加納伊都 音楽と詩とヴァイオリン
1.Viva Beethoven!
 文字を見て色を感じる、音楽を聴いて色を感じることを共感覚と言うとのこと、この感覚は誰にでもあるわけではなく、私の場合、小さいころから大好きなモーツァルトの音楽、特に室内楽の演奏が流れると、水彩画のパレットから色が浮かび上がるように、目の前の景色がふわりと明るい色調で彩られ、その上焼きたてクッキーの香ばしいにおいも漂う気がして、わくわくと嬉しくなり、なんて楽しい感覚だろうと思っていたのですが、それはどうやら私だけのセンシビリティーらしく、この話をシェアすると、多くの人からモーツァルトを聞いてもどんより曇り空は変わらないし、クッキーの匂いがする? え? と未確認生物のような目で見られるので、感覚というのは、人それぞれなのだと、3つの感覚が同時に味わえて私はお得だなと考えるようになって、数十年、今年生誕250年を迎えるベートヴェンの音楽はどんな色かと考えたとき、うーん、色というよりもリズム、心臓の鼓動が確実に刻まれていく、例えばどこまでも続く白線の上をしっかり前を見つめて歩き続けているような感覚を感じがします。
 映画のワンシーンのように、ふとした瞬間に、日常会話の中に、詩の一節をさらりとはさんで、モナリザスマイルを浮かべる……というシチュエーションに大いなる憧れがあり、外国に暮らしていると、クラシックを愛好する人たちは、どうやら皆、談義好きらしく、往々にして詩の一節をちょいちょい会話や音楽談義の中に入れ込んでくることがあって、なんてクール! と私が憧れの眼差しを向けると、大いに気をよくしていろいろと朗読してくれるのですが、特にドイツ人はその律儀な性格からか、後日、詩のコピーを送ってくれたり、詩の会に誘ってくれたりと、ドイツ語の詩に触れる機会を作ってくれ、英語は商売の言葉、フランス語は愛を語り、スペイン語は祈り、日本語は敬う……という一番有名な説によるとドイツ語は詩を書くための言語とのこと、ドイツ語というのは、しっかり発音するようにできているので、朗読すると、韻が踏まれるように、リズムが出てきて、そこに言葉の意味がかぶさってくる、ドイツ詩を原語で聞く、読むようになってから、ああ、詩というのはリズムでできている部分が大いにあって、そのリズムが脈拍と連動するんだなと、そしてこのリズム感がベートーヴェンの音楽にあるビートにつながっているんだと、なんだか偉そうで、苦手意識のあったベートーヴェンの音楽が、一気に弾きやすくなったことをよく覚えています。
 好みでいうと、私は、ソフトでなだらかな抑揚がある英詩の朗読が好きで、イギリス人曰くべたすぎるそうですが、秋のこの時期にはキーツのTo Autumn を読む、聴くと、黄金色の薄い日射しの色が、少し枯れた草の匂いと一緒に感じられるし、英語の詩はルーティンで読む、例えば、甘ったるいと言われるローレンスやバイロンなども寒い季節の朗読には欠かせない気がして、思わず手に取ってしまうのですが、ドイツ詩は、色彩感覚よりリズム感が先行するということもあり、なかなか手が伸びずにいたけれど、先日ベートーヴェンの第九「歓喜の歌」をヴァイオリンで弾かなければならなくなり、シラーの「歓喜の歌 An die Freude」を久しぶりに読んでみたところ、実はこの曲、ウィーンに留学した最初の年に教会の合唱団でこの曲を歌わなくてはならず、初めて体験する暖房なしのマイナス5度の凍える教会にて、ベートヴェンゆかりの教会で今思えばとても貴重な経験だったと思うのですが、10代でドイツ語もよくわからないアジア人の女の子には天井が異常に高くて、暗くて寒い記憶しかなく、ひたすら「フロイデ!!=(Freude, 歓喜)」 と、寒さよ吹き飛べと願いつつ、叫んでいた思い出が生々しく、合唱の練習や、本番が終わるころには、手足の感覚はなく、なのに「フロイデ(歓喜)」なのだからもっと声を張り上げろと言われ、何が「フロイデ!!(歓喜)」だ! とまつげの氷(本当にまつげが凍る)を炎症になるからこすっちゃだめといわれながら、凍える指先で氷を払いのけていた感覚が先行してしまうのですが、改めてシラーのこの詩を原語で読んでみると、人の脈拍や時計の針と呼応するように、しっかりセットアップされていて、だからこそ、ベートーヴェンの音楽がつけられ、こうしてザ・クラシック、日本では年末の名曲として根付いてきたのだと、言葉とそのリズムが生み出す音感ってすごいなとあらためて感じています。
 11月、ベートーヴェンのクロイチェルソナタをリサイタルにて演奏するのですが、トルストイの「クロイチェルソナタ」は有名だけれど、他に何かこの曲とリンクする詩がないか目下思案中です。
加納伊都
横浜生まれ。4歳よりヴァイオリンを始め、12歳で神奈川フィルハーモニー管弦楽団と最年少で共演など10代始めより演奏家としてのキャリアを積む。
桐朋女子高等学校音楽科卒業後、奨学金を得てウィーンに留学。ウィーン国立音楽大学演奏科にて研鑽をつみ、首席で卒業。
以後ウィーン、ドイツ、イギリス、日本を始めヨーロッパ各地で演奏活動を行い、ウィーン国立音楽大学より表彰される。特に毎年12月横浜みなとみらいホールにて行われるリサイタルは好評を博し、202018回目を迎える。これまでに数々のコンクールに入賞。現在、ロンドン、日本を拠点に、ソロおよび室内楽で活躍中。またジャズライヴハウスでのライヴコンサートや絵画とのコラボレーションなど、ジャンルにとらわれない演奏スタイルを展開し、高評を得ている他、執筆活動、医療や教育現場とタッグを組んだ演奏活動など活動は多岐に当たり、様々な分野から注目をされている。
 
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