玉城入野 映画の地層 ⑨
「普通に生きたい」という願い──ベルナルド・ベルトルッチ『暗殺の森』
最近、自分の映画鑑賞の原点について考える機会があり、私は、映画の何に魅力を覚えて、夢中になって見るようになったのか、あらためて思い返した。それは、原体験のことよりも、本当に映画が好きになったのは、いつ頃、どの作品を見たときだったのか、ということである。
映画館で映画を見るようになったのは、小学生低学年のとき、親に連れられて行ったのが初めてのことだった。その後、中・高校生時代は、年末年始や夏休みなどに、友人と、あるいは一人で、映画を見に行くようになった。その頃でも、映画を見ることは楽しく、好きだった。
しかし、よくよく考えてみると、本当に映画に魅せられたのは、大学生になってからのことなのかもしれない。正確には、一浪して大学に合格したその年の三月、ベルナルド・ベルトルッチ監督の『ラストエンペラー』(1987年)を、歌舞伎町にあった新宿ミラノ座の大スクリーンで見たときだった、と言えるかもしれない。
『ラストエンペラー』を見たかったのは、当時評判になっていたということもあったし、『戦場のメリークリスマス』(大島渚・1983年)と同じく、YMO時代から大ファンだった坂本龍一が出演し、音楽の大部分を担当しているという、ミーハーな気持ちからでもあった。いざ作品を見ると、音楽はもちろんすばらしかったし、今まで見たこともなかった、光と影が織りなす映像美に圧倒されて、完全に打ちのめされてしまったのである。映画で、これほどの感動を覚えたのは、初めてのことだった。
このとき知ったのは、映画の映像は、監督が撮るものではなく、キャメラマンが撮るものだ、という、あまりにも当たり前のことだった(正確には、監督や照明技師らとの共同作業だが)。と同時に、ヴィットリオ・ストラーロというキャメラマンがいることを知ったのである。それは、私が最初に覚えたキャメラマンの名前だった。
当時、『ラストエンペラー』はアカデミー賞を九部門で受賞し、国内でも大ヒットしていた。その余波というか影響というのか、東京の映画館では、ベルトルッチの旧作が上映されていた記憶がある。ちょうど、そのときだったと思う、私が、同じベルトルッチとストラーロのコンビによる『暗殺の森』(1970年)を見たのは。
『暗殺の森』の映像は、『ラストエンペラー』の歴史ロマンにふさわしい壮大な映像美というよりも、もっとスタイリッシュで、実験性に富み、見る者を驚かせようという若い野心に満ちていて、それがこの作品の魅力の、大きな一要素になっている。私は、物語や主題と相俟って、『暗殺の森』の、この映像美に、シビレたのだった。
つまり、私が映画に魅了されたのは、この時点、ベルトルッチ+ストラーロによる『ラストエンペラー』と『暗殺の森』の映像に出会ったときだったのではないかと、今にして思う。もちろん、どんなに映像が良くても優れた作品になるわけではない。とにかく、自分が映画を本当に好きになる契機となったのは、映像の美しさ、格好よさだった、ということだ。
個人的な話が長くなったが、今回、この作品を取り上げようと思ったのは、その映像美についてではない。実際の映像は、見たことがある人は思い出して、未見の人は、最近発売されたという4K修復版のブルーレイか何かでご覧いただければと思う。
物語は、第二次世界大戦開始前夜(1938年)、ムッソリーニによるファシズム統治下のイタリアの青年、マルチェロを主人公として展開する。志願して秘密警察の一員になった彼は、パリで亡命生活を送る反ファシストのクアドリ教授のグループの動向を探る役割を、自ら買って出る。クアドリは、マルチェロの大学時代の恩師であり、また反ファシズム運動の支柱的存在でもあった。
