砂浜に落ちている貝殻を拾い、鴎や鳶や海猫たちの囀りを聴き、砂浜に打ち上がった魚の死体とマイクロ・プラスチックの破片を見つめ、サーファーたちの波乗りの姿やビーチバレーをする逞しい肉体の男女を眺めなら、果たしてやせ細ってしまった自分はこの土地でこのまま生きて死ぬのだろうか、などと考えることが多くなった。

 この土地に越してきた理由は幾つかあるが、ひとつはこの土地に連れ合いが住んでいること、ひとつは二年前に世を去った愛犬とこの海岸で遊んだことなどなどであるが、何よりも、コロナ禍になって生活が行き詰まり、仕事を含めた生活を一新し人生をリセットしなければ生きていけなくなったからであった。

 だからこの二年はいつも生きることと死ぬことの意味を問いつづけてきた。鬱ではないかと思うこともある。そしてノートにそんな問いを詩のような言葉で綴ってきた。

 ただ最近、そう問うこともどうでもよくなってきた。戦争はいつまでもつづき、世界にはさらなる暴力と狂気が蔓延りつつある。こんな世界であってもなくてもいつかは必ず自分は死ぬし、死んだ時はただ「一人の男が死んだ」で終わりである。そう考えれば、今日の一日を愛する存在と生きられることは感謝以外にない。

 そんな思いのなかで、ただひとりのために書いた詩をつける。これでいいと思う。


祝祭   中村剛彦

朝、夢の終わりに聴く
あなたが扉を閉じる音が
朝露の雫になって
額に溢れる

半月はまだ眠ろうとしないから
夢は終わらないまま
不思議な痛みをともなってわたしを枕に沈ませて

──遠い土地から銃声が聴こえる
──遠い土地から悲鳴が聴こえる

国境を越えた少年と少女が
最近、海岸で焚き火をしているという噂は
ほんとうだろうか

ぼくらの過去が告げているものは
そういうことなのかもしれないと
夕ご飯の支度をしながら
あなたを待つ

──遠い土地から子守唄が聴こえる
──遠い土地から祭の歌が聴こえる

夜、夢のはじまりに聴く
あなたが扉を開ける音が
夜露の雫となって
黄金色にこころに溢れる

そのようにぼくらの一日がいつまでも
祝祭でありますように。

(2022.9.1)
中村剛彦(なかむらたけひこ)
1973年、横浜生まれ。詩人。元ミッドナイト・プレス副編集長。詩集『壜の中の炎』『生の泉』(ともにミッドナイト・プレス)。共著『半島論 文学とアートによる叛乱の地勢学』(響文社)。
隔月連載評論:「平成詩漫歩」(「新次元」サイト)https://gshinjigen.exblog.jp

過去の連載等(ミッドナイト・プレスHP)
Back to Top