加納伊都 音楽と詩とヴァイオリン
2.忘却 
 今年2021年は、タンゴの巨匠アストール・ピアソラ生誕100年のアニバーサリーイヤーです。タンゴ音楽にいかに革命を起こしメジャーな音楽としたか、いや逆にタンゴを大衆化してしまったなど、様々に語られるのは専門家に任せるとして、ピアソラでポピュラーな曲と言えば、リベルタンゴとともに、オブリビオン(忘却)をあげる人は多いのではないかと思います。
 今、横浜マリンFMで毎週火曜日(12:30~13:00)に「加納伊都 Close To The Violin」という生演奏をしつつの番組を放送しているのですがマリンFM→http://listenradio.jp/)、先日、このピアソラのオブリビオンを初めて聞いたクロアチアでの出来事を話しつつ、演奏をしました。まだ10代の学生時代のことで、当時寄稿をしていた音楽雑誌ストリングに、この時のことをエッセイとして書いていて(Wienletter3,4で読んでいただけます。http://itokanoh.com/wienletter/wienletter03.html久しぶりに読み返したところ、鮮明にデティールが蘇ってきて、そしてその時聴いたチェロ演奏のオブリビオンのサウンドが、体験の画像とともに、まるで今聴いているかのように体に流れ込んできました。記憶が全く忘却されていないことに驚きつつ、記憶の不思議、もしかしたら記憶は音や音楽があることで、感覚として体に刻みこまれるのかもしれないと感じています。
 このクロアチアでの記憶が呼び覚まされたことで、イギリスのハムステッドエリアに住んでいた時のこと、近くにキーツハウスというキーツが暮らした家があり、毎週木曜の夜にキーツの詩の朗読会が行われており、よく散歩がてら、イギリス英語独特のはっきりとしたアクセントで発音される詩を聴きに、そして時々誘われるままヴァイオリンやハープシコードを弾きに行っていたこと、アクセントのせいか、フレーズの抑揚が震えて、空中でエコーする朗読の余韻や、イギリスの曇り空とエールビールの鼻につんとくる匂いなどを、胸がぎゅっとする切なさで思い出しました
(カンパーディッチやトム・ヒルデストンのキーツの朗読がYoutube等で聴けますので、文末のリンクからお聞きください)。

 ギリシャ神話ベースの Lethe(レーテー:忘却の川/水の精)は、ヨーロッパではポピュラーな題材かと思います。レーテーとは、黄泉の国にある川の一つで死者がその水を飲むと現世の記憶をすべて忘却する、そしてこの川の精がレーテーと呼ばれ、忘却の象徴となっており、「オブリビオン」も一種の忘却、忘れ去ることを象徴する英単語ですが、ヨーロッパでオブリビオンを演奏すると、レーテーね……と言われることが多々ありました。
 キーツの詩「憂愁のオード」は、"No, no, go not to Lethe(否、否、忘却の河に行ってはならぬ)"から始まるキーツらしい、メランコリーで、今のコロナ禍にマッチしているかなと思うような、ちょっと鬱屈してそしてちょっと夢想的な詩です。私は同じオードでも「ギリシャ壺のオード」が、リズミカルで、映画のワンシーンのようにイメージが浮かぶので好きなのですが、久しぶりにキーツの詩集(+バイロンとシェリー)を読み返しながら、毎週キーツの朗読会に憑かれた様に通っていたのは、彼の詩が、夏の夕暮れ、炭酸水が、喉からまっすぐ、ぴりぴりとした線香花火のような刺激を与えながら、胃に流れ落ちるような、穏やかだけど断固としたリズムを持っているのが、体に心地よい刺激を与えてくれるからかなと感じています。
 クラシックの演奏家にとって、曲が何拍子で作られているかは、演奏を始める際、何調(Key)であるかと共に一番重要なポイントです。
 クラシックでは4拍子ベースが主流で、ちょっとリズミカルにしたい時は3拍子ベース(ワルツなど)になるのですが、タンゴの場合は4拍子(2拍子)の中で、拍の裏にリズム、メロディーを乗せていくことになります。私はモーツァルトとピアソラを弾くと血が騒ぐのですが、モーツァルトやベートーヴェンを演奏するときは、拍の頭(表)を感じることが肝になり、ピアソラは、その裏拍をフォーカスすることがミッションとなり……私は拍をとること、リズムをとること、体にビートを刻むことが好きなのかなと、そして同じような感覚でキーツの詩を音読する、朗読を聴くと、体が詩のリズムにのる感覚に体が躍動する気がします。

 (エッセイ中)クロアチアで私を助けてくれたイギリス人は、俳句がリズムと相まって好きだと言っていたことを思い出しつつ、俳句の5、7、5のリズム、言語の持つリズム、体が求めるビートは、個々のDNAに含まれているのではないかと感じます。


 グローバル化が叫ばれ、どんな情報でも簡単に入手が可能な時代になり、どこに自分の歩みを合わせていいかわからないこともあるけれど、自分が感じるビート、リズムを頼りに日々生きて行ってもいいのではないか……と今年もますます暑い夏、熱中症でとろけそうな頭を抱え、忘却の川に行ってしまったら後戻りはできないのだろうけれど、ノイズの濁流のような日常の中で、自分自身のビートに耳を傾け、雑音から自由でいるには、時に忘却も悪くないのではないかと感じています。

 ピアソラのリベルタンゴは自由なタンゴの意、自由とは何かを考え出したら果てしないかもしれないけれど、これまで音楽家、演奏家たちが必要とした自由、作曲の自由、調性、リズムの自由、演奏場所の自由、感覚が自由になるということ、熱中症でもクーラーは使わず(家にないからだけれど)、南の国の王様のように暑い時は何もしない自由もあるよな……とソファーに寝ころび、オリンピックで工場が稼働していないおかげで、やたら青い空と海、そして熱気のせいか、海面が日射しの粒を反射して、金粉をまいたようにふわふわと輝く、いつになく透明感のある根岸湾をぼんやり見つつ、自由とビートについてちょっと考えてみようかと思っています。
                                             (2021.7.31)


加納伊都
横浜生まれ。4歳よりヴァイオリンを始め、12歳で神奈川フィルハーモニー管弦楽団と最年少で共演など10代始めより演奏家としてのキャリアを積む。
桐朋女子高等学校音楽科卒業後、奨学金を得てウィーンに留学。ウィーン国立音楽大学演奏科にて研鑽をつみ、首席で卒業。
以後ウィーン、ドイツ、イギリス、日本を始めヨーロッパ各地で演奏活動を行い、ウィーン国立音楽大学より表彰される。特に毎年12月横浜みなとみらいホールにて行われるリサイタルは好評を博し、202018回目を迎える。これまでに数々のコンクールに入賞。現在、ロンドン、日本を拠点に、ソロおよび室内楽で活躍中。またジャズライヴハウスでのライヴコンサートや絵画とのコラボレーションなど、ジャンルにとらわれない演奏スタイルを展開し、高評を得ている他、執筆活動、医療や教育現場とタッグを組んだ演奏活動など活動は多岐に当たり、様々な分野から注目をされている。
 
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