しかし、マルチェロはファシズムを信奉していたわけでもなく、反ファシズムを憎んでいたわけでもなかった。少年期に、地元にいた若い男の運転手(リーノ)に強姦されそうになり、咄嗟にリーノが持っていた拳銃で彼を撃ち殺してしまう。その特異な体験が、無意識にトラウマになっていた彼は、「正常な人生を送る」ことを望んでいた。マルチェロにとって、それは、当時の体制、大多数が支持するファシズムに同化することであった。
彼が、中流家庭の女ジュリアと結婚し、ごくありふれた家庭を作ろうと努めるのも、それをファシストとしての自分の隠れ蓑にするためだけではなく、「正常さ」を希求するがゆえでもあった。ジュリアの家がカトリック信者であれば教会で告解をし、マルチェロの父親が精神病院に入っていることを密告されれば、それが遺伝的なものではないことを証明するために、進んで検査を受けると言い、ジュリアの家族に順応しようとする。
そして、マルチェロとジュリアは、新婚旅行を装ってローマからパリに行き、クアドリ教授夫妻に接近する。マルチェロは、クアドリの若き妻アンナの美しさに強く惹かれ、一方でアンナはジュリアに同性愛的な好意を示し、二組の夫婦は、親密になっていくように見えるのだが、クアドリは、マルチェロを完全には信用していなかった。
その後、秘密警察から、マルチェロに、クアドリ教授一派の暗殺計画の命令が下される。彼は、暗殺を実行するため、凍てついた森に向かう車の中で、アンナだけは何とか救い出したいと願うのだが──。
エピローグ、1943年7月25日の夜遅く、ラジオでムッソリーニの失脚が国民に通告される場面。マルチェロとジュリアには子どもができていて、その子を寝かしつけようと、お祈りをしているところであった。そこへ、盲人の友人で、ファシストの同志であるイタロが、マルチェロを訪ねてくる。
イタロに会いに外に出たマルチェロは、ムッソリーニの銅像の頭部を引きずるオートバイとすれ違い、ファシズム時代の終焉を目の当たりにする。そして、ある建物の階段で少年を誘惑している男の顔を見て、マルチェロは驚愕する。男は、少年時代に銃殺したと思い込んでいたリーノだった。生きていたのだ。錯乱したマルチェロは、彼が或る年月日(自分を強姦しようとした日)に何をしていたのか、さらに別の年月日(クアドリ教授たちを暗殺した日)に何をしていたのか、リーノに激しく問い詰める。
マルチェロは、恐怖で逃げ出したリーノを指さし、「あいつはクアドリ教授たちを暗殺したファシストだ!」と人々に告げ、遂には、友人のイタロのことをも、まるで戦犯を糾弾するごとく指さし、「こいつもファシストだ!」と叫ぶ。そこへ、勝利の賛歌を歌いながら行進してくる民衆たちに、マルチェロとイタロはもみくちゃになる。そして、場面が変わって、リーノが誘惑していた少年が裸で横たわるベッドのほうに、マルチェロが振り向いたところで、映画は終わる。
遠山純生は、「ここでマルチェロは、自らが“順応主義者”としてファシストとなり、反ファシストの精神的支柱であるクアドリ殺害を計画・実行することになった遠因が、リーノとの異常な体験とそこから生じた自らの“正常”志向にあると(無意識に)考えていたことを露呈する」(*1)と書く。
この作品の原題は「IL CONFORMISTA」、イタリア語で「順応主義者」のことだ。原作はアルベルト・モラヴィアで、光文社古典新訳文庫では『同調者』(関口英子訳)という題が付けられている。言うまでもなく、順応主義者とはマルチェロのことであり、彼はファシズムに順応し、その体制が崩壊すれば、次の新しい体制に順応していこうとする者なのである。
