竹内敏喜 『魔のとき』以降 
ヴォルフィー変奏 8 (二〇二〇年五月二〇日〜)


    
   50

夫婦の絆が強いオオカミに関し、学者らはかつて
パートナーが死んだ際の亡骸を悼む様子に、感嘆した
しかし実際は、後に食してその肉体と魂を受け継いでいる
自然は死の意味を知り、心身が地に循環されることを受け入れる


人類は個の一生の、時間的延長を至上の目的と掲げ
親族に死者が出れば滅却するとともに魂をおとぎの国へ追いやる
いわば生前は自然の外部に逃れ、死後は無として管理される
そのような物体に響いていた歌とは、何ものだろうか


   51

落下している人は重力を感じない
と著名な理論物理学者がささやきはじめると
くびきから自由になろうとして
ここ四〇〇年のほとんどの作曲家がいつまでも落ちていく


それでも必要な愛とは、いっそう愛することだから
未来を信じなければならないけれど
いつしか死者を育てる方法とすりかわってしまい
落ちながらただ、沈黙の矢と化している


   52

あの愛は 生活をつくるものであり
感情とは生活から つくられるもの
落ちる人は純愛だけを 得ようとし
死者たちは 容姿を整えてはびこる


ひとりひとりの夢が 叶うようには
二人の小さな夢が叶うことは なく
壺の かけらは好んで集められても
縁の欠けた壺なら 見向きされない


   53

花には瞳がないから太陽を眺めていられる
と思えばいいのか、いや花には完成した姿があるから
太陽にみつめられていると捉えようか
風景と称するまでもなく、古代から村落のとなりにあった可憐さよ


見るなら、それは答えを勝ち取ろうとの意志
見られるなら、それは問いかけを求めようとする姿勢
忘れていたことに気づいて
忘れられないと知る宿業に近づきながら


   54

好き嫌いで捉えれば、人間なんてありえない
男と女、幼児と老人がうごめき関係し合っているだけ
あるいは死んだ者こそ人間によく似ている
それらの人間の累積を歴史と呼んできた偽善、その優雅さよ


しだいに歴史がその紳士的なたしなみを奪われ
今における情報の一部として処理されていく社会では
男と女、幼児と老人こそ消去されて
ニンゲンというチップがむきだしで使用される


   55

かつてのそれは、自分の考えをまとめようとしては
歩きまわることがあった
他の者の意見を理解しようとするときには、頬に指をあて
ぴたりと動きを止めたというのに


そこであらわれる距離、それは書くことに似ている
たどれば罰としての文字がやって来るだろう不思議につつまれ
目覚めるように、やがて読むとは時間を真似ることのよう
あるべき忘却に至って、許しとしての救いが沁みてくる


   56

馴れたラクダでさえ、砂漠をゆくときは気難しい
だから遊牧民は、昔から伝わる歌を声高く聞かせてなだめる
泉もなく、見渡す限りの砂と、巨大な風の舞う地で生き抜くために
そのラクダが疲労や病気で倒れたなら、食して感謝する


彼の音楽が聞こえると、今でも動物や植物が興味を示す
おそらく彼のメッセージは自然の内部にも届いているのだろう
それにしても、もっとも人工的だと見做せる言葉、詩歌で
人以外の生物とそれなりに共鳴できるのはなぜか

竹内敏喜(たけうちとしき)
詩人。1972年京都生まれ。詩集に『翰』(彼方社、1997年)、『風を終える』(同、1999年)、『鏡と舞』(詩学社、2001年)、『燦燦』(水仁舎、2004年)、『十六夜のように』(ミッドナイト・プレス、2005年)、『ジャクリーヌの演奏を聴きながら』(水仁舎、2006年)、『任閑録』(同、2008年)、『SCRIPT』(同、2013年)、『灰の巨神』(同、2014年)​​​​​​​。
 
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