中村剛彦 生存と詩と
11、晩夏の夕
一年半ぶりに書く。なぜこんなに長く書けなかったのか。
一昨年の年末に母が自宅の階段で真っ逆さまに転落し要介護となり、長年透析治療を受けていた父も昨年夏から痩せ細り要介護となり、父は2月12日の夜明け前にトイレで倒れてあっけなく死んだ。
母はいまも介護が必要だが元気である。認知症も進んで30分前の会話を忘れるが、80歳を過ぎれば年相応といえばそうである。
少し前、俺が中学生の頃に母がレコードプレーヤーでかけていた「フラッシュ・ダンス」のサントラを一緒に聴いた。
「ミュージックが素敵ね」と母は微笑む。
「素敵だね」と、瞑られた母の眼を見つめる(俺の詩のすべてを与えてくれた母の眼を)。
そして何度も同じ曲を聴く……
こうして少しずつ、俺の肉体から精神が剥げ落ちてしまった。足裏に得体の知れない黒い水溜りが感ぜられ、3週間前から長く立てなくなった。
ベッドから起きれないままに書いた、8月の終わり、愛する者に捧げた詩を以下に置く。
一昨年の年末に母が自宅の階段で真っ逆さまに転落し要介護となり、長年透析治療を受けていた父も昨年夏から痩せ細り要介護となり、父は2月12日の夜明け前にトイレで倒れてあっけなく死んだ。
母はいまも介護が必要だが元気である。認知症も進んで30分前の会話を忘れるが、80歳を過ぎれば年相応といえばそうである。
少し前、俺が中学生の頃に母がレコードプレーヤーでかけていた「フラッシュ・ダンス」のサントラを一緒に聴いた。
「ミュージックが素敵ね」と母は微笑む。
「素敵だね」と、瞑られた母の眼を見つめる(俺の詩のすべてを与えてくれた母の眼を)。
そして何度も同じ曲を聴く……
こうして少しずつ、俺の肉体から精神が剥げ落ちてしまった。足裏に得体の知れない黒い水溜りが感ぜられ、3週間前から長く立てなくなった。
ベッドから起きれないままに書いた、8月の終わり、愛する者に捧げた詩を以下に置く。
晩夏の夕 中村剛彦
陽が沈み
私がこの世界から消えたら
あなたに抱いてほしい
去っていく夏とともに
私が愛していたものを
夜風はそのときいくつもの
青の影を部屋に残し
窓から去っていく
私の影とともに
月がのぼり
影が見つからないなら
思い出してほしい
私があなたのために生きたことを
熱暑の残酷な季節は過ぎたのち
一本の生命の樹が
己のためだけに地下水を汲みあげるように
そして私のすべてのことばは
あなたのものだ
わたしの生存が
あなたによって支えられていたのだから
台風が過ぎ
明日は秋となるから
窓に吹く風は秋風であろう
その予兆のように
私は消えてしまう
一篇の詩が夜道に落ちるように
雷鳴の轟く夜にこれを記す
すべては終わらないことの確証のために
私がここにあったことの証明のために
明日、闇夜のなかで
私たちは天体の奏でる音楽のなかで抱き合う
透き通る桜桃の
蕾。
(2024.9.15)
中村剛彦(なかむらたけひこ)
1973年、横浜生まれ。詩人。元ミッドナイト・プレス副編集長。詩集『壜の中の炎』『生の泉』(ともにミッドナイト・プレス)。共著『半島論 文学とアートによる叛乱の地勢学』(響文社)。
X(旧Twitter):https://twitter.com/takeandbonny
過去の連載等(ミッドナイト・プレスHP)