玉城入野 映画の地層 ⑤
消失の刻印―柳町光男『十九歳の地図』を見る
〈1〉
本来なら、2020年―2021年の冬もそうであるはずなのかもしれないのだが、いわゆる〈ステイホーム〉という生活習慣(?)が唱えられていたあの頃、柳町光男の監督第2作目『十九歳の地図』(1979年)を見た。
私は、とっくにこの作品を見ていたものとばかり思い込んでいて、時間の余裕があるうちに、見直してみるつもりくらいの気持だった。しかし、いざ見て、私は圧倒された。映画そのものが呼吸しているような手ざわりのある画面は、いずれも鮮烈で、作品の内包する強度が、鑑賞後の心に深い印象を残した。
「見ていたものとばかり思い込んで……」などというのは、私の記憶がねつ造したウソで、この映画は、一度見たら、とうてい忘れることなどできない。それほど、強烈な作品だったのである。
なぜ、こんな勘違いをしたのか。中上健次の同名の原作(1973年)を読んでいたからなのか。柳町のその後の作品『さらば愛しき大地』(1982年)や『火まつり』(1985年)に感銘を受けて、いつの間にか見たつもりになっていたからなのかもしれない。
冒頭からつまらないことを書いたが、『十九歳の地図』は、まさしく〈見る〉映画なのである。主人公が、人間を見て、人間が暮らす街を見るということ。カメラが主人公を見るということ。その彼の姿と眼差しを映したフィルムを私たちが見るということ。すなわち、映画を〈見る〉ということを、まざまざと実感させずにはおかない作品なのだ。
主人公の吉岡(本間優二)は十九歳、地方から上京して、新聞配達をしながら予備校に通っている。毎朝、どんな天候でも新聞を配達しなければならず、午後の空いた時間に集金に行っては、支払いを渋られたりするような、鬱屈した毎日を送っている。
吉岡は、配達する地域の地図を描いていた。それは、彼が唯一、集中して取り組んでいることだった。はじめは、電話帳で住所を調べながら、大学ノートに名簿のような型式で、世帯主、その家族構成と名前、住所、電話番号を列記するだけだったのが、次第に道路など街の形を細かく描くようになっていく。
そして、配達時に飼い犬が吠えたり、集金時にクレームをつけてきたり、支払いに応じない家などに対して、自分の不満度を地図に×(バツ)印を1つ、2つと書き込んでいき、憎悪を深めていく。そうして、×が多く付いた家にいたずら電話をかけては、ひとり高笑いし、暗い欲求を満たすのであった。
おまえの家の犬を殺して吊し上げてやる、一家皆殺しにしてやる、爆弾を仕掛けてやる等々、脅迫まがいの電話は過激さを増しながら、結局、彼は何一つ実行しないままである。
それは、この作品全体を通して言えることで、吉岡自身には何も起こらないし、あらゆる出来事は未遂に終わる。同じ新聞配達員で、吉岡と同居する中年男の紺野(蟹江敬三)や、販売所の中年夫婦、同年代の配達員でプロボクサーをめざす青年らのエピソードは描かれるのだが、主人公の背景や物語が語られることはない。
一見すると、平和な小市民社会に敵意を抱き、呪詛の言葉を吐き出す吉岡のふるまいは、十九歳の勤労学生の鬱屈の表れであり、青春期の青年の姿そのものと言っていいのかもしれない。だが、映画は、彼の行為に、これといった動機づけをしない。一貫して、彼の姿を映し続けるばかりなのだ。
では、大きな物語もなく、主人公の内面もはっきりと示されることのないこの作品の、どこがすばらしいのであろうか。それは、すでに評価の定まっているところだが、吉岡が、配達担当の地域の地図を執拗に描き続け、憎しみを抱いた家庭に×印を付けていく、その行為を克明に見せる場面であり、その場面の連続が強烈な力をもって迫ってくるところである。
先述したように、最初は簡単なものだった地図は、次第に精密になっていき、設計図用の定規やコンパスを買い込み、航空地図と照合してまで、正確に地域一帯の地図を完成させ、部屋の壁に貼る。まるで、自身の苛立ちを、地図いっぱいに拡大させたことを誇示するように。
また、憎悪の対象である家族の名前や、その家庭の印象を、次々と記述していく場面。ぎこちなく、角張った字で、誤字もあり、書き順もおかしいのだが、その鉛筆の先が綴っていく文字をクローズアップでとらえた映像は、緊張感に満ちていて、実にスリリングだ。
これらのシーンについて、山根貞男は、次のように述べている。
