玉城入野 映画の地層 ①
森﨑東の『男はつらいよ』
今年(2019年)、『男はつらいよ』の新作が公開されるという。第1作が製作されてから50周年、第50作目とのことだ。タイトルは「お帰り寅さん」。監督は山田洋次。出演は、倍賞千恵子、前田吟、吉岡秀隆、後藤久美子ら、そして渥美清。死んだ渥美が出演するのはなんとも奇怪に思われるのだが、没後1年に制作された第49作「寅次郎ハイビスカスの花特別篇」(1997年)で、既にCGで登場しているらしいし、そもそもドラマ版『男はつらいよ』(1968年~1969年)の最終回で寅がハブに咬まれて死んだことで視聴者からの抗議が殺到して、映画化に繋がり寅が甦ったくらいだから、おそらく、多くのファンが新作を待ち望んでいることだろう。
ところで、『男はつらいよ』は、その初期に森﨑東という映画作家が制作に携わっている。第1作(山田洋次・1969年)の脚本を山田と共同執筆し、第3作「フーテンの寅」(1970年)では監督を務めている。森﨑は1927年生まれ。『男はつらいよ』を撮る前年に『喜劇女は度胸』で監督デビューし、松竹で何本かの作品を手がける。その後1974年以降はフリーの監督として活動し、『ペコロスの母に会いに行く』(2013年)が今のところの最新作である。個人的には、東日本大震災直後に見た『生きてるうちが花なのよ死んだらそれまでよ党宣言』(1985年)が、原発、沖縄、外国人労働者といった題材を描きながら、社会派映画というよりは、エネルギッシュで詩情を湛えた活劇映画として強い印象が残り、以後ずっと気になってきた映画監督である。
正直、私は、これまで『男はつらいよ』の熱心な鑑賞者ではなかった。子どもの頃、テレビで放映されていたのを何本か見たことがあるだけである。見たといっても、それが何作目なのか区別がつかず、寅さんが実家のだんご屋「とらや」に久しぶりに帰ってきて、最初は歓待されるのだが、すぐに喧嘩が始まり、恋をしたり、他人の恋愛の手助けをしたりして、最後は自分がふられて、また旅に出る、というほぼ定式化したパターンしか記憶に残っていない。ここまで徹底したマンネリズムを貫きながら人気が衰えることはなく、48作まで続いたというのは、渥美清という稀有な喜劇俳優の存在と、原作者で、ほぼ全作(第3作、第4作以外)を監督し、脚本を書いた山田洋次の功績であることはまちがいない。しかし、私は今、草創期の第1作と第3作を見ることで、山田との共同作業で森﨑東が作ろうとした〈車寅次郎像〉を想い、様式化したシリーズでは失われてしまった、『男はつらいよ』の可能性を考えてみたい、と思っている。
第1作。故郷・柴又に帰ってきた寅は、20年ぶりに再会した妹さくらの見合いに同席し、酔った勢いで縁談をぶち壊しにして、すぐにまた旅に出てしまう。一月後、寅は旅先で帝釈天の御前様とその娘・冬子にバッタリ出くわす。幼なじみの冬子がすっかりきれいになっていたことで、寅は彼女に一目惚れしてしまい、二人の旅行に付き添い、そのまま一緒に柴又に帰ってくる。その後、密かに恋し合っていたさくらと印刷工場で働く博が結婚し、寅自身は冬子に失恋して、再びあてのない旅に出る。こうして、ごく簡単なあらすじを示しただけでも、このシリーズの基本型が全て出揃っているのが分かる。それだけではない。おいちゃんこと竜造やおばちゃんことつね、印刷会社のタコ社長たちと寅とのやりとりのテンポの良さ、寅と印刷会社の工員達との確執の滑稽さ、支離滅裂な説教を畳み掛けて、ぐいぐい博を信用させてゆく巧みで澱みのない寅の語り口。そして、兄妹の再会の場面、寅の横やりで壊れかけたさくらと博の関係を、さくら自らが取り戻し、結婚を決める場面、さくら達の結婚式に、博が高校を退学したときに絶縁したきりだった彼の両親が現れ、披露宴が終わって親族の挨拶で、父親が涙ながらに感謝の言葉を述べ、それに感動した寅が父親と母親の手をとり、涙ぐんで「ありがとう」と言うクライマックスまで、実に完成度が高く、見事に観客を感動させる。これは、脚本の力でもあろうが、演出家としての山田洋次の手腕だろう、と思う。
