竹内敏喜 『魔のとき』以降 
ヴォルフィー変奏 9 (二〇二一年六月三〇日〜)

   
 

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自己と世界を分離できていない者としての主体性
いつも見守られていると感じさせる時間
問いが不信にかかわることなく、答えが繰り返される空間
幼い子よ、そのようにして風に乗っていく

流れ流される感覚を理想化しても、社会はおまえを奪い取る
質問攻めで怯えさせ、うちなる答えを握り潰してしまう
保険、投機、ウイルス、AIなど、他者を介して拡大増加する制度に
しがみつかせ、あのやさしげな悪意を、心に染みこませる

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五感は外に向けられているため、おのれを感受しにくく
ましてや現在そのものを捉えることはできない
ただ、自身の内面をそっとそっと覗くことによって
現実と呼ばれるものの姿を想像させる

人は、過去と未来を知覚する能力を持つが
創造主には現在として存在する力が備わっている
それは他者のいない広がりであり
歌の失われた、古代文明の廃墟にも似ている

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理性においてはじめる者が
愛をともなわせて判断しようとしてもまず成功しない
むしろ愛情ある者が、理知を働かせて行動したときこそうまくいく
そのため前者の社会性の不完全さは、盲信として暴露されよう

おもいやる心を持ってはいても、その相手をみつけられない人
それこそ制度の奴隷となっている証拠だ
彼らは他者による暴力をヒステリックに訴えようとするが
愛情ある者なら美学としても、感受できる

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生きつづけるとは死んで再生するということ
けっして不死でありつづけることではない
その言語上の指標としての観念でさえ
そのままの起源や最果てを想定させてはくれない

そのためなのか、一人の人物を信用するとは
その、口にした言葉によって信じることではけっしてない
だれひとり言葉遣いの完全さに追いつくことはできず
自分が何を伝えているのか、正しく知り得ないのだから

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目の前の人物よりも、その者の人生を信用することが
永遠らしい永遠だと考えられないだろうか
人を見るとは自己を確認することでしかない
だが、ある人の一生には人生観があらわれていよう

原因としての意味を尊重するまなざしとともに
色分けされ、人は整っていく
人生は、結果としての姿を尊重させるまなざしを
しずかに呼び起こす

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銀河系は渦を巻いている
星とガスの円盤のなかを伝わる巨大な粗密波
それが渦であり、音波のようなものだといわれる
その回転はすり切れたドーナツ盤を真似ている

波は、何万光年にもおよぶ衝撃波をうみ
暗黒星雲を圧縮して、たくさんの星を誕生させる
あちらから今、子守唄が響きはじめた
こちらのレクイエムはまだ終わりそうにない

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この世で美しいものは風だけだと
心底から感じ
周りにだれがいようとも耳を澄ましている
ヴォルフィーの響きへ

それは懐かしい
それは初めてのよう
それから笑わせ、悲しませて
ここで息をしていることに、気づかせる

竹内敏喜(たけうちとしき)
詩人。1972年京都生まれ。詩集に『翰』(彼方社、1997年)、『風を終える』(同、1999年)、『鏡と舞』(詩学社、2001年)、『燦燦』(水仁舎、2004年)、『十六夜のように』(ミッドナイト・プレス、2005年)、『ジャクリーヌの演奏を聴きながら』(水仁舎、2006年)、『任閑録』(同、2008年)、『SCRIPT』(同、2013年)、『灰の巨神』(同、2014年)​​​​​​​。
 
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