これまで、私は『暗殺の森』の映像や場面、俳優の演技など表層の魅力に加え、ファシストという存在、そして体制順応主義者の、その無様な変節ぶりにばかり気をとられていた。だが、今回、もっとも考えさせられたのは、マルチェロの「正常な人生を送る」ことを希求するという、(無意識の)意識のことである。完全な同義ではないが、平たく言い換えれば、それは「普通に生きたい」という願いなのではないだろうか(正常、普通とは何?そもそも正常や普通などはあるのか?という疑問はあるが、ここでは割愛する)。
今まで私が、体制順応主義者のファシストという特異な青年として捉えてきたマルチェロは、実は何も珍しい存在ではなく、自分自身を含め、世界に遍在しうる人間の姿だったのではないだろうか(イタリアのブルジョワやファシズム、個人のトラウマ等の背景を抜きに普遍性に帰してしまうのは、短絡かもしれないが)。
もう一つ、順応主義者というのは、すなわち変節者(日和見主義者)だと、ずっと思い込んでいたのだが、それは間違っていたかもしれない。ベルトルッチは、次のように語る。「マルチェロは実のところ、非常に複雑な人物で、自らの強力で激烈な反順応主義ゆえに、順応しようとします。真の体制順応主義者とは、変化を望まない者のことです。順応をわざわざ望むというのは、本心ではそんなものを望んでいないということなのです。」(*2)
この言葉を、そのまま逆転させると、変化を望まない者は、真の体制順応主義者なのだ、ということになる。
映画館で映画を見るようになったのは、小学生低学年のとき、親に連れられて行ったのが初めてのことだった。その後、中・高校生時代は、年末年始や夏休みなどに、友人と、あるいは一人で、映画を見に行くようになった。その頃でも、映画を見ることは楽しく、好きだった。
しかし、よくよく考えてみると、本当に映画に魅せられたのは、大学生になってからのことなのかもしれない。正確には、一浪して大学に合格したその年の三月、ベルナルド・ベルトルッチ監督の『ラストエンペラー』(1987年)を、歌舞伎町にあった新宿ミラノ座の大スクリーンで見たときだった、と言えるかもしれない。
『ラストエンペラー』を見たかったのは、当時評判になっていたということもあったし、『戦場のメリークリスマス』(大島渚・1983年)と同じく、YMO時代から大ファンだった坂本龍一が出演し、音楽の大部分を担当しているという、ミーハーな気持ちからでもあった。いざ作品を見ると、音楽はもちろんすばらしかったし、今まで見たこともなかった、光と影が織りなす映像美に圧倒されて、完全に打ちのめされてしまったのである。映画で、これほどの感動を覚えたのは、初めてのことだった。
このとき知ったのは、映画の映像は、監督が撮るものではなく、キャメラマンが撮るものだ、という、あまりにも当たり前のことだった(正確には、監督や照明技師らとの共同作業だが)。と同時に、ヴィットリオ・ストラーロというキャメラマンがいることを知ったのである。それは、私が最初に覚えたキャメラマンの名前だった。
当時、『ラストエンペラー』はアカデミー賞を九部門で受賞し、国内でも大ヒットしていた。その余波というか影響というのか、東京の映画館では、ベルトルッチの旧作が上映されていた記憶がある。ちょうど、そのときだったと思う、私が、同じベルトルッチとストラーロのコンビによる『暗殺の森』(1970年)を見たのは。
『暗殺の森』の映像は、『ラストエンペラー』の歴史ロマンにふさわしい壮大な映像美というよりも、もっとスタイリッシュで、実験性に富み、見る者を驚かせようという若い野心に満ちていて、それがこの作品の魅力の、大きな一要素になっている。私は、物語や主題と相俟って、『暗殺の森』の、この映像美に、シビレたのだった。
つまり、私が映画に魅了されたのは、この時点、ベルトルッチ+ストラーロによる『ラストエンペラー』と『暗殺の森』の映像に出会ったときだったのではないかと、今にして思う。もちろん、どんなに映像が良くても優れた作品になるわけではない。とにかく、自分が映画を本当に好きになる契機となったのは、映像の美しさ、格好よさだった、ということだ。