ところで、『男はつらいよ』は、その初期に森﨑東という映画作家が制作に携わっている。第1作(山田洋次・1969年)の脚本を山田と共同執筆し、第3作「フーテンの寅」(1970年)では監督を務めている。森﨑は1927年生まれ。『男はつらいよ』を撮る前年に『喜劇女は度胸』で監督デビューし、松竹で何本かの作品を手がける。その後1974年以降はフリーの監督として活動し、『ペコロスの母に会いに行く』(2013年)が今のところの最新作である。個人的には、東日本大震災直後に見た『生きてるうちが花なのよ死んだらそれまでよ党宣言』(1985年)が、原発、沖縄、外国人労働者といった題材を描きながら、社会派映画というよりは、エネルギッシュで詩情を湛えた活劇映画として強い印象が残り、以後ずっと気になってきた映画監督である。
正直、私は、これまで『男はつらいよ』の熱心な鑑賞者ではなかった。子どもの頃、テレビで放映されていたのを何本か見たことがあるだけである。見たといっても、それが何作目なのか区別がつかず、寅さんが実家のだんご屋「とらや」に久しぶりに帰ってきて、最初は歓待されるのだが、すぐに喧嘩が始まり、恋をしたり、他人の恋愛の手助けをしたりして、最後は自分がふられて、また旅に出る、というほぼ定式化したパターンしか記憶に残っていない。ここまで徹底したマンネリズムを貫きながら人気が衰えることはなく、48作まで続いたというのは、渥美清という稀有な喜劇俳優の存在と、原作者で、ほぼ全作(第3作、第4作以外)を監督し、脚本を書いた山田洋次の功績であることはまちがいない。しかし、私は今、草創期の第1作と第3作を見ることで、山田との共同作業で森﨑東が作ろうとした〈車寅次郎像〉を想い、様式化したシリーズでは失われてしまった、『男はつらいよ』の可能性を考えてみたい、と思っている。
第1作。故郷・柴又に帰ってきた寅は、20年ぶりに再会した妹さくらの見合いに同席し、酔った勢いで縁談をぶち壊しにして、すぐにまた旅に出てしまう。一月後、寅は旅先で帝釈天の御前様とその娘・冬子にバッタリ出くわす。幼なじみの冬子がすっかりきれいになっていたことで、寅は彼女に一目惚れしてしまい、二人の旅行に付き添い、そのまま一緒に柴又に帰ってくる。その後、密かに恋し合っていたさくらと印刷工場で働く博が結婚し、寅自身は冬子に失恋して、再びあてのない旅に出る。こうして、ごく簡単なあらすじを示しただけでも、このシリーズの基本型が全て出揃っているのが分かる。それだけではない。おいちゃんこと竜造やおばちゃんことつね、印刷会社のタコ社長たちと寅とのやりとりのテンポの良さ、寅と印刷会社の工員達との確執の滑稽さ、支離滅裂な説教を畳み掛けて、ぐいぐい博を信用させてゆく巧みで澱みのない寅の語り口。そして、兄妹の再会の場面、寅の横やりで壊れかけたさくらと博の関係を、さくら自らが取り戻し、結婚を決める場面、さくら達の結婚式に、博が高校を退学したときに絶縁したきりだった彼の両親が現れ、披露宴が終わって親族の挨拶で、父親が涙ながらに感謝の言葉を述べ、それに感動した寅が父親と母親の手をとり、涙ぐんで「ありがとう」と言うクライマックスまで、実に完成度が高く、見事に観客を感動させる。これは、脚本の力でもあろうが、演出家としての山田洋次の手腕だろう、と思う。
それだけではない。この第1作には、後のシリーズからはその要素が薄められ、ともすると忘れられがちなことが、しっかりと描かれている。それは、車寅次郎という人物が、れっきとした渡世人(ヤクザ)だということである。まず、無沙汰を詫び、帰郷の挨拶をする場面。居間で寅が両手を畳について「叔父上、叔母上、ただいま帰って参りました」と言い、竜造とつねがびっくりして思わず畳に両手をつくと、「どうぞ、お手を上げなすって」と寅が返す場面。また、とある家の一部屋に香具師たちが集まる中、寅が得意の仁義を切る場面。第3作では、中気で口が利けなくなった老人に向かって、「アンさん、ご同業でしょう。長の年月、稼業お疲れさんでございました。遅ればせの仁義失礼さんでござんす」と挨拶をする場面。加えて、ここでの寅さんの行動は、かなり破壊的である。下品極まる言動、印刷工場の木塀に立ち小便をしたり、その工員達を貧乏人呼ばわりしたり、さくらにビンタを喰らわしたりする。この人物造型について山田宏一は、「車寅次郎のこの節度を書いたハレンチな情熱のエスカレーションこそ、意図的であろうとなかろうと、『男はつらいよ』をして東映任侠映画のパロディーたらしめている重要な因子であろう」と批評している。