竹内敏喜 『魔のとき』以降 
ヴォルフィー変奏 5 (二〇二〇年二月二六日〜)


  
  29

司馬遷によれば、カの政治は実質を尊み
弊害として小人の粗野をまねいた
そこでインは畏怖による政治へと改めると
小人が霊的力を崇める弊害に陥った

次のシュウは礼節によって改めようとしたが
小人が虚飾を弄するようになった
続くシンは政策を改めずに刑法をより厳しくして破綻した
だからカンは人々が政治を疎ましく感じないようにしたという

   30

四九歳を過ぎ(劉季が初陣の旗を掲げた頃だ)
どんな達成も定理や法則に照らしてはじめて浄化を得ることを
学び切ったから、観念的努力など空しいと感じるけれど
生ある限り、ユメとウツツ、いずれに向かうべきか

法の細部を拡大して相手の罪状を見出すように
その他大勢は社会生活を支える青空をあさっている
はるか遠くでは彼一人が踊りつづけ
形態をとどめることなく青空を砕いている…

  (31)

彼が、風のいろの上を渡っていく
今では、「あ、そうか、畜生め、伯爵さま
あんたのためなら何でもするが、スザンナだけはお渡しできませんぜ」
その物語で皮肉られる対象が存在しなくなったけれど

また、「その声も永くは続くまい」と墓場で声がして皆が恐れるなか
「今夜おれのうちに晩飯を食いにこい」と誘い返さざるを得ないような
彼の深い喪失感の痛みがだれにも伝わらなくなったとしても
その足跡に染まった風が舞えば、人々は酔いに酔う

   32

…個人の内部に限定すれば歌は完結されよう
なぜなら本人の死で限界づけることができるから
例えばおのれの身体能力の自覚を精神の目的だとすると
事実を直視した時点で新鮮さは失われ、歌も枯れる

外部との対応が理性的であろうと感情的であろうと
たいていの因果は肉体に刻まれていく
幸いにも成長の後には必ず老いがやってきて
屍において浄化は飽和し、破棄のされ方で社会的価値もわかる

   33

おそらく人間は命の数え方を間違いつづけたのだ
他者との平等とは死との距離の等しさにあるべきだから
誕生したときに余命を計る方法こそ必要だといえよう
社会はその数値において個人への配慮を認めなければいけない

もちろん、悲しみを数えることはできない
それは記号ではないから
人々からの親切に向き合いつづけるのも難しい
むしろ親友が三人いれば充分だと感じないこともないだろう

   34

科学的根拠に基づき、人類の絶滅を一二年後だと
あるいは一二〇年後だと指摘することは困難ではない
その予測を決断の機会として受けいれる平等と
その瞬間までに選択肢がまだあるという不可解な自由さ

遠い未来、この星に我が物顔で過ごす種がいるなら
考古学的に並べられた不完全な骨格を見物して
巨大恐竜の復元像とその不運な最後に感嘆するだろうし
人類の裸体の貧弱さとその傲慢な一時的繁栄に嘲りを覚えるだろう

   35

一日の疲れをぬぐうことなく、ねむり
翌朝、まっさきに顔を洗う
鏡のなかの顔がころころと変化していく
三日前の自分が、わからなくなるくらいに

この星をめぐりつづける風よ
見えない魂を愛する、祈りであってほしい
どんな吹き方にも、やさしい響きはあり
どの季節にもやさしい止み方があり

竹内敏喜(たけうちとしき)
詩人。1972年京都生まれ。詩集に『翰』(彼方社、1997年)、『風を終える』(同、1999年)、『鏡と舞』(詩学社、2001年)、『燦燦』(水仁舎、2004年)、『十六夜のように』(ミッドナイト・プレス、2005年)、『ジャクリーヌの演奏を聴きながら』(水仁舎、2006年)、『任閑録』(同、2008年)、『SCRIPT』(同、2013年)、『灰の巨神』(同、2014年)​​​​​​​。
 
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