「ナラティヴ(Narrative)」とは、もともとは西洋の古代から中世に生きた吟遊詩人たちによる朗唱のことを指していました。詩人たちは、神々について、英雄について、歴史について、法律について、自然について、恋愛について、つまりこの人間が住む「世界」について、言葉、音楽、踊り、演技を駆使して唄いあげました。人々は吟遊詩人たちが表出した世界像を隣人たちに口伝え、やがて口承文学を成立させました。現在読むことができる世界中の神話や宗教聖典、民話等は、そうした詩人たちの「ナラティヴ」の痕跡です。
     現在の「ナラティヴ」は、そのような詩人の朗唱ではなく、すべての人間が「語る・物語る」ことを指します。ですからすべての人間が関わっているさまざまな分野に「ナラティヴ」は分岐しています。文学、哲学、言語学、歴史学、宗教学、文化人類学、芸術学、教育学、心理学、社会学、医学、政治学、経済学等々。なぜなら「語る」ことは、すべての人間の創造行為だからです。

「わたしは中村剛彦です」「あなたが好きでたまらない」「静かにしなさい!」「神は死んだ」「To be or not to be」「Make America Great Again!」

 これらワンフレーズだけで、「ナレーター(語り手)」は「リスナー(聞き手)」を動かします。それが新たな世界の創造の一歩です。さらにその「リスナー」は「ナレーター」となって語ります。さらにその「リスナー」はまた語り......といった具合に、「ナラティヴ」の一歩が、螺旋状にあらたな世界を広げてゆきます。
     
 本サイトでは、そうした「ナラティヴ」=「創造」の観点にたち、多ジャンルのアーティストたちによって、いま刻々と動いている世界像を表出してゆきたいと考えています。あたかも本サイト全体が、かつて唄い、踊り、演じつづけたひとりの吟遊詩人であるかのように。
    
   「この世は語り得るものの季節であり、その故里だ 」(リルケ『ドゥイノ悲歌』富士川英郎訳

 世界を縦横に語りつづけること、それがあってはじめて私たちはこの世界に安心して生きていくことができる。
 この思いから、このサイト「ナラティヴ ナラティヴ 」をはじめます。
 
 2019年6月1日

 中村剛彦(編集人)
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