「地図を描いてゆくことで彼は、地域を所有し、市民生活の愚劣さを粉砕するのだともいえようか。(中略)地図をただ描くこと、それが彼の闘いなのだ。地図を描いて地域を所有し粉砕すること、そのいわば非所有の所有こそが彼の闘いのいっさいなのだ。」(『日本映画時評集成1976―1989』国書刊行会)
『十九歳の地図』の主題を見事に射抜き、本質をえぐり出した、これ以上なく鋭い批評といえよう。
〈2〉
さて、ここでもう一つ、重要なことを考えていきたい。それは、この映画のロケーション、カメラがとらえ、吉岡が凝視し続け、地図に描くその街についてである。中上の原作では、街は特定されていない。一方、映画のほうは、1970年代末期の東京、といっても、渋谷や新宿のような最先端の街ではなく、都電荒川線が通る北区の王子や滝野川のあたりの庶民的な地域を舞台にしている。
まず、オープニングのタイトルバックに、夜明け前の青い光に暗く浮かび上がるガスタンク(現存しない)が映る。そのタンクを背に、新聞を抱えた吉岡が道路を走り抜ける。場面が切り替わって、住宅街の縦横に延びる狭い路地をぬって、一軒一軒に新聞を配達してゆき、一通り配り終え、販売所に戻る。
それから、彼が予備校からの帰りの路面電車から降りた駅に、「飛鳥山」とあるのがわずかに見え、王子のあたりだということが分かってくる。そして、自分の部屋に入るや、電話帳を開き、配達先の世帯主と住所を調べる場面で、吉岡の鉛筆の先が「小林進」という人物の住所を探り当て、「北区滝野川2-17」という文字に下線を引くところで、この作品の舞台が明かされる。
その後、集金の途中で、高い土手の上から、地域一帯の街を眺めるシーンがある。また、飛鳥山のタワー(現存しない)の最上階で、彼と紺野が語り合う場面。そのスカイラウンジは、街を一望できるように回転床になっている。すなわち、カメラは、二人の会話する様子を撮ることによって、彼らの背後に見える街を360度、フィルムに刻んでいく。
加えて、映画は、吉岡が新聞を配達する場面を、執拗に畳みかけていく。それは、雨の日も雪の日も休めない労働の過酷さ、また吉岡の各家庭に対して増していく殺意を伝えるためでもあろうが、恐らく、監督の柳町は、吉岡を走らせることで、商店街やアパート、住宅街、川沿い、路地、階段などを撮り、この街の輪郭を浮かび上がらせようとしているのだ。
劇中の吉岡も、新聞配達のために走り、その脚が覚えた街の記憶によって、地図を描いていくのだといってよい。柳町と吉岡の欲望が、ここで重なり合う。山根の言う「非所有の所有こそが彼の闘いのいっさい」であるのは、柳町にとっても同じなのである。
さらに、私が最も注目しているのは、新聞の配達先であり、吉岡が地図に描く地域のひとつに、「王子スラム」というバラック街(現存しない)が描かれているところである。
土手下の川沿いなのだろうか、トタン板で普請した粗末な作りの家が並ぶ集落に、吉岡が配達に行く場面。その路地で、家の金を盗んだ少年が父親に殴られているところに遭遇する。集金に行けば、外で二人の中年女性が韓国語を話しながら、キムチを漬けようとしているのか、白菜や大根を包丁で刻んでいるところに出くわす。
インターネットで検索すると、「王子スラム」(王子バラック)は確かに存在していたようだが、1980年代半ば以降に解体されているらしい。先述したガスタンクも同時期に、飛鳥山タワーは1990年代前期に撤去されている。奇しくも、この映画に映っている風景は、その後、大きな変貌を遂げてしまっていると思われる。
しかし、私は、これを偶然とは考えない。なぜなら、柳町は、原作には出てこない「王子スラム」をわざわざフィルムに収め、貧しい家庭や、在日朝鮮人の人たちの暮らしを、ここに描き込んでいるからだ。人々の姿は、もちろんフィクションなのだが、これらの場面には強いドキュメンタリー性が帯びている(柳町の第1作目は『ゴッド・スピード・ユー!BLACK EMPEROR』という暴走族のドキュメンタリー映画である)。ドキュメンタリーが、その本質としてフィクショナルな要素を含むように、フィクションにもまた、ドキュメンタリーが顔をのぞかせる。
つまり、この作品は、物語を進めながら、舞台とした街をフィルムに収めることによって、現実にその風景が一変した後、消失してしまったものを顕ち上がらせる。顕ち上がってくるのは、そこに生きていた人間の存在であり、そこにあったはずの生活である。
