中村剛彦 生存と詩と
2、狼がやってくる  ── 詩とはなにか


わたしは夜

わたしは夜。わたしのヴェールは
白い死よりもはるかにやわい。
わたしはすべての熱い悲しみを
わたしの冷たい、黒い船に乗せる。

わたしの恋人は長い道。
わたしたちはどこまでも結ばれている。
わたしは愛(いと)しい彼を絹のようにやわい
わたしの黒髪でおおってあげる。

わたしの接吻(くちづけ)はライラックの香りのようーー
さすらい人(びと)はそれを身に沁(し)みて知っている。
わたしの腕のなかに沈むさすらい人は
すべての熱い女を忘れる。

わたしの手はほっそりとして白く、
いかなる熱も冷(さ)ましてしまう。
この手に触(ふ)れられると、どんな額(ひたい)も
意志とはうらはらに小声で笑い出す。

わたしは夜。わたしのヴェールは
白い死よりもはるかにやわい。
わたしはすべての熱い悲しみを
わたしの冷たい、黒い船に乗せる。

          1941年5月6日 16歳8カ月


 前々回に引用したゼルマ・M・アイジンガーの詩を今年最後に引く。というのも、いま、この詩を、ナチスによるユダヤ人迫害の犠牲となった少女の詩、という前提で読んでしまわなければならないことが、私のなかで、「詩とはなにか」という問題と直結し、2019年を私がいかに詩を生きたのかという総括として考えたいからだ。しばしこのゼルマの詩をみつめる。
 この詩が書かれたとき、ゼルマはすでにゲットーに隔離されていたが、その翌年には強制収容所に送られ、1942年12月16日に死んだ。ゼルマの手書きの詩集は奇跡的に友人から友人へとわたり、いま私たちが読むことができるが、あたかもその一言一句はひとりの早熟な文学少女の手による、この悲惨極まる戦争の現実を永遠に訴えつづける無名の木霊のようである。そして現在もつづくすべての反戦精神の拠り所の詩としてゼルマの詩はありつづけている。私が持っている『ゼルマの詩集』が岩波ジュニア新書から「強制収容所で死んだユダヤ人少女」と副題が付けられて刊行されているのも頷ける。つまりゼルマの詩は、子どもたちに向けられた教育的価値があるものとして読まれるべきだということである。1986年に第1刷が刊行されているが、私が小学校を卒業した年である。当時ゼルマの詩を私は読んだ記憶はないが、戦後民主主義教育の真っ只中で、教室の後ろに並べてあった『はだしのゲン』や、体育館で学年全員で鑑賞させられた映画『ガラスのうさぎ』のインパクトはいまも胸深く刻まれており、人によっては子ども時代にゼルマの詩を読まされた人も多いかもしれない。
 しかし、私はこの教育的視点に妙な気持ち悪さを覚える。というのも、中沢啓治や高木敏子といった反戦作家たちが上記の作品のように平和の大切さを子ども向けに分かりやすく書いたことは、目的が明確であり正しい。しかしゼルマの詩の場合、詩人自身が明確な平和主義を唱えた反戦詩を書いたのでもなければ、ユダヤ人迫害の体験の悲惨を多くの人に伝えるために克明に詩に残したのでもない。ゼルマの詩のどこを読んでも反戦的な言葉もなければ現実の戦争体験もない。むしろふつうの16歳の少女らしい恋人への想いや、花や自然を慈しむメルヘン感情が色濃い。ただ一点、全編に死の影が差しているところに戦争の現実を反映しているといえる。しかしこれは日本の戦時中に書かれた堀辰雄や立原道造など四季派の文学者たちの作品にも共通するもので、直接的な戦争の現実というより観念としての死、言うなればアートに昇華された「死」と言ってもよい。
 

二、「詩とはなにか」

 20世紀以降の現代詩が抱えこみ、いまだ回答がでないこの大命題について、若いころ果敢に追求したが、けっきょく私にとって詩の原点は眼のまえの現実世界からはるか遠い、言葉だけで作り上げた観念界と、わたし自身の「肉体(または性欲)」が放つ醜い直接性との熾烈な戦いからはじまっていると考えざるを得ないから、ゼルマの詩に影を差している政治的、社会的、ましてや教育的なる恣意的「現実」が詩と切り結ばれていることをどうしても嫌ってしまう。極端にいえば私にとって元来、詩が目のまえにあるとき、その詩の背後で、戦争で誰が死のうと、生活難で誰が苦しもうと、権力者がたらふく上等なステーキを頬張ろうと、なんらその詩の価値とは無関係である。だからもしゼルマの詩が詩として高い価値をもつのであるなら、それは「強制収容所で死んだユダヤ人少女」の詩ではなく、16歳の少女の、言葉の観念性と肉体の直接性とが見事に融和された作品だからとしかいえない。
 もう一度、上の「わたしは夜」を読んでみてほしい。ここには最終行の「わたしの冷たい、黒い船」に収斂されていくゼルマ自身の観念性と肉体性の一致点が示されている。16歳でこれを見出すこと、これは私にとって当然のことであって、詩はつねにこの年齢においてこのように発生してしまうものである。もしもこの詩がその日付を取っ払い、今日、匿名詩人「ZERUMA」がネット上にあげたものであるなら、想像するにだれも政治的なことなど考えず多くの同世代の少女たちの共感を呼ぶであろう。あるいは反発をも呼ぶであろう。
 もちろん現実の悲劇は重要である。悲劇のさなかで書かれた詩の価値は重い。しかし詩とは、単なる「記録(ドキュメント)」でも「意志表明(メッセージ)」でもないことは言うまでもない。詩とは、「わたしは夜」のように、時代性を超えた普遍性にまで到達している、きわめて秩序立てられた喩のなかで完結している。つまり何者かがこの詩を「反戦主義」のために政治利用するのであって、単にそれはこの詩がもたらす恩恵の一面に過ぎない。
 