1960年代に熱狂的な人気を呼んだ任侠映画は、義理と人情というヤクザ社会の仁義に忠実な人間群像劇が、反社会的な存在ながら、大衆に受け入れられたのだといえる。かたや、『男はつらいよ』では、車寅次郎という渡世人が、観客だけでなく、映画の中の登場人物達に自然に受け入れられ、愛され、かりそめながらも庶民生活にとけ込んでしまう存在なのである。これは、東映が任侠映画を自ら批判するように実録路線に転換してみせたのとはまた別の形で、森﨑と山田が《人情喜劇としてのヤクザ映画》というスタイルを提示したのだといえる。
そして第3作。旅から実家に帰った寅は、竜造とタコ社長に勧められるまま見合いをする。いざ顔を合わせてみると、相手の駒子は寅と知り合いだったのである。しかし、駒子に亭主がいたことを知っている寅が問い詰めると、亭主が他に女を作ったから、その腹いせに自分も男を作ってやろうと思っていた矢先、この縁談話が舞い込んできたのだという。そして、彼女が亭主の子どもを身籠もっていることを知った寅は、二人を仲直りさせて祝宴を開き、新婚旅行用にハイヤーまで手配する。その費用一切を「とらや」につけられていたことに激怒した竜造たちと大喧嘩をした翌朝、寅はまた旅に出てしまう。数日後、竜造とつねが夫婦で温泉旅行に出かけると、二人は旅館で寅にばったり出くわす。寅は、その宿の女将・志津に一目惚れして、彼女の顔が見たさに番頭として居ついてしまっていたのである。その後、寅はひょんなことから志津の弟・信夫と温泉芸者の染子の恋の道行きの手助けをすることになる。一方、夫に先立たれた後、弟が継いでくれるまではと旅館を切り盛りしてきた志津は、弟が染子と街を出てしまったため、宿を畳むことを決意し、交際していた男性と再婚する。それを知った寅は、失意のまま、再び旅に出るのであった。
このように、筋書きだけを追うと、物語は順直に進んでいるように思える。しかし、実際に映画を見て気がつくのは、この作品は、過剰な《語り》によって成り立っている、ということだ。確かに、映画は画面の連続によって進んでいくのであるが、しばしば《語り》が突出し、物語の進行よりも強調され、優先されるのである。
晩酌のとき、竜造に好きな女性のタイプを聞かれると、初めこそ「婆アでなければ誰でもいい」と謙虚だった寅だが、「強いて言えば、気立てが優しいってことぐれえかな」と言い出してから、「寝坊の女はだめだ」「朝、亭主に冷てえ水で面洗わせるのはよくねえ」「三つ指ついて男の帰りを迎えろ」「女にはたしなみが必要だ」などと、長々と結婚相手への注文をひとしきり語り尽くす場面。また、見合いの席で、寅と駒子が二人きりになった後、駒子が自分の境涯を延々と語る場面(画面では省略され、何本もの空の徳利が二人の前に転がり、さらに酒が運ばれてくることで、《語り》の時間の長さが示される)。
次に、竜造とつねが夫婦旅行に行こうと、近所の人々に見送られる場面。タコ社長が「寅さんのことで、いろんなことがあったから、ゆっくり骨休めしておいで」と労いの言葉をかけると、竜造が「旅先でバッタリ会ったりしてな」と返し、一同が笑う場面。それから、旅館に着くと部屋のコタツが故障していて、女将(志津)が仲居に番頭をすぐに呼んで修理するように指示して出て行った後、仲居が竜造に問われるままに「女将が未亡人であること」や「彼女の魅力に惚れ込んで、居ついてそのまま番頭になった男がいる、その人が今からコタツを直しに来ること」を言って、「トラさーん」と呼び、二人と寅が出くわす場面。これらが特異なのは、偶然によって再会する場面よりも、《語り》が先行し、優先していることである。この後も、別の仲居によって、寅が女将に惚れているあまり、お座敷の余興の股旅物で「お志津!」と呼んでしまうことが先に語られ、画面がまさに寅が芝居をしているところに切り替わると、仲居達が宴会客達に耳打ちし、まもなく寅が女将の名前を呼ぶことを予告する。そして、実際に寅が「お志津!」と呼ぶと、拍手喝采でこの一連の場面が終わる。ここでも、仲居たちの過剰な《語り》が寅の芝居に先行する。また、志津が再婚を決めたことを仲居の《語り》で知った寅が、ひとこと別れを言おうと、彼女がいるはずの部屋の障子越しに語る場面がある。しかし、部屋にいるのは志津ではなく二人の仲居と老番頭で、彼らは息を潜めて寅の語りを聞いている。つまり、寅と志津の別れは、場面では描かれず、そこには、寅の《語り》だけがあるのだ。