「王子スラム」について言えば、他の地域も同様、戦後の焼け跡にできた闇市やバラック街などは、単に自然消滅したのではなく、再開発や区画整理の名の下に、排除されたのである。街を潰し、風景を消すことは、そこにあった人間の生活を抹殺し、その存在を無に帰すことに他ならない。ひいては、国家権力の負の歴史を隠蔽し、あったことをなかったことにする所業なのである。
いささか自論が過ぎるかもしれないが、撮影当時、柳町は、バラックや旧いアパート等々、この街の一帯の街並が、遠からず解体されて造り変えられ、全く別の風景になってしまうことを予想していて、あえて、この下町の風景を映像に残したような気がしてならない。
柳町=吉岡は、街を撮ること=地図を描くことで、その街と人が確かに存在していたことを見せ、その消失を刻印する。と同時に、私たちが、映画『十九歳の地図』を見ることによって、街と人が息を吹き返し、生きている存在として、甦らせることができるのである。
〈追記1〉やむをえず割愛したが、この作品で、紺野の愛人「かさぶたのマリア」(沖山秀子)の存在を無視することはできない。八階のビルから飛び降りた自殺未遂で、片脚が不自由になった彼女は、金を貰って複数の男と関係を持ち、ボロアパートの一室に生きる。そのマリアと所帯を持つ金を工面するために、紺野が強盗のカドで逮捕された際、吉岡は彼女をなじり、「さっさと死んじゃえ!」と罵倒する。すると、マリアは、ガスのチューブをくわえ、その場で自裁しようとするが、慌てた吉岡がガス栓を締めて事なきを得る。この場面とガスタンクとの関係は、一考に値する。(そして、マリアが泣き崩れて、「死ねないのよぉ!」と叫ぶ嗄れ声が、いつまでも耳について離れない。)
〈追記2〉北区王子、滝野川のあたりは、戦時中、軍都であったという。詳述はしないが、柳町がこの一帯を舞台に選び、フィルムに残したということと、何か関連があるかもしれない。参考となるリンクを貼っておく。
https://www.soumu.go.jp/main_sosiki/daijinkanbou/sensai/situation/state/kanto_16.html
https://blog.goo.ne.jp/dice_douglas/e/7020ce393dbf7ef739654f5c25455e19
本来なら、2020年―2021年の冬もそうであるはずなのかもしれないのだが、いわゆる〈ステイホーム〉という生活習慣(?)が唱えられていたあの頃、柳町光男の監督第2作目『十九歳の地図』(1979年)を見た。
私は、とっくにこの作品を見ていたものとばかり思い込んでいて、時間の余裕があるうちに、見直してみるつもりくらいの気持だった。しかし、いざ見て、私は圧倒された。映画そのものが呼吸しているような手ざわりのある画面は、いずれも鮮烈で、作品の内包する強度が、鑑賞後の心に深い印象を残した。
「見ていたものとばかり思い込んで……」などというのは、私の記憶がねつ造したウソで、この映画は、一度見たら、とうてい忘れることなどできない。それほど、強烈な作品だったのである。
なぜ、こんな勘違いをしたのか。中上健次の同名の原作(1973年)を読んでいたからなのか。柳町のその後の作品『さらば愛しき大地』(1982年)や『火まつり』(1985年)に感銘を受けて、いつの間にか見たつもりになっていたからなのかもしれない。
冒頭からつまらないことを書いたが、『十九歳の地図』は、まさしく〈見る〉映画なのである。主人公が、人間を見て、人間が暮らす街を見るということ。カメラが主人公を見るということ。その彼の姿と眼差しを映したフィルムを私たちが見るということ。すなわち、映画を〈見る〉ということを、まざまざと実感させずにはおかない作品なのだ。
主人公の吉岡(本間優二)は十九歳、地方から上京して、新聞配達をしながら予備校に通っている。毎朝、どんな天候でも新聞を配達しなければならず、午後の空いた時間に集金に行っては、支払いを渋られたりするような、鬱屈した毎日を送っている。
吉岡は、配達する地域の地図を描いていた。それは、彼が唯一、集中して取り組んでいることだった。はじめは、電話帳で住所を調べながら、大学ノートに名簿のような型式で、世帯主、その家族構成と名前、住所、電話番号を列記するだけだったのが、次第に道路など街の形を細かく描くようになっていく。
そして、配達時に飼い犬が吠えたり、集金時にクレームをつけてきたり、支払いに応じない家などに対して、自分の不満度を地図に×(バツ)印を1つ、2つと書き込んでいき、憎悪を深めていく。そうして、×が多く付いた家にいたずら電話をかけては、ひとり高笑いし、暗い欲求を満たすのであった。