 このことはゼルマの詩に限ったことではない。近代以降のすべての芸術作品が背負ってきた観念性と直接性の間の亀裂と接続の反復の問題であり、つまりは私たち自身が観念性と直接性に引き裂かれた存在であることを指し示す問題である。逆にいえば、それを問わない現代の芸術作品などあるのかともいえる。なぜ芥川龍之介は自殺したのか。なぜゴッホは耳を切ったのか、なぜシルヴィア・プラスは幼い子を別室に置いてガスを吸ったのか、なぜカート・コバーンはこめかみに銃口をあてたのか、なぜ三島由紀夫は鍛え抜かれた肉体で割腹したのか。
 明らかに私たちにとって芸術家の「死」は、その芸術作品=観念性と、芸術家の生=直接性を折りたたむ極点として光輝いていることに気づく。自殺、他殺を問うことはここにおいて意味がない。「死」とはそれだけで現実の消滅と同時に観念の消滅であり、それはすなわち「詩」の消滅であり、私たちが想定しうる(言語化しうる)すべての世界の消滅点として否が応でも私たちを引きつけてやまない。
 

 三、「詩とはなにか」への一回答


 爐のほとり  津村信夫

 冬が近づく
 凍てた野面に霜が白く光つてゐる
 冬がちかづく
 私は幼時に聴いた
 狼の話を思ひ出してゐる
 かつて
 好奇と怖れの心から聴いた物語
 
 今はまるで冬の前ぶれのやうに
 単純に──だが習慣のやうに
 寒気が新らしく蘇つてくる

 狼が来る 狼が来る
 幻の狼が雪の道を踏んでくる


 前回夏の終わりに別の詩を引いたが、この津村信夫の詩を私は今年何度も読み、ここに示された「幻の狼」について考えつづけてきた。そしていま思うのは、この「幻の狼」とは、「死」の向こう側からやってくるもの、「詩」の消滅点からやってくるものなのではないかということである。
 古来、狼にまつわる説話(ナラティヴ)は世界中にある。もっとも身近なのはペローの「赤ずきん」であろうが、私が今年特に考えさせられたのは、この「狼」が「オオカミ」と読む以上、それが「大神(オオミカミ)」に通じている点である。この点の詳細は高木敏雄の『人身御供論』などをいま読みながら来年に持ち越そうと思っているが、いま述べたいのは、言わずもがな、「平成」から「令和」へと年号が変わり、新天皇が即位した際の私たち日本人が感受した「何か」である。「即位礼正殿の儀」の大々的なイベント性、パレードで熱狂する「国民」性、そしてNHKをはじめとする大メディア、またネット上におけるさまざまな「国民」鼓舞の言説に、私はゾッとさせられる感覚を覚えざるを得なかった。それは津村が端的に述べている「好奇と怖れの心から聴いた」ような「幻の狼」の物語が、私の肉体と精神が滅んでなお「語られ」つづける物語のヴィジョンとして顕現しているようなおそろしさである。この「狼」のヴィジョンを来年に追求せねばなるまい。津村は戦中にこの詩「爐のほとり」を書いた。この「令和」元年に生きた私の心に響かせる詩的言語こそが「詩とはなにか」の一回答であるのだと確信する。

 今日、2019年の大晦日にどうしても書き上げたく急ぎ足の論理破綻を許してほしい。ゼルマの詩にある「冷たい、黒い船」となった己の観念性と直接性の消滅点、「詩」の消滅点の向こうから、津村の「狼」がゆっくりと私のもとへ近づいているのだと書いて今回は締めよう。
 私の傍では老犬が眠っている。家族も寝てしまった。誰も観ていないテレビで紅白歌合戦が流れている。今年は私にとって大きな詩的存在を失った。
 「詩の消滅」。
 このことを念頭に、今夜はジョン・レノンの「How?」を聴きながら、年を越そうと思う。
 


中村剛彦(なかむらたけひこ)
1973年、横浜生まれ。詩人。元ミッドナイト・プレス副編集長。詩集『壜の中の炎』『生の泉』(ともにミッドナイト・プレス)。共著『半島論 文学とアートによる叛乱の地勢学』(響文社)。老犬と老猫と暮らす。
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