これら過剰な《語り》の場面は、どれも見る者を笑わせる。しかし、その笑いは痛快なものではない。寅の独りよがりな《語り》は意地の悪い笑いを誘い、物語に先行する《語り》は、既に知ってしまっている滑稽さをしつこく見せられたような、どこか冷ややかな笑いなのである。これらの笑いは、優越的でありながら、どこか屈辱的でもある。そして、ここには、第1作のような感動する場面がない。感動が欠如しているのではなく、あえて物語にあるべき感動を忌避しているように思われるのだ。なぜ、庶民喜劇でありながら、このような作品にしたのか。山根貞男のインタビューに答えて、森﨑は次のように語っている。
「寅さんの屈辱感が、はっきりと映画館の中で受け止められた場合には、そこにすさまじいばかりのコミュニケーションが成り立つはずだという夢を、ぼくは捨てきらんのですよ。(中略)逆にいうと、白塗りのいい男たちが出てきたりするような映画では、そういう屈辱感に思い当たるってことは契機として与えられていない。それを忘れろ忘れろというふうに常にうたってるわけでね」
戦時中に少年時代を過ごした森﨑は、庶民に「忘れろ忘れろ」と謳うことの危うさを知っている。だからこそ、寅と観客との《屈辱感のコミュニケーション》という夢を見るのではないだろうか。それには、感動を追いやるほどの、過剰な《語り》が欠かせないのだ。
ラスト。冬の海を進む小さい蒸気船の甲板で、寅が「チャラチャラ流れるお茶の水、粋な姐ちゃん立ちションベン」という文句を他の船客に語ってみせる場面。そこに居合わせた自衛隊員達が大喜びで「粋な姐ちゃん立ちションベン!」と真似ると、寅が「うまいよ自衛隊、お前自衛隊なんかやめて俺の弟子になれるよ」と言い、寅と船客はみんなで文句を復唱する。《語り》が連鎖し、増幅していくこの場面こそ、森﨑が夢みた、寅と船上の人々、観客といった庶民のコミュニケーションなのではないか。カメラが映し出す空は、どこまでも青く、明るい。
そして第3作。旅から実家に帰った寅は、竜造とタコ社長に勧められるまま見合いをする。いざ顔を合わせてみると、相手の駒子は寅と知り合いだったのである。しかし、駒子に亭主がいたことを知っている寅が問い詰めると、亭主が他に女を作ったから、その腹いせに自分も男を作ってやろうと思っていた矢先、この縁談話が舞い込んできたのだという。そして、彼女が亭主の子どもを身籠もっていることを知った寅は、二人を仲直りさせて祝宴を開き、新婚旅行用にハイヤーまで手配する。その費用一切を「とらや」につけられていたことに激怒した竜造たちと大喧嘩をした翌朝、寅はまた旅に出てしまう。数日後、竜造とつねが夫婦で温泉旅行に出かけると、二人は旅館で寅にばったり出くわす。寅は、その宿の女将・志津に一目惚れして、彼女の顔が見たさに番頭として居ついてしまっていたのである。その後、寅はひょんなことから志津の弟・信夫と温泉芸者の染子の恋の道行きの手助けをすることになる。一方、夫に先立たれた後、弟が継いでくれるまではと旅館を切り盛りしてきた志津は、弟が染子と街を出てしまったため、宿を畳むことを決意し、交際していた男性と再婚する。それを知った寅は、失意のまま、再び旅に出るのであった。
このように、筋書きだけを追うと、物語は順直に進んでいるように思える。しかし、実際に映画を見て気がつくのは、この作品は、過剰な《語り》によって成り立っている、ということだ。確かに、映画は画面の連続によって進んでいくのであるが、しばしば《語り》が突出し、物語の進行よりも強調され、優先されるのである。
晩酌のとき、竜造に好きな女性のタイプを聞かれると、初めこそ「婆アでなければ誰でもいい」と謙虚だった寅だが、「強いて言えば、気立てが優しいってことぐれえかな」と言い出してから、「寝坊の女はだめだ」「朝、亭主に冷てえ水で面洗わせるのはよくねえ」「三つ指ついて男の帰りを迎えろ」「女にはたしなみが必要だ」などと、長々と結婚相手への注文をひとしきり語り尽くす場面。また、見合いの席で、寅と駒子が二人きりになった後、駒子が自分の境涯を延々と語る場面(画面では省略され、何本もの空の徳利が二人の前に転がり、さらに酒が運ばれてくることで、《語り》の時間の長さが示される)。