おまえの家の犬を殺して吊し上げてやる、一家皆殺しにしてやる、爆弾を仕掛けてやる等々、脅迫まがいの電話は過激さを増しながら、結局、彼は何一つ実行しないままである。
それは、この作品全体を通して言えることで、吉岡自身には何も起こらないし、あらゆる出来事は未遂に終わる。同じ新聞配達員で、吉岡と同居する中年男の紺野(蟹江敬三)や、販売所の中年夫婦、同年代の配達員でプロボクサーをめざす青年らのエピソードは描かれるのだが、主人公の背景や物語が語られることはない。
一見すると、平和な小市民社会に敵意を抱き、呪詛の言葉を吐き出す吉岡のふるまいは、十九歳の勤労学生の鬱屈の表れであり、青春期の青年の姿そのものと言っていいのかもしれない。だが、映画は、彼の行為に、これといった動機づけをしない。一貫して、彼の姿を映し続けるばかりなのだ。
では、大きな物語もなく、主人公の内面もはっきりと示されることのないこの作品の、どこがすばらしいのであろうか。それは、すでに評価の定まっているところだが、吉岡が、配達担当の地域の地図を執拗に描き続け、憎しみを抱いた家庭に×印を付けていく、その行為を克明に見せる場面であり、その場面の連続が強烈な力をもって迫ってくるところである。
先述したように、最初は簡単なものだった地図は、次第に精密になっていき、設計図用の定規やコンパスを買い込み、航空地図と照合してまで、正確に地域一帯の地図を完成させ、部屋の壁に貼る。まるで、自身の苛立ちを、地図いっぱいに拡大させたことを誇示するように。
また、憎悪の対象である家族の名前や、その家庭の印象を、次々と記述していく場面。ぎこちなく、角張った字で、誤字もあり、書き順もおかしいのだが、その鉛筆の先が綴っていく文字をクローズアップでとらえた映像は、緊張感に満ちていて、実にスリリングだ。
これらのシーンについて、山根貞男は、次のように述べている。
「地図を描いてゆくことで彼は、地域を所有し、市民生活の愚劣さを粉砕するのだともいえようか。(中略)地図をただ描くこと、それが彼の闘いなのだ。地図を描いて地域を所有し粉砕すること、そのいわば非所有の所有こそが彼の闘いのいっさいなのだ。」(『日本映画時評集成1976―1989』国書刊行会)
『十九歳の地図』の主題を見事に射抜き、本質をえぐり出した、これ以上なく鋭い批評といえよう。
〈2〉
さて、ここでもう一つ、重要なことを考えていきたい。それは、この映画のロケーション、カメラがとらえ、吉岡が凝視し続け、地図に描くその街についてである。中上の原作では、街は特定されていない。一方、映画のほうは、1970年代末期の東京、といっても、渋谷や新宿のような最先端の街ではなく、都電荒川線が通る北区の王子や滝野川のあたりの庶民的な地域を舞台にしている。
まず、オープニングのタイトルバックに、夜明け前の青い光に暗く浮かび上がるガスタンク(現存しない)が映る。そのタンクを背に、新聞を抱えた吉岡が道路を走り抜ける。場面が切り替わって、住宅街の縦横に延びる狭い路地をぬって、一軒一軒に新聞を配達してゆき、一通り配り終え、販売所に戻る。
それから、彼が予備校からの帰りの路面電車から降りた駅に、「飛鳥山」とあるのがわずかに見え、王子のあたりだということが分かってくる。そして、自分の部屋に入るや、電話帳を開き、配達先の世帯主と住所を調べる場面で、吉岡の鉛筆の先が「小林進」という人物の住所を探り当て、「北区滝野川2-17」という文字に下線を引くところで、この作品の舞台が明かされる。
その後、集金の途中で、高い土手の上から、地域一帯の街を眺めるシーンがある。また、飛鳥山のタワー(現存しない)の最上階で、彼と紺野が語り合う場面。そのスカイラウンジは、街を一望できるように回転床になっている。すなわち、カメラは、二人の会話する様子を撮ることによって、彼らの背後に見える街を360度、フィルムに刻んでいく。
加えて、映画は、吉岡が新聞を配達する場面を、執拗に畳みかけていく。それは、雨の日も雪の日も休めない労働の過酷さ、また吉岡の各家庭に対して増していく殺意を伝えるためでもあろうが、恐らく、監督の柳町は、吉岡を走らせることで、商店街やアパート、住宅街、川沿い、路地、階段などを撮り、この街の輪郭を浮かび上がらせようとしているのだ。