個人的な話が長くなったが、今回、この作品を取り上げようと思ったのは、その映像美についてではない。実際の映像は、見たことがある人は思い出して、未見の人は、最近発売されたという4K修復版のブルーレイか何かでご覧いただければと思う。
物語は、第二次世界大戦開始前夜(1938年)、ムッソリーニによるファシズム統治下のイタリアの青年、マルチェロを主人公として展開する。志願して秘密警察の一員になった彼は、パリで亡命生活を送る反ファシストのクアドリ教授のグループの動向を探る役割を、自ら買って出る。クアドリは、マルチェロの大学時代の恩師であり、また反ファシズム運動の支柱的存在でもあった。
しかし、マルチェロはファシズムを信奉していたわけでもなく、反ファシズムを憎んでいたわけでもなかった。少年期に、地元にいた若い男の運転手(リーノ)に強姦されそうになり、咄嗟にリーノが持っていた拳銃で彼を撃ち殺してしまう。その特異な体験が、無意識にトラウマになっていた彼は、「正常な人生を送る」ことを望んでいた。マルチェロにとって、それは、当時の体制、大多数が支持するファシズムに同化することであった。
彼が、中流家庭の女ジュリアと結婚し、ごくありふれた家庭を作ろうと努めるのも、それをファシストとしての自分の隠れ蓑にするためだけではなく、「正常さ」を希求するがゆえでもあった。ジュリアの家がカトリック信者であれば教会で告解をし、マルチェロの父親が精神病院に入っていることを密告されれば、それが遺伝的なものではないことを証明するために、進んで検査を受けると言い、ジュリアの家族に順応しようとする。
そして、マルチェロとジュリアは、新婚旅行を装ってローマからパリに行き、クアドリ教授夫妻に接近する。マルチェロは、クアドリの若き妻アンナの美しさに強く惹かれ、一方でアンナはジュリアに同性愛的な好意を示し、二組の夫婦は、親密になっていくように見えるのだが、クアドリは、マルチェロを完全には信用していなかった。
その後、秘密警察から、マルチェロに、クアドリ教授一派の暗殺計画の命令が下される。彼は、暗殺を実行するため、凍てついた森に向かう車の中で、アンナだけは何とか救い出したいと願うのだが──。
エピローグ、1943年7月25日の夜遅く、ラジオでムッソリーニの失脚が国民に通告される場面。マルチェロとジュリアには子どもができていて、その子を寝かしつけようと、お祈りをしているところであった。そこへ、盲人の友人で、ファシストの同志であるイタロが、マルチェロを訪ねてくる。
イタロに会いに外に出たマルチェロは、ムッソリーニの銅像の頭部を引きずるオートバイとすれ違い、ファシズム時代の終焉を目の当たりにする。そして、ある建物の階段で少年を誘惑している男の顔を見て、マルチェロは驚愕する。男は、少年時代に銃殺したと思い込んでいたリーノだった。生きていたのだ。錯乱したマルチェロは、彼が或る年月日(自分を強姦しようとした日)に何をしていたのか、さらに別の年月日(クアドリ教授たちを暗殺した日)に何をしていたのか、リーノに激しく問い詰める。
マルチェロは、恐怖で逃げ出したリーノを指さし、「あいつはクアドリ教授たちを暗殺したファシストだ!」と人々に告げ、遂には、友人のイタロのことをも、まるで戦犯を糾弾するごとく指さし、「こいつもファシストだ!」と叫ぶ。そこへ、勝利の賛歌を歌いながら行進してくる民衆たちに、マルチェロとイタロはもみくちゃになる。そして、場面が変わって、リーノが誘惑していた少年が裸で横たわるベッドのほうに、マルチェロが振り向いたところで、映画は終わる。