次に、竜造とつねが夫婦旅行に行こうと、近所の人々に見送られる場面。タコ社長が「寅さんのことで、いろんなことがあったから、ゆっくり骨休めしておいで」と労いの言葉をかけると、竜造が「旅先でバッタリ会ったりしてな」と返し、一同が笑う場面。それから、旅館に着くと部屋のコタツが故障していて、女将(志津)が仲居に番頭をすぐに呼んで修理するように指示して出て行った後、仲居が竜造に問われるままに「女将が未亡人であること」や「彼女の魅力に惚れ込んで、居ついてそのまま番頭になった男がいる、その人が今からコタツを直しに来ること」を言って、「トラさーん」と呼び、二人と寅が出くわす場面。これらが特異なのは、偶然によって再会する場面よりも、《語り》が先行し、優先していることである。この後も、別の仲居によって、寅が女将に惚れているあまり、お座敷の余興の股旅物で「お志津!」と呼んでしまうことが先に語られ、画面がまさに寅が芝居をしているところに切り替わると、仲居達が宴会客達に耳打ちし、まもなく寅が女将の名前を呼ぶことを予告する。そして、実際に寅が「お志津!」と呼ぶと、拍手喝采でこの一連の場面が終わる。ここでも、仲居たちの過剰な《語り》が寅の芝居に先行する。また、志津が再婚を決めたことを仲居の《語り》で知った寅が、ひとこと別れを言おうと、彼女がいるはずの部屋の障子越しに語る場面がある。しかし、部屋にいるのは志津ではなく二人の仲居と老番頭で、彼らは息を潜めて寅の語りを聞いている。つまり、寅と志津の別れは、場面では描かれず、そこには、寅の《語り》だけがあるのだ。
これら過剰な《語り》の場面は、どれも見る者を笑わせる。しかし、その笑いは痛快なものではない。寅の独りよがりな《語り》は意地の悪い笑いを誘い、物語に先行する《語り》は、既に知ってしまっている滑稽さをしつこく見せられたような、どこか冷ややかな笑いなのである。これらの笑いは、優越的でありながら、どこか屈辱的でもある。そして、ここには、第1作のような感動する場面がない。感動が欠如しているのではなく、あえて物語にあるべき感動を忌避しているように思われるのだ。なぜ、庶民喜劇でありながら、このような作品にしたのか。山根貞男のインタビューに答えて、森﨑は次のように語っている。
「寅さんの屈辱感が、はっきりと映画館の中で受け止められた場合には、そこにすさまじいばかりのコミュニケーションが成り立つはずだという夢を、ぼくは捨てきらんのですよ。(中略)逆にいうと、白塗りのいい男たちが出てきたりするような映画では、そういう屈辱感に思い当たるってことは契機として与えられていない。それを忘れろ忘れろというふうに常にうたってるわけでね」
戦時中に少年時代を過ごした森﨑は、庶民に「忘れろ忘れろ」と謳うことの危うさを知っている。だからこそ、寅と観客との《屈辱感のコミュニケーション》という夢を見るのではないだろうか。それには、感動を追いやるほどの、過剰な《語り》が欠かせないのだ。
ラスト。冬の海を進む小さい蒸気船の甲板で、寅が「チャラチャラ流れるお茶の水、粋な姐ちゃん立ちションベン」という文句を他の船客に語ってみせる場面。そこに居合わせた自衛隊員達が大喜びで「粋な姐ちゃん立ちションベン!」と真似ると、寅が「うまいよ自衛隊、お前自衛隊なんかやめて俺の弟子になれるよ」と言い、寅と船客はみんなで文句を復唱する。《語り》が連鎖し、増幅していくこの場面こそ、森﨑が夢みた、寅と船上の人々、観客といった庶民のコミュニケーションなのではないか。カメラが映し出す空は、どこまでも青く、明るい。
〈使用参考文献〉
山田洋次他『男はつらいよ Ⅰ 登場篇』(ちくま文庫・1997年)
藤井仁子編『森﨑東党宣言』(インスクリプト・2013年)
山田宏一著『日本映画について私が学んだ二、三の事柄 Ⅱ ─映画的な、あまりに映画的な』(ワイズ出版映画文庫・2015年)
玉城入野(たまきいりの)
1968年東京都日野市生まれ。著書『フィクションの表土をさらって』(洪水企画)。詩歌・文芸出版社「いりの舎」代表。