劇中の吉岡も、新聞配達のために走り、その脚が覚えた街の記憶によって、地図を描いていくのだといってよい。柳町と吉岡の欲望が、ここで重なり合う。山根の言う「非所有の所有こそが彼の闘いのいっさい」であるのは、柳町にとっても同じなのである。
さらに、私が最も注目しているのは、新聞の配達先であり、吉岡が地図に描く地域のひとつに、「王子スラム」というバラック街(現存しない)が描かれているところである。
土手下の川沿いなのだろうか、トタン板で普請した粗末な作りの家が並ぶ集落に、吉岡が配達に行く場面。その路地で、家の金を盗んだ少年が父親に殴られているところに遭遇する。集金に行けば、外で二人の中年女性が韓国語を話しながら、キムチを漬けようとしているのか、白菜や大根を包丁で刻んでいるところに出くわす。
インターネットで検索すると、「王子スラム」(王子バラック)は確かに存在していたようだが、1980年代半ば以降に解体されているらしい。先述したガスタンクも同時期に、飛鳥山タワーは1990年代前期に撤去されている。奇しくも、この映画に映っている風景は、その後、大きな変貌を遂げてしまっていると思われる。
しかし、私は、これを偶然とは考えない。なぜなら、柳町は、原作には出てこない「王子スラム」をわざわざフィルムに収め、貧しい家庭や、在日朝鮮人の人たちの暮らしを、ここに描き込んでいるからだ。人々の姿は、もちろんフィクションなのだが、これらの場面には強いドキュメンタリー性が帯びている(柳町の第1作目は『ゴッド・スピード・ユー!BLACK EMPEROR』という暴走族のドキュメンタリー映画である)。ドキュメンタリーが、その本質としてフィクショナルな要素を含むように、フィクションにもまた、ドキュメンタリーが顔をのぞかせる。
つまり、この作品は、物語を進めながら、舞台とした街をフィルムに収めることによって、現実にその風景が一変した後、消失してしまったものを顕ち上がらせる。顕ち上がってくるのは、そこに生きていた人間の存在であり、そこにあったはずの生活である。
「王子スラム」について言えば、他の地域も同様、戦後の焼け跡にできた闇市やバラック街などは、単に自然消滅したのではなく、再開発や区画整理の名の下に、排除されたのである。街を潰し、風景を消すことは、そこにあった人間の生活を抹殺し、その存在を無に帰すことに他ならない。ひいては、国家権力の負の歴史を隠蔽し、あったことをなかったことにする所業なのである。
いささか自論が過ぎるかもしれないが、撮影当時、柳町は、バラックや旧いアパート等々、この街の一帯の街並が、遠からず解体されて造り変えられ、全く別の風景になってしまうことを予想していて、あえて、この下町の風景を映像に残したような気がしてならない。
柳町=吉岡は、街を撮ること=地図を描くことで、その街と人が確かに存在していたことを見せ、その消失を刻印する。と同時に、私たちが、映画『十九歳の地図』を見ることによって、街と人が息を吹き返し、生きている存在として、甦らせることができるのである。
〈追記1〉やむをえず割愛したが、この作品で、紺野の愛人「かさぶたのマリア」(沖山秀子)の存在を無視することはできない。八階のビルから飛び降りた自殺未遂で、片脚が不自由になった彼女は、金を貰って複数の男と関係を持ち、ボロアパートの一室に生きる。そのマリアと所帯を持つ金を工面するために、紺野が強盗のカドで逮捕された際、吉岡は彼女をなじり、「さっさと死んじゃえ!」と罵倒する。すると、マリアは、ガスのチューブをくわえ、その場で自裁しようとするが、慌てた吉岡がガス栓を締めて事なきを得る。この場面とガスタンクとの関係は、一考に値する。(そして、マリアが泣き崩れて、「死ねないのよぉ!」と叫ぶ嗄れ声が、いつまでも耳について離れない。)
〈追記2〉北区王子、滝野川のあたりは、戦時中、軍都であったという。詳述はしないが、柳町がこの一帯を舞台に選び、フィルムに残したということと、何か関連があるかもしれない。参考となるリンクを貼っておく。
https://www.soumu.go.jp/main_sosiki/daijinkanbou/sensai/situation/state/kanto_16.html
https://blog.goo.ne.jp/dice_douglas/e/7020ce393dbf7ef739654f5c25455e19
玉城入野(たまきいりの)
1968年東京都日野市生まれ。著書『フィクションの表土をさらって』(洪水企画)。詩歌・文芸出版社「いりの舎」代表。