中村剛彦 生存と詩と
7、エミリーのふたつの声

 
 生存が脅かされるとき、わたしはいつも詩を求めてきた。藁をもつかむ思いで、手元に開かれている詩を読んできた。あらゆる暴力にさらされたとき、詩はわたしを守る最後の砦であった。なぜなら、詩はどのようなことばよりも圧倒的に無力だからだ。何もできない、という地点で息を吸い、生き、倒れていった詩人のことばこそが、わたしを今日まで生かしめてくれた。
 この1ヶ月で何度も読んだ詩を以下に挙げる。 

 Tell me tell me Smiling Child’         Emily Brontë

   Tell me tell me smiling child
   What the past is like to thee?

   An Autumn evening soft and mild
   With a wind that sighs mournfully

   Tell me what is the present hour?
   A green and flowery spray
   Where a young bird sits gathering its power
   To mount and fly away

   And what is the future happy one?
   A sea beneath a cloudless sun
   A mighty, glorious, dazzling sea
   Stretching into infinity


 おしえて、おしえて、微笑む子よ  エミリー・ブロンテ   中村剛彦訳

 おしえて、おしえて、微笑む子よ 
 過去ってどんな姿だった?
 柔らかくおだやかな秋の夕
    風が悲しげにため息をついていた

 おしえて、いまってどんな姿なの?
 草と花の光のなかで
 一羽の小鳥が力をためて
 遠くへ飛び立とうとしている

 かわいい子よ、未来ってどんな姿なの?
 雲一つない陽の光に照らされた
 めくるめく、荘厳で、壮麗な海原が
 永遠まで届いている。

 1ヶ月前、戦争がはじまった日の夜、いつも寝る前にぱらぱらと読む "101 Poems about Childhood edited by Michael Donaghy" でこの詩をじっと見つめた。
 エミリー・ブロンテは、200年ほど前にわずか30歳で無名のまま死んだが、唯一残した小説『嵐が丘』が世界文学の最重要作品の一つとなった。なぜだろうか。
 わたしは『嵐が丘』を読んでいない。映画化されたものは昔みたことがあるが、つまらない作品だった。ただ、この詩を読んで、『嵐が丘』を読もうと思っている。
 上記の詩はシンプルである。過去・現在・未来の姿を子どもに語りかけながら、みずからの内なる童心が答えていくこの詩は、いまの世界の悲惨の地の、子を失った母のことばでもあろうとわたしは読んでしまう。絶対的な絶望が、最後にはこのような詩を生むのではないかと思ってしまう。いま、わたしはこのような詩を書いたエミリー・ブロンテという詩人に急速に惹かれている。そして、次の詩人の詩も。

 * * * 

 Safe in their Alabaster Chambers ──  Emily Dickinson

   Safe in their Alabaster Chambers ──
   Untouched by Morning ──
   And untouched by Noon ──
   Like the meek members of the Resurrection ──
   Rafter of Satin ─ and  Roof of Stone!

  Grand go the Years ─ in the Crescent ─ above them ─
  Worlds scoop their Arcs ──
  And Firmaments ─ row ─
  Diamonds ─ drop ─ and Doges ─ surrender ─
  Soundless as dots ─ on a Disc of Snow ─


 アラバスター廟で眠る──      エミリ・ディキンスン   中村剛彦訳

   アラバスター廟で眠る──
    朝に触れられず──
 夜にも触れられず──
 あの復活者のやさしい仲間たちのように──
 サテンの屋根板 ─ 石の屋根!

 歳月は荘厳に過ぎ ─ 三日月のかたちに ─ 頭上で ─
    世界は弧をえぐる──
 そして天空を ─ 漕ぐ ─
    王冠は ─ 落ちて ─ 総督たちは ─ 降伏し ─
 斑点のような無音だけが ─ 雪原に残る ─

 なぜこのような詩が書かれうるのか、わたしには分からないが、アメリカ現代詩の礎である詩人が書いた、死者と自分を同期させた詩をくりかえし読んでしまう。
 つまらない解釈をこねれば、冒頭行の 「Alabaster Chambers」を訳すことがかなり難しく、「アラバスター廟」とした。既存の亀井俊介訳や新倉俊一訳では「雪花石膏の部屋」「アラバスターの部屋」となっている。確かに「Chambers」とは、東洋の死者を祭る「廟」ではなく、裁判官と弁護士が最終審判を下す部屋を意味する。ただ四連目にある「復活者」=「キリスト」のイメージがこの詩を強く支えていることから、キリスト教圏の人々が抱く死後の救済への祈りの詩であることをうまく伝えたく、あえてこのようにしてみた。
 そして何よりこの詩の翻訳の難しさは、途切れ途切れの「──」でつなげられている、まるで吐息から漏れるような詩句の連なりである。発語することの苦しみと、発語できないままにある無言の「声」とのせめぎ合いのなかでこれを綴った詩人の姿を想像して訳さなければならない。ただ、この困難な翻訳行為そのものが、わたしにとって詩作行為であると信じられるのがうれしい。ディキンスンの詩はいまのわたしの心を代弁してくれていると思え……。

 エミリーのふたつの詩は、破壊のあとに何もかもが消えてしまった人類が最後に目にする世界を透視している。
 ディキンスンは200年前のアメリカ、ブロンテは200年前のイギリスを生きていた。いまの世界地図とどう違うかを説明することはわたしの手にあまるが、当時、世界を支配していった国家の内部から生まれたこのような詩が、いまもかの地で、無名の、無力の詩人たちによって焦げたノートに日々書かれているはずである。その詩は必ず200年後に、いやもっと早く、世界は目撃する。

 * * *

 真冬のようなつめたい雨が降る今日、少し開けている窓からの風はどこか柔らかい。このしじまのなかで聞こえてくる中世の春の音楽に耳を傾けて詩を綴ってみる。

 春の音楽

 ひとつひとつ星の明滅を数えながら、この
 かけらのような命をてのひらに乗せて
 街をさまよう 今夜

 世界はもう終わるかもしれない と
 賢い人が言うと
 世界はこんなに輝いている と
 純粋な鳥が飛び立つ

 波のなかへ ちいさな旅の楽団が
 去っていく このくらい部屋に蝋燭を灯し
 透き通った墓地に銀色の雨を降らして

 ぼくは聴いている
 ひとつひとつの時を てのひらに乗せて
 雪が積もる 鍵の開かない場所で
 長く閉じていた両眼を 開きながら

(2022.3.22)
中村剛彦(なかむらたけひこ)
1973年、横浜生まれ。詩人。元ミッドナイト・プレス副編集長。詩集『壜の中の炎』『生の泉』(ともにミッドナイト・プレス)。共著『半島論 文学とアートによる叛乱の地勢学』(響文社)。
隔月連載評論:「平成詩漫歩」(「新次元」サイト)https://gshinjigen.exblog.jp

過去の連載等(ミッドナイト・プレスHP)
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