遠山純生は、「ここでマルチェロは、自らが“順応主義者”としてファシストとなり、反ファシストの精神的支柱であるクアドリ殺害を計画・実行することになった遠因が、リーノとの異常な体験とそこから生じた自らの“正常”志向にあると(無意識に)考えていたことを露呈する」(*1)と書く。
この作品の原題は「IL CONFORMISTA」、イタリア語で「順応主義者」のことだ。原作はアルベルト・モラヴィアで、光文社古典新訳文庫では『同調者』(関口英子訳)という題が付けられている。言うまでもなく、順応主義者とはマルチェロのことであり、彼はファシズムに順応し、その体制が崩壊すれば、次の新しい体制に順応していこうとする者なのである。
これまで、私は『暗殺の森』の映像や場面、俳優の演技など表層の魅力に加え、ファシストという存在、そして体制順応主義者の、その無様な変節ぶりにばかり気をとられていた。だが、今回、もっとも考えさせられたのは、マルチェロの「正常な人生を送る」ことを希求するという、(無意識の)意識のことである。完全な同義ではないが、平たく言い換えれば、それは「普通に生きたい」という願いなのではないだろうか(正常、普通とは何?そもそも正常や普通などはあるのか?という疑問はあるが、ここでは割愛する)。
今まで私が、体制順応主義者のファシストという特異な青年として捉えてきたマルチェロは、実は何も珍しい存在ではなく、自分自身を含め、世界に遍在しうる人間の姿だったのではないだろうか(イタリアのブルジョワやファシズム、個人のトラウマ等の背景を抜きに普遍性に帰してしまうのは、短絡かもしれないが)。
もう一つ、順応主義者というのは、すなわち変節者(日和見主義者)だと、ずっと思い込んでいたのだが、それは間違っていたかもしれない。ベルトルッチは、次のように語る。「マルチェロは実のところ、非常に複雑な人物で、自らの強力で激烈な反順応主義ゆえに、順応しようとします。真の体制順応主義者とは、変化を望まない者のことです。順応をわざわざ望むというのは、本心ではそんなものを望んでいないということなのです。」(*2)
この言葉を、そのまま逆転させると、変化を望まない者は、真の体制順応主義者なのだ、ということになる。
逆説的にも思われて、簡単ではないが、普通の生活が続き、普通の人生を送りたいという正常化への志向が、体制順応主義になりうる、と理解すればいいだろうか。
ファシズム政権が倒れた直後、妻のジュリアに「これからどうするの」と問われたマルチェロは、こう答える。
「同じ考えの連中と同じにする。大勢でいれば怖くない」と──。
『暗殺の森』は政治、思想・哲学、性の問題、さらにベルトルッチが映画の師と仰いでいたゴダールとの関係をこの作品から読み解くなど、既にさまざまな角度から論じられてきている。それらに比べると、今回の私の視点は、あまりに狭く小さい。ぜひ、実際に見て、そのすばらしさを体感してほしい傑作である。
ファシズム政権が倒れた直後、妻のジュリアに「これからどうするの」と問われたマルチェロは、こう答える。
「同じ考えの連中と同じにする。大勢でいれば怖くない」と──。
『暗殺の森』は政治、思想・哲学、性の問題、さらにベルトルッチが映画の師と仰いでいたゴダールとの関係をこの作品から読み解くなど、既にさまざまな角度から論じられてきている。それらに比べると、今回の私の視点は、あまりに狭く小さい。ぜひ、実際に見て、そのすばらしさを体感してほしい傑作である。
(*1)10年ほど前に発売されたDVDのリーフレット収録の解説より。
(*2)同リーフレット収録の1972~1973年のインタビューを再構成したものより。
(*2)同リーフレット収録の1972~1973年のインタビューを再構成したものより。
玉城入野(たまきいりの)
1968年東京都日野市生まれ。著書『フィクションの表土をさらって』(洪水企画)。詩歌・文芸出版社「いりの舎」代表。